・国民と政治家の”心の距離”が遠のいている。

 ましてや、東日本大震災の被災者の方たちとは心も通わない。

 まずは、政権与党が団結をしてこの国難を乗り越えなくてはいけない。

 それなのに一昨日未明まで与党内で不信任案可決、党内分裂・新党結成

 への道筋をつけ、まさに決行せんとした与党代表代行がいる。

 しかし、いざ当日の本会議前の「代議士会」で流れが変わるや否や、本会議を欠席。その取り巻きも

 そうだ。与党で賛成したのは2人(正式には1人)。私は、この2人を讃えたい。 

 政治家として自身の信念を貫いたと言える。与党からは除名されるだろうが、正義の勲章だ。

 野党にも東電と癒着している輩がいる。国民の生命の安心・安全に邁進できないような政治家は

 与野党関係なく辞職すべきだ。

 ・「内閣不信任決議案」が提出された。

 東日本の復興もままならぬこの時に内閣の混乱は避けるべき。

 管総理のもとでは、速やかな震災復興・原発収束が望めない。

 意見は対立している。国民、特に被災者の気持ちはどうだろう?

 「長の一念」という言葉がある。リーダーシップをとれない総理で

 は与党もまとまらない。いわんや、与野党の党派を超えた団結は

 ほど遠い。”総理の品格”とは?もはや一国の問題ではない。

 ただ、忘れないでほしいのは被災地の復興・被災者の救済であって

 政治空白があってはならない。

 ・東日本大震災は、未だに多くの行方不明者を見捨てた

 ままである。一時帰宅をされた方たちの多くは花束を持っ

 ていた。未だその姿を見ることなく心が定まらない・・・。

  この大震災で失った多くの人々の命を無駄にしては

 ならない。被災地以外の私たちは、そこから得る多くの教訓を活かさなくては

 いけない。多くの場合、犠牲になるのは弱者である。災害時、まず我が地域の

 弱者の方々をどう救助していくのか?それを考えるのが「地域ケア」である。

  原発の危険区域については、その道のりがあまりにも遠い・・・・。

 ・我が国は混迷している。この混迷が正邪をあやふやにする。

 何が正しくて、何が間違っているのか。誰も答えられない。

 むしろ間違ったものを隠ぺいする。報道は正しいのか?

 責任ある人が辞任する。もしくは解任?責任はどこに?

 今必要なのは何か。いや、誰か。国民の安心・安全を

 最優先に考えられる指導者。責任ある発言、行動ができる人物。日本が選択を求められているのは

 政策や計画ではない。正しい判断のできる人物である。私は、我が党の党首こそその人と言いたい!

 

 ・日本と言う国の「行方」が問われている。戦後60年が過ぎ、

 悪夢の広島・長崎への「原子爆弾投下」も未だその影響は消

 えていない。いな、被爆2世・3世のことを考えれば、終わりは

 こないかもしれない。

 そこへ今回の東日本大震災。自然災害は免れなくても人災と言うべき”福島原発事故”

 は禍根を残す。戦後、原子爆弾の被爆の影響が未だ消えぬことを想うと東日本を覆う

 放射線は決して微量では済まされない。東電の社員で必 死の思いで終息に向け自身

 の被爆も顧みず作業をされている社員とその家族の皆さん。ふたたび日本を襲う放射

 能の影を高みの見物そうろうの政治家たち。今こそ、日本と言う国が変わときである。

 国民は、もはや馬鹿ではない!

 ・信長の「非情な一面」として”宗教弾圧”が上げられる。比叡山での

 所業などはよく引き合いに出される。

 しかし、信長自身は仏教自体を嫌っていたわけではない。当時の僧

 というのは、ある面「武装集団」とかしていた。組織的にも巨大化し

 教理をかざして信長の政策に異論を唱えた。腰に刀を携帯し、暴動の先陣を切る姿は、およそ聖職者と呼べる者ではなかっ

た。いわばこの時代にはじめて”政教分離”ということをおこなった初めての武将である。信長の信仰心というのは強いものが

あったと推測できる。そして、キリスト教の布教を認めたり、世界観と寛容の精神を持ち合わせていた。

 信長を理解する1つのエピソードとして、彼は「地球は丸い」ということをいち早く理解できたという。

 ・シャカ国カピラバストウの町では、シッダルタ(目的を果たす人)王子を一目見ようと人が集まって来た。

 シュットダーナ王は、アシタ仙人の言葉に不安をいだいた。しかし、仙人は「ある年がくれば自然と悟って、その道へはいるであろう。」というのみであった。

 それまでは普通の王子と同じように、何不自由のない暮らしをつづけるのである。

 ・東北地方をおそった大震災は、改めて日本という国の在り方を問い直している。

 それに気付いている有識者はどれほどだろうか?

 政治家で気づいているのは果たしていかほどか?

 戦後60年、日本は敗戦の焼け野原から復興を遂げた。

 しかし、それは日本の本当の力だったのだろうか?

 第二次世界大戦、広島・長崎への原爆投下、日米安全保障条約と世界における

 日本の果たす役割はなんだったのか?

 今、国難とも言うべき大震災を前にして”新たな国家”としての「日本」が問われる。

 

 ・「ビンラディン容疑者殺害」。ニュースが伝えられたのは、1日の深夜。

 10年前の米中枢同時テロで標的となった首都ワシントンとニューヨークでは、

 歓喜の渦が広がったと言う。

  本当によかったのだろうか?過去の教訓は活かされているのか?アメリカ

 は、民主主義の国ではなかったのか?

 これでまた、憎しみの連鎖がつながった。国際社会の不安はぬぐい去れない。次なるテロの報復は

 どこになるのか?人々は怯えながら生きなくてはならない。憎しみや悲しみは連鎖する。

  人の命の重みは、みな平等である。テロ撲滅に”テロ”では答えが出ない。

 大震災が 教えてくれたもの

 人は 一人では生きられないということ

 支え合い 助け合って 生きていくこと

 大震災が教えてくれたもの

 「想定外」という言葉は 使えないこと

 言葉の重みは 人命にも勝るということ

 大震災が教えてくれたもの

 政治主導は 偽りのものだということ

 官僚の方が 仕事はできること

 大震災が教えてくれたこと

 原発は 安全ではないこと

 科学は 人の心まで 解明できないこと

 大震災が教えてくれたこと

 一番 強いのは 庶民の心であること

 生きていくために 必要な場所は ふるさとであること・・・

 

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