「地方創生」や「女性の活躍」といった異論をはさみにくいテーマを前面に掲げる一方で、集団的自衛権の行使容認や消費税率の再引き上げなど国民の間でも意見が分かれる課題には触れたがらない。そんな姿勢が鮮明な安倍晋三首相に対して野党がどう論戦に挑むのか。臨時国会の焦点はそこにある。
衆参両院での代表質問で目を引いたのは、民主党の海江田万里代表が「アベノミクスの企業利益最優先の政策は間違い」と断じて政権との対決姿勢を一段と強めた点だ。また新たに発足した維新の党の江田憲司共同代表も歩調を合わせるように政権批判を展開した。この結果、今後の論点が見えてきたのは確かだろう。
例えば地方創生。海江田氏は「首相は『バラマキ型の投資をしない』というが、来年度予算の概算要求では各府省が縦割りの水膨れ要求をしている」と追及。これに対して首相は「効果の高い施策を集中的に実施する」などと答えただけだった。
また海江田氏は女性の活用に関して非正規雇用で子育てしているシングルマザーを例に挙げ、「輝きたくても輝けない、生活に追われて苦しんでいる女性にどんな施策を講じるのか」とただした。地方創生も含めて、「やればできる」と首相が力説するだけでは進まない深刻な現実がある。その指摘には私たちも同感であり、首相は謙虚に耳を傾けるべきだ。そして、こうした課題については野党も具体策を積極的に示し、政治全体で取り組んでもらいたい。
所信表明演説で首相が触れなかった憲法解釈変更問題を各党が追及したのは当然だ。首相の答弁は従来の説明をなぞるだけだったが、今回の解釈変更には、さまざまな疑問点や問題点が置き去りになったままだ。
首相は「建設的な議論を行いたい」とも答えた。そのためには今国会の予算委員会などの場で集中審議を改めて行う必要があろう。無論、この問題では民主党も党内意見を早急にまとめないといけない。そうでないと首相との議論は進まない。
もう一つ、見逃せない問題も代表質問で取り上げられた。山谷えり子国家公安委員長が2009年、在日韓国・朝鮮人の排斥を訴える「在日特権を許さない市民の会(在特会)」の関係者と一緒に写真を撮っていた一件だ。さらに高市早苗総務相や自民党の稲田朋美政調会長らが、ナチスの思想に同調しているとみられる極右団体の代表と以前、写真撮影をしていたことも明らかになっている。
山谷氏らはこうした団体の関係者とは知らなかったと説明しているが、安倍内閣の人権意識や歴史認識にもかかわる重大な問題だ。国会の場できちんと説明する必要がある。
臨時国会が29日召集され、安倍晋三首相による所信表明演説が行われた。首相は地方と女性の活躍を重視しつつ経済成長を目指していく姿勢を強調した。
野党と対決色の薄そうな課題を主軸に据える一方で、消費税の再増税や集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈変更などの問題にはほとんど言及しなかった。臨時国会のテーマと頼む「地方創生」も構造的に人口減少に取り組む本気度が伝わったとはいいがたい。改造内閣の掲げる「実行実現」の中身が問われよう。
通常国会が閉幕して3カ月を経てやっと始まる論戦だ。首相が演説で日中関係で「安定的な友好関係」を掲げ、首脳会談の早期実現に意欲を示したことは評価できる。
だが、全体としてみれば、演説は内外の課題への方針を率直に訴えかけるものではなかった。
さきの国会の閉幕後に行われた集団的自衛権行使を可能とする閣議決定について直接の言及はなく「切れ目のない安全保障法制の整備に向けた準備」を表明するなどにとどまった。いくら法整備を来年に先送りしたからといって、解釈改憲の具体的な中身の説明を進んでしないようでは、議論なき既成事実化を図ったとすら取られかねない。
税率を10%に引き上げるかの判断を12月に迫られる消費増税問題も、さきの引き上げに伴う影響への「目配り」の指摘にとどめた。自民党の谷垣禎一幹事長は再増税をしない場合の財政への危険を強調するが、一方で先送り論も根強い。首相の基本姿勢を示すべきではないか。
