岩手県釜石市役所にて、各担当課より説明を受けました。
1日目の昨日は、地域包括ケアシステムについてと在宅医療連携拠点事業について
釜石の人口は震災後落ち込み、現在は36000人程度になってしまっています。
地域包括支援センターは庁内に1ヶ所ですが、各地区に生活応援センターが8ヶ所あるといいます。
ここでは、介護保険内のことだけではなく、障がい者や子育て支援などの相談、つなぎをおこなっているとのこと。
ただ地域的に山間部が多く、市内でありながら人口の割合がまったく違うことが難しいところのようです。
どこも一緒だと思うのですが、地域包括ケアシステムを構築していくのは手座繰り状態のようです。
在宅医療連携拠点事業は、平成24年に厚生労働省委託モデル事業となり、
平成25、26年は岩手県補助事業の財源で、在宅医療介護連携促進事業として実施されています。
地域包括ケアシステムの構築で、医療と介護の連携と言うけれどなかなか出来ないことだと思っています。
しかしここでは、この事業を推進するセクションを「*チームかまいし」と命名し、また医師会の先生をアドバイザーとして派遣し展開しているとのこと。
チームかまいしの主要スタッフでは、毎日朝晩ミーティングを行い連携を密にしていると言っていました。
私が受けた印象では、この事業のアドバイザーである先生がキーパーソンになっていると強く感じました。
さまざま事業はありますが、やはり「人」=「人材」があるところは違うと改めて感じます。
リンクを貼った「チームかまいし」のブログに、市議団が訪問したことを載せていただけるそうで楽しみです。
釜石といえば、震災後「奇跡の釜石」という大見出しで有名になりましたが
地元ではその言葉に否定的です。
生存率99.8%は奇跡ではないからです!
残念ながら亡くなった方もいるなか喜べるわけがないし、またこの生存者を生んだのは奇跡ではなく、子どもたちが日頃真剣に取り組んだ教育から「想定外」を乗り越え得た結果であるということです。
この防災教育が始まったきっかけは、津波警報が鳴って子どもたちが逃げようと思っても、大人が「大丈夫だから早く寝ろ」と止める事態が発生したこと。
津波避難訓練を実施しても特定の人しか参加しない、等々。
この時から防災教育を実施し、約10年後に東日本大震災が発生しました。
発災時には、真っ先に高台へ避難する釜石東中学校の生徒、そしてその上にある鵜住居小学校の生徒の手を取り避難。
その姿を見た大人たちが、触発され一緒に、上へ上へと4段階に避難場所を変えて避難したと、生の声で説明をいただきました。
それでも亡くなってしまった方がいる…
だから「奇跡」ではなくあえていうならば「軌跡」であると。
家族を思い安否の行動が、被災者を増大させる要因につながることで、
「津波てんでんこ」
昔からの言い伝えから今は少し変わっていることもあり、授業として学んでいる。
命を守る「津波てんでんこ」授業
・それぞれの場所で、それぞれが確実に避難し
・そのことを信じて「自分自身が確実に避難する」こと
・そして、一度避難したら絶対に元に「戻らない」こと
これは家族の絆や信頼関係を構築しておかないと生かされないことです。
今日の説明では涙を流しながら聞いていました。。。
説明をしてくださった、危機管理課課長補佐は震災時は家も流され家族とも離れ離れになり、安否がわかったのは3日後、しかし行政の仕事は山ほどあり心配でも会うこともままならなかったと。
睡眠も1週間で1時間ほどではなかったかと。
避難所では、避難してきた場所が避難所にあるといった状態で、当時は全部把握しきれなかったと言っていました。
また行政が立ち上げた避難所ほど、避難してきた方はお客さん状態となり、苦情も多かったようです。
逆に自然に避難場所となったところは、コミュニティーもできていてみなさんが協力して成り立っていたと聞きました。
人間って…と言う感じでした。。。
今回は2日とも釜石市でお世話になりました。
やはり生の声は本当に勉強になります。
これらはそのまま朝霞市に活かせるわけではありませんが、人間的に成長させていただきました。
釜石市議会事務局、そして担当課のみなさん、忙しいところ本当にありがとうございました。
追伸…お土産に、釜石市の地酒「浜千鳥」を購入。
このラベルは、釜石祥雲支援学校高等部紙工班が作ったものとのことで、目に留まり思わず購入しました。




