〈導入の効果と事例〉ドクターヘリが救った命

実際、ドクターヘリはどのくらい役に立っているのでしょうか? ここでは、リアルな“データ”と、実際にドクターヘリを利用した人の“生の声”を紹介。さまざまな角度から、ドクターヘリの貢献度を探ります。

「命を救われた!」感謝の声が推進の原動力

多くの命を救った実績データから、重要性が改めて認知されているドクターヘリ。しかし、実際にドクターヘリによって救われた人々の感謝の声は、数値以上の説得力を持っています。

迅速に受けた高度な治療のおかげで後遺症なく完治

くも膜下出血、60歳女性のケース

「カーッ、頭が痛い」。
2011年1月25日、山口県在住のY子さん(60歳)は仕事中に突然、頭が割れるほどの激しい痛みと目まいに襲われた。Y子さんはとっさに「くも膜下出血に違いない」と思ったという。母と姉を、くも膜下出血で亡くしていたからだ。

直ちに救急車で市内の病院へ搬送。駆け付けた夫のY男さん(66歳)は、医師から「高度な治療を要しますので、ドクターヘリを手配しました」と聞かされる。
出動要請を受けた山口県のドクターヘリは医師2人、看護師1人が同乗し、同県宇部市の山口大学医学部附属病院高度救命救急センターを離陸。救急車で近くの臨時ヘリポートまで移動していたY子さんを乗せて同センターに搬送した。救急車だと片道1時間以上かかる道のりだが、ヘリは15分で到着。出動要請から搬送まで1時間以内で完了させた。これが2011年1月22日に運航開始したばかりだった同県のドクターヘリ初出動となった。

約10時間にも及んだ手術は無事成功。「九死に一生を得ました」とY子さんは振り返る。術後の経過は順調で、後遺症もなく、3月2日には退院、その数日後には車の運転ができるまでに回復。ドクターヘリをはじめとする、進化した救命医療のおかげで、病気に勝つことができたのだ。
入院中、Y子さんは、テレビで公明党・小泉利治県議の県議会代表質問を見ていた。その際、小泉県議はドクターヘリの運航状況に触れ、初出動で救われたY子さんのことを紹介。これを見たY子さんは「どうしても一筆をしたためなければ」と退院後、小泉県議に手紙を書いた。心を込め、「ドクターヘリ導入を進めてきたのが、小泉県議をはじめとする公明党山口県議団だったと聞き、ペンを取りました。ドクターヘリでなければ、私は生きてなかったと思います。本当にありがたいです」と感謝の思いをつづった。

同年6月、小泉県議と先野正宏・長門市議がY子さんを見舞い、懇談。その席で、改めて公明党の取り組みに対して謝辞を述べたY子さんと夫のY男さんに対し、小泉県議は「命は何ものにも代え難い。さらなる運航態勢の強化に努めていきます」と語った。

山口県のドクターヘリ導入は、公明党山口県議団が一貫して推進し、実現させたもの。2012年3月末時点で出動は194件にも及んでいる。

震災下、土砂崩れにより道路が寸断された集落で…

急性心筋梗塞、68歳男性のケース

東日本大震災から10日あまり過ぎた朝7時過ぎ、福島市に住むK子さん(58歳)は、夫・T男さん(68歳)の異変に気づく。「胸が苦しい……」と言い出したT男さんは、体が汗ばんでおり、みるみるうちに顔色が悪化。

「これは、ただ事ではない!」と思い、病院勤めの経験がある知人に電話すると、「心筋梗塞かもしれない! すぐ病院に行って!」と助言され、急いで救急車を呼んだ。
しかし、震災による土砂崩れで、集落の生命線である国道は通行止め状態。細い山道を迂回してきた救急車が到着したのは8時を過ぎていた。T男さんと共に救急車に乗りこんだK子さんに、救急隊員は「30分以内に処置しなければ、危険な状態です」と告げる。

「道路がこんな状況だし、一体、どうすれば……」。パニック状態の中でそう感じ始めたころ、救急車は意外な場所に停車する。自宅近くにある温泉施設の駐車場だ。
そこへ飛んできたのは「ドクターヘリ」。乗っていた医師の「手術が必要な場合は、処置してよろしいですか?」という問いに応じると、ヘリは瞬く間に頼もしく飛び立っていった。
「夫は助かるかもしれない」。そう願いながら、ドクターヘリの後を追い、夫が搬送された病院に向かったK子さん。到着時はまだ手術の真っ最中だったという。

