子ども(長男)がこの春、新聞社に入社し、つい先日研修で東北の被災地を何ヶ所か廻って来ました。
そこで、ひまわりの種をいただいてきました。
それは(下記参照)、津波で被害に遭った石巻、あの「がんばろう!石巻」の看板が震災後建てられた場所に、ひまわりが咲き、その種を採取し咲続いた三世の種ということです。だから、ど根性ひまわり。
その種は、全国各地に広がっているようです。
我が家にもその2粒の種が…。
うれしいです。
さっそく鉢に植えました。
大事に育て、4世の種をたくさん採ることができたら、できるだけ多くのみなさんに分けて差し上げたいです。
希望の「ど根性ひまわり」として、そこからまた、元気のパワーを降り注げると確信します。
私はこれからも、復興への情報を発信し続けます。
がんばろう!石巻の会 会報誌創刊号より
ど根性ひまわりは、がんばろう石巻の大看板が立つ、震災前お店だった基礎からひまわりが伸び始め開花しました。
このひまわりは、津波によりどこからか流されてきた種が流れ着き、津波にも塩害にも負けず開花したものです。
花が散り種の収穫もできましたが、身の入った種は三分の一ほどしかなく初めは取れないのではと、心配しました。
しかし翌年見事に二世のひまわりも発芽し命をつなぐことが出来ました。
二世の種は、知り合いや友人にも贈り、北海道から九州まで各地で希望の花を咲かせることが出来ました。
リンク⇒ http://soldier.ic-blog.jp/kurosawa/2012/06/post-2f38.html
今日は東日本大震災からまる2年の日であります。
無くなられた方に心から追善の祈りを捧げ、被災された方々に改めてお見舞い申し上げます。
ここ最近マスメディアでは特番を組んだりして、当時の津波の映像を映したりしています。
私はとても胸が締め付けられ、時には涙がこみ上げてきます。
なぜ、その映像を流さなくてはならないのか!と思うこともあります。
震災当時、私は議員ではありませんでした。
いち会社員で、なにもできない自分に歯がゆい思いをしていました。
そこに宮城県気仙沼市唐桑にボランティアへ行く話があり、是非私も行きたいと懇願し同行する約束をしました。
そのことを会社に話すと、なんとも良い返事がもらえず、ごたごたとやり取りし、結局有給を取りその仲間とボランティアへ無泊二日で行って、その後1ヶ月おきに3回行かせていただきました。
これがきっかけで、議員にならせていただいたと言っても過言ではありません。
ですから、この震災を継承していくことは、私の使命と感じています。
どうかみなさんにも、忘れないでいただきたいしどこかで思っていて欲しいと願います。
では何を持って復興支援なのか?
現地にボランティアへは行けない、募金だってそんな余裕はない、イベントに参加は時間がない…。
でも東北の物産を購入することはどうでしょう?
もし友達と旅行の計画があるなら東北はどうでしょう?
晩酌のお酒を時には東北産はどうでしょう?
それでもどれひとつ当てはまらないのであれば、今自分の生活を振り返り
ちょっと落ち込んでいたり、自暴自棄になっていたりしたならば
少し被災地のことを思ってください
そこで今より一歩前に頑張って踏み出す
これこそ復興支援だと、私は思います。
今日だけではなく、時あるごとに思いだしていただきたいと願いますし、私自身発信続けます。
先日届いた三陸の復興かきを、近所の気の合う壮年、私含め5人で食する会を開きました。
みなさん私よりずっと年上ですが、本当に慕っていただいてます。
今日は午前から信濃町に行っていたので帰ってから
20個弱の牡蠣の殻をむくのは容易ではありませんでした。
専用のナイフも付いてきたのですが、慣れないのもあって血だらけになってしまいました。
途中で気が付いて、軍手をして、なんとか全部殻をむき食する準備完了。
集った中の一人は岩手県釜石の出身で、お兄さんが居て地元で公明党の議員をやっています。
親戚の家も流されて、お兄さんも被災され、その中でも被災者のため奔走されていることを当時聞きました。
生存しているかもわからず、不安な日々を送っていたことを傍にいて私も胸を痛めていました。
震災後幾日もしない時に、岩手に行き安否を確認しビデオ撮影もしてきて帰ってきました。
帰って来てからも、なんとなく落ち込んでいる様子で、訪問してビデオを一緒に観ました。
私も気仙沼の唐桑半島に行っていましたから、状況はよく解っていました。
その方は、ビデオを他に見せられる人はいないと、一緒に観てくれてありがとうと言い、二人で涙しました。
その後今回の牡蠣オーナーの件を話し、いつ届くか解らないけど、届いたら一緒に食べましょうねと約束しました。
あれから2年弱、ついにこの日が…。
昨日はそんなことを語りながら、牡蠣とお酒を交わしました。
約束した事を覚えていたんだねぇと。
当たり前ですよ。一緒に食べることを楽しみにしていたんですから。
また涙してしまいました…。
復興はまだまだ何も進んでいない。
同じ意見でした。
今日は、2月11日。
東日本大震災から1年11ヶ月。
14持46分に黙祷を捧げました。
被災され亡くなられた方への追善と被災地の一日も早い復興を祈念いたしました。
東日本大震災直後、いてもたってもいられず、何かしたいと思った。
募金をした、ラジオで聞いて、宮城三陸の牡蠣のオーナーになった。
そして、気仙沼にボランティアに行った。
今日、復興かきの発送の案内が届きました。
三陸牡蠣復興プロジェクト = http://www.sanriku-oysters.com/
復興かきオーナーとは、ただ募金するのではなく三陸のかきを前払いして、生産者を支援し見守り、大好きなかきを待ち望むということ。
壊滅的な被害を受けたわけですから、当初かきの出荷は当然未定、復興が進めば早くて2~3年後ということでした。
それが今日メールで、出荷できる体制になったというのです。
うれしいではありませんか!
食べれるといううれしさもありますが、出荷できるところまできたことが、なにより、うれしいです。
実は、年が明けてから、いつかき小屋に食べに行こうかと考えていたところなんです。
出荷日はまだ未定ですが、届いたら誰と食べようか?やはり日本酒、いやワインかな?生食だよな…失礼しました…。
復興が終わったわけではありません。
まだ、何も進んでいません。
じゃぁ、何ができる?
忘れないでほしいのです。
忘れないで…。




