3月11日、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)より12年目の今日。
意義深い日に防災士として、ナナコライブリーFMに、ラジオ生出演番組「775フレンズカフェ」にゲスト出演させていただきました。
なぜ?私が?
企画の時より、防災の話なら遠藤さんでしょと、頭に浮かんだので声かけしましたとおっしゃっていただきました。
嬉しい反面、恐縮な話で、局のみなさま本当に感謝申し上げます。
番組ではインタビュー形式で、なんと1時間の枠で行うという、初めての経験をしました。
「なぜ防災士に?」との問いに。
3・11がきっかけで、2011年12月、議員に立候補したのも、当時災害ボランティアで南相馬市小高区に何度か行っている時に、「人のために動く、働くことが議員の仕事なんだよ」と言われ、自身の中で腑に落ちて、地域の方々から推していただき立候補させていただきました。
防災士も、災害現場へは何度か行っていたものの、資格を有する事は現場で体験したことの裏付けにもなり、学んだ事を伝えるにも、肩書きがあった方がいいかなとの思いから防災士にもさせていただきました。
ミニ防災講座など、幾度か経験する中で、なるべく分かりやすく身近に感じていただくよう心がけてきました。
つたない話しでしたが、少しでもみなさんのお役に立てば幸いです。
ミニ防災講座などのご要望あれば、お気軽にお声がけいただければと思います。
今日はラジオだと言うのに、朝霞市地域防災アドバイザーのベストを着用して、気合いを入れて臨みました。
改めて、本日はありがとうございました。
#朝霞
#防災士
#ナナコライブリー
「東日本大震災12年」公明党声明を投稿します。
きょう東日本大震災から12年を迎えました。犠牲になられた方々に、改めて深く哀悼の意を表するとともに、被災された皆さまに心からお見舞い申し上げます。
岩手、宮城両県の被災地では、インフラなどハード面での復興は総仕上げに入りました。
しかし、防災集団移転の跡地や、かさ上げ造成地の未利用が課題となり、水産業は販路回復の途上、記録的不漁が続き、厳しい環境に置かれています。
12年という歳月が過ぎましたが、心の傷が癒えたわけではありません。
心に傷を負った若者が親世代となり、震災の影響はいまだ現在進行形です。
被災地では人口減少や少子高齢化が際立って進んでいます。
公明党は「心の復興」そして「人間の復興」を具現化すべく、子どもの心のケアや住民の孤立・孤独対策、被災者の個別の課題に寄り添い支援する「災害ケースマネジメント」の普及に取り組みます。
一方、福島県の東京電力福島第1原発事故に伴い、今もなお、3万人を超える人々が避難生活を続けています。
公明党は、帰郷を希望する住民の願いに応え、効果的かつ効率的な除染と生活インフラの整備を促進し、交流・関係人口の拡大で移住・定住を進めます。
この4月、公明党が主導してきた「福島国際研究教育機構」が同県浪江町に設立されます。
同機構を福島イノベーション・コースト構想の要として産学官の力を総結集し、世界水準の研究開発、産業化、人材育成の機能を浜通り地域へ集積し、創造的復興の具現化と、わが国の科学技術力・産業競争力の強化へ総力を挙げて取り組みます。
浪江町では、水素エネルギー“地産地消”の実証実験が行われ、会津若松市では情報通信技術(ICT)による「スマートシティ」の展開で市民生活の利便性が向上しています。
こうした新たな産業の芽吹きを大きく育て、福島、東北の復興、日本再生を力強く推進します。
福島の農業者、漁業者は、歯を食いしばり、生産再開、風評の払拭へと奮闘してきました。引き続き、日本産食品などを輸入規制する国・地域へ働き掛け、規制の緩和・撤廃を促します。
また、原発処理水の海洋放出については、漁業者との誠実な対話を続けるとともに、科学的根拠に基づく情報発信に努めます。
今年2月に発生したトルコ・シリア大地震の復旧・復興には息の長い支援が欠かせません。
現在、仙台市で開催中の「第3回世界防災フォーラム」などあらゆる機会を通し、3・11の経験と知見を世界へ発信できるよう後押しします。
公明党は、議員が被災地に入り“声なき声”に耳を傾け、政策を練り上げ、着実に復興を前へ進めてきました。2025年度までの「第2期復興・創生期間」が折り返し地点に入りますが、公明党は「大衆とともに」との立党精神のままに、被災3県の担当国会議員と最前線の地方議員のネットワークの力を遺憾なく発揮し、「人間の復興」へ挑みます。
全議員が復興担当との決意も新たに。
2023年3月11日 公明党