Archive for 2010年 11月

 

2010年11月29日(月)

横須賀市議会 臨時会

 横須賀市議会は29日開会の臨時会で、来春の市議選から議員定数を現行の43議席から41へ削減する、議会基本条例の改正案を賛成多数で可決成立した。

【議員定数削減の推移】

横須賀市議会の議員定数は、48議席をピークに、1995年から46に、2003年から45に、2007年から43へと過去3回にわたり、議員提案で減員してきた経緯がある。

【今回の議論の経緯】

今回も『第3次議会制度検討会(山本文夫委員長、板橋まもる副委員長)』において、議員定数を含めた地方議会のあり方について、延べ9回にわたり熱心な議論を重ねてきた。  

しかし、議員定数については、絶対的な判断基準がない中でこれまでも議論されてきた経緯があるため、私たち公明党は、削減数ありきの目先の議論に終始することなく、一定の根拠を市民に提示することから議論を始めることを提案。具体的には「人口1万人に対して議員1名」が妥当ではないかと主張。これをもとに議論がスタートしました。その後の議論で、①人口を基準とした41議席 ②有権者数を基準とした37議席 ③現状維持の43の3つの選択肢に収斂されて行きました。

【公明党の考え】

 私たち公明党市議団が、今回の定数問題の論議で、「2減の41議席とすべき」と主張した理由は次の3点です。

① 現在の地方自治法上の規定では、横須賀市の人口規模から、議員定数の上限は46議席となっているが、既に横須賀市は人口減少社会に突入しており、2025年には38万人まで減ることが予測されている(人口動態調査)。今後も人口が減少してゆくことが想定される中で、人口に連動して議員定数を定めていくことは、市民の理解も得やすいのではないかと考える。したがって、現在の横須賀市の人口規模からして、41議席が妥当と考える。

② 一部の会派から議員定数の根拠を人口規模ではなく、有権者数とすべきとの案(6減の37議席)も提案された。しかし、私たちはこれからの横須賀の街づくりは、未来を担う子どもたちを含めた全市民を対象とすべきであることから、有権者数ではなく人口を基準とすることが妥当でると考える。

③ 横須賀市の財政状況は確かに逼迫しており、財政面の上からも、議会が自ら身を削り、範を示すことも大切な視点です。しかしその一方で、地方分権の時代に、多様な市民ニーズを行政に反映するためには、適正な議員数は必要であり、むやみに削減すべきではない、との考え方もあります。私たちは、この二律背反の命題を克服するためにも、人口を基準とすれば2減となり、経費削減効果に寄与するとともに、極端な削減案(6減の37議席案)に対して、民意の反映という議会の健全性も担保できると判断した。

【有権者が創る今後の議会】

市民の負託にお応できる議会となるための唯一無二のキーワードは、『議員の質的向上』に尽きる。質の高い議員が結集する議会を構成することが、民主主義のコストパフォーマンス(最小の経費で最大の効果)を考えれば、最も市民の利益につながることは間違いない。質の高い議会を構成するのは選挙民である有権者の審判でしかないのは言うまでもない。

そのチャンスが、来春の横須賀市議選である。今回、議員定数が41となって初めて実施される選挙だが、定数を大幅に上回る候補者が多数立候補し、これまでにない激戦と言われている。時代状況を反映してか、{就職活動?}と思われる方もいると聞く。高い志と政治への情熱など、私を含めた候補者本人の資質を十分にご判断頂き、有権者の皆さまの懸命な審判を真摯に仰ぎたいと思っている。

11月25日(木)午後1時30分

中学生“自分再発見”プロジェクト

市立追浜中学校にて

フリーターやニートなど、若者の無就業が社会問題となっています。横須賀の未来の産業人を育成するための『産学官連携プロジェクト』それが今話題の、中学生“自分再発見”プロジェクトです。これは横須賀市および横須賀市教育委員会、そして横須賀商工会議所の3者が連携し、中学生を対象に職業観、就労観を刺激、啓発することを目的に、平成20年度から実施されている全国でも大変に珍しい実践型のプロジェクトです。商工会議所が市内の協賛企業を募り、その企業が中学校に出向いて、わが社の業務内容の紹介や社会的な役割、そして経済活動を通じての社会貢献などを分かりやすく解説。その課程を通して中学生たちは、働くことへの興味や喜びを感じることができる。まさに、キャリア教育にふさわしい事業として、今全国から注目されている現場を視察した。今回の実践の舞台は追浜中学。子どもたちの目が、とてもいきいきしているのを肌で感じることができた。

