初挑戦でいきなり第4党となり、注目度も高まる

公明党が衆院初進出を果たしたのは、1967年1月29日の第31回総選挙であった。  この選挙で32人を擁立した公明党は、そのうち25人が当選。初挑戦にもかかわらず、自民、社会、民社に次ぐ衆院第4党の位置を占めることになったのである。また、公明党が衆参両院に議席を持つ政党となった記念すべき選挙でもあった。  この時の選挙は、前年後半に政界を揺るがした、自民党を中心とした一連の不祥事による「黒い霧解散」を受けてのもの。永田町を覆う「黒い霧」によって国民の政治不信が高まっていたからこそ、クリーンなイメージの公明党が大きな期待を寄せられたという面もあった。  衆院初挑戦での大躍進によって、公明党に対する注目度も高まった。「毎日新聞」が「責任重大な公明党の今後」と論評する社説を掲載(同年2月1日付社説)し、「朝日新聞」が「衆院の新勢力――公明党の素顔」と題する特集記事を掲載するなど、マスコミもこぞって大きく報じた。

【写真】初挑戦の衆院選で旧東京2区(品川区・大田区・島嶼部)に立候補し、商店街であいさつする公明党の鈴切康雄候補 (1967年1月)