地方創生にも不安がある。首相は「人口減少は避けられない」との見方を悲観的だとまで言い切った。「次元の異なる大胆な政策をまとめる」と説明、各地で展開する地域再生の取り組みを紹介した。
地方の人口減少問題が注目された端緒は民間研究機関による「消滅可能性自治体」の公表だった。人口減少の流れ自体は不可避だとしても地方での減少を可能な限り食い止めることが議論の主眼だったはずだ。
首相も「地方が直面する構造的な課題は深刻」だと語った。だが、その背景以上に演説では「若者がチャレンジしやすい環境」「発想の転換」が強調された。国会に提出された基本法案は具体的な施策の中身まで示したものではない。「やれば、できる」と地方を督励するのであれば、それを裏付ける「異次元」政策のイメージをもっと語るべきだった。
地方創生、女性の進出ともに政策に十分な中身が伴わなければ論戦の主役たり得ない。位置づけがあいまいな国会とならぬよう、野党も論点の提示に努めなければならない。
新年 明けましておめでとうございます。
本年もお世話になりますが、何卒よろしくお願い致します。
いよいよ本年4月を迎えると議員として丸2年となります。
昨年は、皆様ご存知のとうり3月に起こりました「東日本大震災」により
多くの尊い命が奪はれ、地震のみならず津波という天災により甚大なる
被害を受け、さらに福島原発の放射線漏れという人災にまで至り、未だ
避難所生活を余儀なくされ、まだ故郷の地を踏む事すら許されない現状
です。こうした被災地の皆様のご苦労を思うにつけ、いかに被災地以外
の私たちが「同苦」できるか、この一点にすべてがあると思う次第です。
本年はこうした大震災の教訓を受け、いかに日本という国が変わるか
また、この国に住む国民がいかに政治を監視し、正しい選択をすること
が出来るかどうかが問われる、大切な一年になると決意をあらためる
次第です。
末尾になりましたが、本年も皆様のご健康とご活躍をお祈りします。
事故は収束に至った」と宣言した。その理由として、東京電力
福島第一原発で原子炉を安定して冷却する「冷温停止状態」を
達成し、事故収束に向けた工程表「ステップ2」が完了できたとし
ている。
果たしてこれで収束と言えるのだろうか?怪しい「冷温停止状
態」との言葉。本来、「冷温停止」と言えばまだしも得意の曖昧な言葉で「事故収束」
とまで断言してしまっている。福島第一原発の周辺は、除染もほとんど手つかずで、
放射性物質を含んだがれきの中間貯蔵施設の設置も具体化しておらず、収束どころ
ではない。福島第一原発の内部においても、とても収束とは言えないのが現状だ。
日々原発のを見ている現場の作業員たちは「収束などとんでもない」と口をそろえる。
収束と言いながらも、原子力緊急事態宣言は解除されていないという矛盾も。「収束宣
言」は政治的なパフォーマンスにすぎず、実態は収束への道半ばなのだ。
・終戦後66年が過ぎた。ある人は「敗戦後」と言われた。広島・長崎に
原子爆弾が投下されて66年。今になって被爆の症状が現れる人もいる。
それはすでに 2世・3世へと受け継がれてしまった。
ナチス・ドイツの「ユダヤ人虐殺」とアメリカの日本への「原爆投下」を
同等と憂える識者もいる。日本は「日米安保条約」によって守られたように錯覚した。
あれだけの原子爆弾(原子力)の威力を見せ付けられたにもかかわらず、アメリカの推進
する「原子力発電」に邁進していった。日本側としては、原子力の平和的利用の推進という
使命感に酔ってしまったのかもしれない。しかし、その「安全性」については、この東日本大
震災によって見事に打ち砕かれてしまった。それだけでなく、第3の被爆地「フクシマ」をつく
ってしまった。
日本が第二次世界大戦に突入する前、何人もの総理がかわった。結局 正しい決断はさ
れず、戦争へと走り出した。
この数年、また日本の総理が次々と入れ替わった。そして迎えた東日本大震災、さらに
福島原発事故。後者はあきらかに人災である。そして 「放射能汚染の脅威」は、まさに
国家主席の判断ミスによる拡大である。かつて「東京裁判」で首謀者は断罪された。
今回の「放射能汚染」はそれ以上になるやもしれない。国民は徹して政治を監視しなくて
はならない。