長い長い時間が流れた後、K子さんは待合室で夫の手術が成功したことを知る。手術後、医師から「ご主人は急性心筋梗塞でした。あと数分遅れていたら、本当に危なかったんですよ」と説明を受けた時は、鳥肌が立った。手術の成功に心底ホッとしながらも、「ドクターヘリでなければ、夫の命は救われなかったということを、まざまざと実感したという。

T男さんは16日間の入院治療の後、退院。夫の笑顔を見ながら、K子さんは感謝の念を新たにしている。「夫の命を救ったドクターヘリを全国へ配置しようと取り組まれてきたのが公明党だということを知りました。これからも、命を救うドクターヘリの配備を各地で進められるよう、心から願っています」。

7分間も心臓が停止! AEDとドクターヘリがつないだ命

心筋梗塞、52歳男性のケース

2009年6月、N男さん(52歳)は、トラックの荷台で作業中に突然、心筋梗塞で倒れる。その際の尋常ではない物音に気が付いた仕事関係者が、N男さんの心臓が動いていないことに驚き、すぐに救急車を呼んでくれた。

救急車が到着し、救急隊員がAED(自動体外式除細動器)を3回使用しても反応はなく、4回目になってやっと心臓がかすかに動き出した。少なくとも7分間以上は心臓が止まっていたという。
一刻を争う中、N男さんはドクターヘリで病院に搬送される。すぐに集中治療室(ICU)に運ばれ、手術を受けることができた。

ただし、倒れて2日後に意識は戻ったものの、予断を許さない状態が続く。妻のK子さんは「ご主人は植物状態になる恐れもある」と告げられた。
しかし、N男さんは驚異的な回復を見せ、倒れてから3週間後には後遺症もなく自分の足で歩いて退院するまでに。担当の医師からは「30人いれば29人は亡くなっていた。九死に一生の体だ」と言われたという。

K子さんは、奇跡のような夫の生還を振り返って、救命医療の重要性を感じている。「AEDで心肺が蘇生し、ドクターヘリで治療を受けながら迅速に病院に運ばれ、すぐに手術、という一連の措置があって夫は助かることができました。AEDとドクターヘリがなければどうなっていたかと考えると、推進役を担ってくれた公明党に対する感謝の思いに堪えません」。
また、N男さん自身も「AEDとドクターヘリがなければ間違いなく生還できませんでした。今後、多くの人がAEDを使用できるようになり、ドクターヘリの運航が全国に広がるよう願っています」と、語っている。
実体験から生まれた言葉は、果てしなく重い。

東日本大震災では被災地に16機が集結

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記憶に新しい東日本大震災でもドクターヘリが運航。2011年3月、東日本大震災の発生後、16道府県の16機が直ちに被災地に派遣され、負傷者や入院患者らの懸命の救出活動に当たったのです。

同月19日、地震発生の前日に生まれて仙台市青葉区の病院に入院していた新生児を静岡市の静岡県立こども病院に搬送したのは静岡県(聖隷三方原病院)のドクターヘリ。この新生児は重い心臓病を抱えていて、被災地では万全の治療態勢が取れない環境に置かれていました。

また、宮城県石巻市で津波に破壊された市立病院からの患者救出にもドクターヘリが活躍。100人を超す患者の搬送には、8病院29人による災害派遣医療チーム・DMAT隊員とドクターヘリ7機が参加。後に自衛隊ヘリも加わり救出は深夜に及んだといいます。群馬の前橋赤十字病院から派遣された町田浩志医師は、「とにかく津波警報が鳴る中での懸命の作業でした」と語りました。

地震発生の翌日、ドクターヘリで被災地入りした山口大学医学部附属病院・高度救命救急センターの笠岡俊志准教授も、石巻市立病院の患者らを搬送。笠岡准教授は「医療行為を続けながら患者を運べる点が防災ヘリとの違いだ」と、その有効性を強調しています。

2012年3月、四国で初めて高知県に導入されたドクターヘリの初出動は、東日本大震災の被災地派遣。津波被害が甚大な岩手県大船渡市や釜石市からの患者搬送に力を発揮しました。