都議会公明党ものがたり
震災対策の“元祖”

調査を基に訴え、全国に先駆けて条例を制定


阪神・淡路大震災で倒壊した木造家屋などを調査する都議会公明の都議ら=1995年2月8日 神戸市内

都庁に約40年間勤めた続訓弘・元都副知事(元参院議員)は「都議会公明党は現場第一主義で、『私心』がない。だから信頼して付き合えた」と語る。その現場第一主義は地震などの非常事態に真価を発揮してきた。1960年代、東京都には嵐や水害に対する防災計画はあったが、最も肝心な震災対策については、ほぼゼロに等しかった。

「震災対策を『都政の柱』に!」。都議会公明党の故・神田学忠議員らは徹底した調査活動を通じ、震災対策の強化を都に迫り続けた。

公明党の粘り強い取り組みが実り、71年に都の震災対策の基本方針を示した震災予防条例が、翌72年には地域防災計画の震災編がそれぞれ制定された。これにより、都内の避難場所や防災備蓄倉庫、地域防災拠点、避難道路などの整備が大きく前進することになった。

防災・減災対策の充実をめざす公明党の闘いは都内にとどまらない。1995年1月17日、阪神・淡路大震災。翌18日、故・桜井良之助都議らは被災地へ。調査活動中、焼け跡で一人の老婦人が誰もいないテーブルに向かって、失った家族に語りかけている姿を目の当たりにした。

「もっと早く救助の手を差し伸べることができたら……」。被災地での調査・復興支援活動を踏まえ、特別救助隊の強化を提唱。翌96年12月、東京消防庁で創設されたのが、ハイパーレスキュー隊(消防救助機動部隊)だ。同隊は、2004年10月の新潟県中越地震で、土砂崩れ現場から幼児を救出。11年の東日本大震災では、救助活動だけでなく、原発事故現場で決死の放水作業に挑んだ。

そして現在―。都議会公明党の議員は「東日本大震災の被災地を絶対に忘れない」と、震災直後から被災地に何度も足を運んでは、観光振興につながる被災地応援ツアーなど復興支援策を次々と提案、実現している。また、木造住宅密集地域の不燃化対策として、独自に特区制度を設け、不燃化対策を講じる建て替えに対する助成金の増額を行うなど防災・減災力の強化に奔走している。

都政初進出から半世紀以上。都議会公明党に脈打つ「大衆とともに」の立党精神が、命を守る防災・減災対策の原動力となった。「安全・安心」先進都市へ、都議会公明党の闘いは続く。

文中敬称略、肩書は当時
2013年5月22日付 公明新聞