自公政権の中での公明党の役割
今から20年前の1999年10月に公明党が自民党と最初に連立を組み
民主党政権の3年半を除いて「自公」連立は16年以上続いている。
公明党はその前1993年に非自民系内閣細川内閣で連立政権を経験している。
社会党、新生党、公明党、日本新党など8党・会派が連立して
内閣支持率として空前の71%を獲得したが
財政再建をめぐり消費税増税に絶対反対の社会党との調整ができず、
9ヶ月の短命に終った。
また、2009年に成立した民主党を中心とする連立政権は
翌年、普天間基地の移設問題をめぐって社民党が連立を離脱し
鳩山由起夫内閣が退陣し菅直人内閣に交代した。
菅直人首相の消費税増税発言もあり参院選で敗北し
以来、ねじれ国会となり民主党政権は迷走し
野田佳彦内閣で崩壊した。
自公連立政権は、長期にわたり政策的に大きな違いがあるにもかかわらず
両党の合意形成がなされている。
今や、世界の主要国でポピュリズムが蔓延し、
政治が極端に引きずられているなかで、日本は安定した政権運営が続いている。
少数派でありながらも対等な発言権を持つ公明党
自公は、毎週2回、与党政策責任者会議を開いている。
両党は議席数でかなりの差があるにもかかわらず、
与責は基本的にほぼ同数で内閣提出法案などは、
ここで協議と調整が図られる。
また国会の開会中は毎週水曜日に与党幹事長・国対委員長会談で
かなり激しい協議を重ねる。
こうした会議では両党の発言力は対等であり、全会一致で運用される。
今の野党はエキセントリックな政権批判は繰り返しても、
実質的に健全なチェック機能を果たせていない。
理念や政策に差異のある公明党が連立にいることが、
自民党へのストッパーとなり、
自民党には中道寄りにウイングを広げる契機となる。
両党には政策の違いを乗り越える知恵と経験、互いの信頼感がある。
重要な公明党の役割は、社会的弱者の味方という立場
さまざまな意見を糾合し小さな意見を聞いて、
幅広い合意をつくるのが、公明党の役目とし
人々の生活を向上させるための地道な福祉や景気対策がある。
児童手当の拡充、がん対策基本法の制定、出産一時金の増額、
奨学金制度の拡充、バリアフリーや循環型社会の推進、
無年金障害者の救済、女性専用車の拡大、女性専門外来の整備、
臍帯血移植の推進、軽減税率の導入、中小企業支援策 など、
極めて生活に密着した各種の政策である。
こうした政策は、公明党が政権に入ってこそ実現できる。
自公連立政権は「政策の距離の遠さ」を不安定要因にすることなく、
むしろ幅の広い政策実現を可能にする基盤に転換しているのだ。