2011年3月11日14:46分。まもなくその時刻になります。
5年前の今頃は、私は息子のPTA役員で一緒だったお母さんたちと川越で食事会の最中でした。そしてそろそろ帰ろうか・・という話になっていたころ。。。14時過ぎにみんなと別れて14:40に若葉駅に到着。
立体駐車場の3階で自分の車を探しているときに大きな揺れが来ました
周りに駐車してある車が一斉に揺れ初めました。立体駐車場の外からは悲鳴が聞こえました。揺れが収まり、車で外に出てラジオをつけるとニュースではただ事でない騒ぎになっていました。家は大丈夫かと電話をかけても通じず、一目散に帰宅しました。
…
あれから5年。多くの尊い命が奪われ、いまだ行方不明でご家族のもとに帰れない方が多くいらっしゃいます。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
私たちにできること、それは、この震災を風化させないこと、震災を教訓とし、自分の身は自分で守る備えと訓練を怠らないこと。そして9月の防災の日と同様、3・11は防災意識を高める日としてまいりたい。
今年の夏も釜石の仮設住宅の皆さまにお会いしに行きます!!
20年前の午前5時46分、私は新聞配達の最中だった。
何も知らず配達を終え自宅に戻ると、テレビはどの局も関西地方で震度7の地震とテロップが流れていた。
時間が経つにつれその惨事の大きさが明らかになった。鮮明に記憶に残っているのは延々と広がる火災と、高速道路の崩壊、そして崩壊した高速道路で前車輪が宙に浮いたバスの光景。
あの震災から始まり、この20年の間、新潟中越地震、東日本大震災と想定外の地震により多くの方が犠牲になられた。
それぞれ地域性による被害の違いがあり、自然の猛威とはいえ今や想定外という言い逃れはできない。最善を尽くして国は国の役割を果たし、町は町で最善を尽くし防災に努めるべき。
パフォーマンス的な避難訓練は意味がない。もっと実践的な訓練を行うべき。と何度要望したか。。。もう想定外という言い逃れはできない!!!
今後も強く町に訴えていかなくては!