カテゴリー(自分史)

『 みずから範を示す! 』

山口 相撲は「心技体」というように、技だけでなく心を鍛え、人間を育てるものだと感じます。部屋を興して27年の親方は、苦労の連続だったことでしょう。

尾車 今も弟子の育成は試行錯誤の連続です。みんなが十両以上の関取になれるわけではありません。かえってなれない方が圧倒的に多い。みんなを関取にしたい思いは当然です。その上で、あいさつや言葉遣い、礼儀を教え、仮に関取になれなくても一生を棒に振ることがないよう育てていくことが私の信念です。

山口 私も新人議員の時は、先輩から「議員の価値は質問で決まる」と教えられ、猛勉強をして“ぶつかり稽古”で鍛えていただきました。最近の衆参の選挙では、大きな可能性を持つ若手議員が誕生しました。

Nature1-013尾車 若い子を一人前にすることは大変です。時には、「LINE」で絵文字が付いてくることもあります(笑)。稽古場は厳しく、稽古が終われば後輩は先輩を敬い、先輩は後輩を育てる―家族のような部屋をつくることが目標です。

山口 「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」との先人の言葉があります。私たちが模範を示し、教えて、チャンスを与え伸ばしていくことが大切です。「大衆とともに」との公明党の立党精神は不変ですが、その時代に応じた活動の中に現れてこなければ、本物の「大衆とともに」にはなりません。公明党の議員は常に現場の息遣いを大切にする一人一人でありたいと思います。

尾車 相撲界は全国のファンに支えていただいていますが、毎年夏の巡業で行く東北の皆さんにも本当にお世話になっています。その感謝の思いで、昨年8月には、福島県いわき市で復興祈願の横綱の土俵入りを行いました。土俵入りは昔から「大地を鎮める」と言われています。被災者の皆さんの笑顔を見ると、やってよかったなと思います。

山口 公明党も、被災者の心のひだにまで寄り添い、「人間の復興」を成し遂げていく決意です。昨年、公明党は結党50年の緒戦を衆院選の勝利で飾ることができました。今年4月の統一地方選も必ず勝利し、確実な党の基盤を築かねばなりません。今年の干支であるひつじは、自らの毛が衣類などに活用されるように、われわれも身を削り人々を温かくする政策を実現してまいります。親方もお体を大事に、ますます相撲界を盛り上げてください。

尾車 ありがとうございます。弟子には勝ち負けの前に、ファンの皆さんがいい相撲だったなと喜んでもらえる相撲を一番でも多く取ってほしい。私も人様のお役に立てる体になるよう自身の成長に向けて、歯を食いしばって挑戦を続けていきます。(完)

 ・7月10日に行われる愛西市「蓮見の会」に”信長生誕を育む会”

「うつけ隊・連」が市の公式行事に初登場する。

 愛西市の歴史を変えるイベントとなるだろう。立田地区の方は、

”勝幡城信長生誕説”にはまだ認識がないと思われる。ましてや

「勝幡」という地名すら知られてないのが現状だろう。

 信長という人間像を知れば知るほど惹きつけられる。

 「人間50年。下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」

 少年の頃から「敦盛」という舞いにあわせた文句の中で、

 好んだ一節だ。私もまもなく50歳になる。信長の夢を追いたい。

 大震災が 教えてくれたもの

 人は 一人では生きられないということ

 支え合い 助け合って 生きていくこと

 大震災が教えてくれたもの

 「想定外」という言葉は 使えないこと

 言葉の重みは 人命にも勝るということ

 大震災が教えてくれたもの

 政治主導は 偽りのものだということ

 官僚の方が 仕事はできること

 大震災が教えてくれたこと

 原発は 安全ではないこと

 科学は 人の心まで 解明できないこと

 大震災が教えてくれたこと

 一番 強いのは 庶民の心であること

 生きていくために 必要な場所は ふるさとであること・・・

 

 ・彼が逝去して、20年が過ぎ去った。「10代のカリスマ」と崇められた彼は、マスコミの作り上げた虚像と自分自身の実像の狭間で、大きく揺れ動き迷走した。

 私が「15の夜」を初めて聞いた時には、彼はこの世にいなかった。それでも彼の歌声と魂に私の体は震えた。

 彼の才能は、想像を超えていた。それが故に、周りには理解もされず、孤独だけが唯一の安らぎの場所となる。

 大人たちは、彼の才能に群がった。それは彼の意志を無視し、ひとつの商品として扱われた。それでも彼は、もがき苦しみ生きつづけ、歌い続けた。

 「誰がOZAKIを殺したか?」皆が問うた。私は、”大人”と迷わず答える。純粋なものは、どこまでいっても純粋である。汚れを知らない。もし、それを知る時が来るのであれば、それが”大人”か・・・・。

 自分の存在が何んなのか、問い続けた彼。彼の歌は今でも多くの若者を勇気づけている。永遠に・・・・!

 ・初めて詩らしきものをかいたのは、10歳ぐらいのときと思う。その後、読書好きがどんどんエスカレートしていき、10代から20代前半は「MY詩集」という同人誌の一員として”詩人かぶれ”になっていた。30歳で小冊子ではあるが、『詩郷』という詩集を自費出版した。詩が唯一、自分の心に素直になれた。

 詩という表現方法は常に真実を見つめていた。自分とは何か。何のために生まれてきたのか。何がしたいのか。いつも自分に問いかけ、答えを追い求めていた。今もそれはかわらない。

 古代より偉人・哲人と謳われた人の多くはこの手法を用いた。そして、さらにそれを昇華し、音として音楽をつくり、筆をとり、絵画を描いた。さらに全身を使い、踊りとし、演劇として開花させた。その価値観は文化と呼ばれ、国を越え、差別をなくした。

 現代の閉塞感を打ち破るには文化(人間性の昇華)が必要である。もう競争社会は終わりである。知識ある政治家の人たちは、第二のルネッサンス(人間主義)の復興に着手すべきである。

 ・人の心を豊かにするものに”音楽”がある。音色というものには、不思議な力がある。特に歌声には心を動かされる。

 私は幼いころか歌を唄うのものも聞くのも大好きだった。これは私だけではないかもしれないが、心を揺さぶられる曲を聞くと背筋が「ゾクッ」とする。

 記憶は定かではないが、初めて「ゾクッ」としたのは,荒井由美の『翳りゆく部屋』、大友裕子の『傷心』、尾崎豊の『15の夜』、ザ・虎舞竜の『ロード』などが思い浮かぶ。どの曲も魂の声を聞いた気がする。

 人の声には力がある。それは聞く側の人にはわかるものだ。昨今の政治家には、声に力のない人が多い。正直それらの人からは何も伝わってこない。

 声には力がある。自分自身も肝に銘じたい。

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愛西市 竹村仁司
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