がん対策基本法の制定

徹して“患者の目線”から
放射線治療、緩和ケア柱に「先進国」づくりを主導


癌研有明病院で放射線治療施設を視察する党プロジェクトチーム=2006年9月 東京・江東区

2005年春、代表代行の浜四津敏子は、がん患者を取り巻く厳しい現状について、患者と家族の話に耳を傾けていた。「まだまだ国の対策は遅れている。欧米では、がんの罹患率や死亡率が減少に転じる国も少なくないというのに、まるで日本は“後進国”ではないか」。浜四津の危機感は大きく膨れ上がった。

盛大に開催された公明党「がん医療推進シンポジウム」=2006年12月 都内

6月、自ら座長に就任し、顧問に元厚労相の坂口力、政務調査会長の井上義久を配した重厚な布陣の「がん対策プロジェクトチーム(PT)」が発足。患者や家族からの意見聴取、最新医療の現場視察、専門医を講師に招いた勉強会などが矢継ぎ早に行われた。

また、対策強化を望む“国民の声”を反映させるため、厚労、文部科学両省への予算要望、申し入れを活発化させた。

明けて06年1月、取り組みは一層本格化した。19日、PTを「がん対策推進本部」に格上げ。24日には、代表の神崎武法が衆院本会議で「がん対策法の制定を早急に検討すべき」と提唱した。25日は東大附属病院・緩和ケア診療部長の中川恵一を招き、勉強会を開催。終了後も、浜四津、井上らは中川と2時間近くにわたって意見を交換した。

それまでの日本は胃がん中心で、治療法も手術が主流だった。だが、食生活の変化などで「がんの欧米化」が進展。胃がんは減り、欧米型の肺がん、大腸がん、乳がんなどが増えているのに、治療法は従来のまま。欧米では約6割も行われる放射線治療は、日本ではわずか約25%だった。

このため公明党は3月、がん対策法案の要綱骨子を発表し、その柱に(1)放射線治療の推進と専門医育成(2)苦しみを和らげる緩和ケアの早期実施――などを位置付けた。

直ちに自民党に要請し「与党がん対策PT」を設置。医師出身者が中心の自民党を相手に、公明党は“患者の目線”から粘り強く交渉し、公明党の主張を大きく盛り込んだ「がん対策基本法案」を完成させた。

次の難関は野党との交渉だった。民主党代表の小沢一郎が“与野党対決”の構図を一段と強めようとしていたからだ。

ところが、変化が起きた。参院本会議で、自ら「がん患者だ」と語り、与野党合意を求める民主党議員が現れたからだ。対決姿勢を鮮明にしていた小沢は、「これは病気の話であり、政治の問題ではない」という立場に転じるしかなかった。

民主党が反対すれば、国民のひんしゅくは火を見るより明らかだったろう。結局、与野党修正協議は「民主党が大幅の譲歩を迫られた形」(6月7日付「朝日」夕刊)で決着した。

成立後、浜四津、井上らのほか、実務者交渉を担ったPT副座長の福島豊、事務局長の渡辺孝男らも口々に語った。

「公明党の主張を大きく反映した、がん医療先進国・日本への“夜明け”となる基本法だ」

文中敬称略、肩書は当時
2007年2月9日付 公明新聞