主張問われる大人社会の“本気度”

公明新聞:2017年2月20日(月)付

どれほど辛く苦しかったことか。幼い心に刻まれた傷の深さを思うと、何とも言い難いやりきれなさが込み上げてくる。胸が痛むばかりだ。

「いじめ」を苦に自殺する子どもが後を絶たない。

今月だけを見ても、6日に愛知県一宮市の中学3年生の男子生徒が大阪市内で飛び降り自殺。11日には、福島県南相馬市の中2女子生徒が自宅で命を絶った。

昨年11月、新潟市の男子高校生が電車にはねられ死亡したのも、いじめによる自殺だったようだ。悲痛な叫びが遺書に綴られていた。「生き地獄のような毎日でした」と。

横浜市では、原発事故で福島から自主避難した中1男子生徒が、「菌」呼ばわりされるなど陰湿ないじめにあっていた。「なんかいも死のうとおもった」が、「しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」という生徒の手記に、涙した人は少なくなかったろう。

この事件を機に、「震災いじめ」が各地で起きていることも分かった。この中の誰一人として死なせない。関係者は改めてそう心に誓い、細心の注意を払い続けてほしい。

一連の「いじめ事件」を見ていると、そこには共通する問題があることに気付く。ひと言で言うなら、学校や地元教育委員会の“鈍感さ”だ。

例えば、横浜市の震災いじめ。学校や市教委は男子生徒に対するいじめの実態を知っていたのに、積極的に動くことはなかった。一宮市や南相馬市の事例も同様だ。なぜ、対応が遅れたのか。感覚が麻痺していたと見るほかない。

深刻化するいじめに、国のいじめ防止対策協議会は、国の基本方針を改定することを大筋了承した。原発避難する児童生徒らへのいじめ防止と早期発見などを新たな項目として盛り込む予定だ。これを受けて、学校が独自に作る基本方針も見直されることになろう。教育現場の意識が高まることを期待したい。

ただ、全てを行政・学校任せにするだけでは不十分だ。家庭や地域も子どもを守る責任を改めて自覚し、“もう一つの学校”としての役割を積極的に果たす必要がある。

いじめ根絶へ、大人社会の“本気度”が問われていることを強調しておきたい。

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