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 昨年、3月11日東日本を襲った大震災は、天災の恐ろしさと

共に国を始めとする関係機関の防災に対する考えの甘さを

露呈する形になりました。それは、この国の在り方から問わ

れる問題となり、現在もなお迷走中であります。

 広範囲に長期にわたる甚大な被害をもたらした東京電力福島第1原発事故は、日本の

エネルギー政策の大転換を迫りました。政府は原発依存からの脱却の必要性を一般の

国民と共有し、エネルギー基本計画の抜本的な見直しの議論を進めています。しかし、

稼働原発ゼロの事態が現実化し、当面の電力需要をいかにまかなうかという難題が

立ちはだかっています。このままでは夏場の電力供給不足に陥るおそれもあり、野田

政権は安全が確認された原発を再稼働させる「政治判断」へとかじを切りました。

 原発に頼らざるを得ない現在の構造をいかに「脱原発」へと段階的に進めていく

のか、国民の安全と経済の維持をにらみながらの中長期的なエネルギー政策の在

り方の議論は、国の将来像に直結すると共に、私たち国民一人一人がしっかりとし

た議論のもと決断を下していかなくてはならないものと考えます。

  天文3年(1534年)5月28日に生まれた織田信長は

本日478歳の誕生日を迎えました。

 この佳節を祝い、昨日、愛西市内の名鉄津島線「勝幡

駅」に設けられた特設会場において『織田信長生誕祭』

が盛大に執り行われました。オープニングには地元佐織中学校吹奏楽部の

メンバーによる記念演奏。「織田信長の生誕を育む会」による「うつけ囃子」

「うつけ太鼓」が披露され、午前の部・午後の部と盛況のうちに幕を閉じました。

 来る2014年には織田信長480歳、さらに2034年には信長500歳という佳節を

迎えます。織田信長を愛する皆様と共に『織田信長生誕祭』を盛り上げて行きた

いと思います。どうぞ、お見知りおき下さい! 

 ・人は、自分の目に見えないものに対して異常な恐怖心を抱く。そして、自分自身の知識の及ばないものに対して理解を示さない。

 その多くが自分自身の恐怖と無理解から”風評”なるものを流しだす。こうした人種は、往々にして利己的で無責任である。

 今回の「東日本大震災」は、”地震と津波”の天災だけで終わりたかった。二次災害である”福島原発事故”は人災(初期段階までは天災)である。今後の復興に対しては、日本という国の責任の取り方が、自国だけでなく、国際社会においても問われるだろう。

     「人として 忘れられない あの笑顔」 (仁志)

 

 ・明年は日本と言う国の明暗を分けるだろう。急進派の地方分権ブループと分裂寸前の中央集権ブループが激突する。

 私は地方分権を支持するが、あくまでも統率力のある国の指導者が必要だ。国が動くべき時は国がリードし、地方に任せる事は全て任せ、独自性を大切にする。

 明年は、様々な選挙がある。国民はいかに正し見識を見つけ出すか?世論も民意も操作されていることを忘れてはならない!

 ・最近になって、国内外で過去の亡霊が騒ぎ出している。特に日本は手に負えない。平然とマスコミに登場し、出版までして日本の救世主になろうとしている。

 過去に犯した罪を、どの様な大義名分で語っても歴史は変わらない。むしろ進化することを忘れた原始人が、猿に戻っていくようだ。

 日本も独立国家として、核を保有し、武器を輸出せよと唱えている。戦争で亡くなった多くの一般市民・原子爆弾による死者と被曝された方々の断ち切れない連鎖。

 HEIWAの意味は非常に重い。為政者の軽々しい言動を真の国民は見抜かなくては・・・・。

 ・18日、第3回の「信長生誕を育む会」の勉強会が、佐織公民館で行われた。本市の学芸員さんによる”尾州古城志をよむ”と題しての講義であった。

 この”尾州古城志”は佐織資料館に保管されている。私も今までに何度か資料館に行っていたものの、その存在を一度も気にとめた事がなかった。

 実はこの”尾州古城志”にこそ、勝幡城で信長が生誕したことが明記れていたのだ。そこに気がついた学芸員さんの目はすごいと思う。

 しかし、学芸員さんの仕事は市役所の中ではあまり認められていないように思う。今回の『勝幡城 信長誕生説』にからむ勝幡城駅前開発事業を通して、いかに歴史の研究が大切か、歴史の保存が大切か、そして優秀な学芸員をもつことがどれほど市の発展にこうけんするのか、実証したい。私も市政に携わる者の一人として頑張りたい!

・明治時代の愛西市は、濃尾地震や鵜多須切れの洪水等の自然災害や繊維産業の不振にによる経済的な不況にあえいでいた。

 その中で、1881年(明治14)に愛西市二子町出身の山田芳雄氏が、出漁中に難破したが、アメリカ船に助けられてカリフォルニアに渡った。

 山田氏は農園で働いた後、帰国し、親類の縁者をつのり、数人と再び渡米した。彼らが、数年後に大金を故郷に送ったことから、愛西市に渡米ブームが起きた。

 そして、その一人から日本の移民が始まる・・・・。

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愛西市 竹村仁司
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