11月21日(日) 午前11時

第58回 防衛大学校 開校記念祭

 58回目を迎えた防衛大学校の開校記念祭に参加させて頂いた。防衛大学と言えば、わが国の安全保障を担う人材の育成に極めて重要な役割を果たすべき最高の高等教育機関である。

その一方で、昨年の政権交代以降、普天間の移設問題を皮切りに、尖岳諸島沖での中国漁船衝突事件、そして北朝鮮の韓国への砲撃事件など、わが国を取り巻く安全保障環境は極めて不安定な状況にある。そんな中で行われた今回の開国記念祭。五百簱頭学校長の式辞の内容に衆目が集まったことは言うまでもない。以下、学長の式辞の一部を紹介しょう。

『今では一般になじみの少なくなった古き良き言葉「矜恃(きんじ)(※注)」を、学生諸君は開校祭のテーマに選んだ。「横綱としての矜恃」という。最高の地位にある者としての誇りである。「聖職者としての矜恃」という。特別に崇高な任務を帯びる職種にある者は、普通の人が犯しがちな間違いをしない。事によれば、人のために命を捧げるかもしれない。そういった高きたたずまいを漂わせる「矜恃」である。国と国民を守る任務に立ち向かう防大生のこの言葉には感慨深いものがある。』

今回の開校祭で、自らにこの言葉を課した防大生であるが、彼らが晴れて幹部自衛官になるまでに、彼らの最高指揮官となる「内閣総理大臣としての矜恃」に何よりも期待したいと感じているのは、私一人ではないと思う一日であった。

(※注) 自分の能力を優れたものと信じていたいという誇り、自負、プライド。特別な職種・地位・最高の地位、特別な任務。

11月21日(日) 午前9時30分

第13回 学童保育まつり

ウェルニー公園にて

 皆さん、「学童保育」ってご存知ですか? 昔は親の都合で「カギっ子」と呼ばれていた子どもたちを「安心して放課後が送れるように」との地域の方々の思いから生まれたのが、学童クラブです。

横須賀市内には55もの学童クラブがあります。その背景には、小学生を持つ母親の約過半数が働いていて、子どもたちの放課後の居場所が必要だからです。もちろん、県・市ともに財政的な支援はもとより、多角的に子育て環境の整備には努力しており、各地域に根を張る学童クラブの活動を支援しています。

13回目を迎えた今回の学童保育まつり。多彩なイベントや模擬店など、将来を担う子供たちにエールを送ろうと、私も関係者の皆さまとともに参加させて頂きました。

11月20日(土) 午後2時

yokosuka観光フォーラム2010

横須賀市文化会館 中ホール

 

 【動き出した横須賀元気プロジェクト】

観光をキーワードに、地域活性化の活性化を探る「yokosuka 観光フォーラム2010」に参加した。当日は、どぶ板通りで衣料品店を営む川口泰弘実行委員長が「横須賀の観光の現状」と題して一般報告を行った後、中小企業応援コーディネーターの木村乃氏が基調講演。同氏は三浦市で成功しているフィルムコミッション事業の仕掛け人。名所・旧跡に頼るような従来型の観光開発では未来の展望が開けない。「ケンミンショウ」や「アド街」がなぜ人気番組として高視聴率を維持しているのかを紹介しながら、他の地域から訪れる人々が興味を抱くのは、その土地ならではの地域文化そのものに触れること。「のぞき見」や「疑似体験」志向であると指摘。これを横須賀に当てはめれば、普段見ることができない米海軍基地などは、それを実体験できる唯一無二の観光資源であり、まさに他都市にはない横須賀の独自性であると強調した。

【海軍カレー・ネイビーバーガーは、横須賀市民に本当に愛されているのか?】

その一方で、横須賀の集客促進のためのアイテムとして事業展開している「ヨコスカ海軍カレー」や「ネイビーバーガー」などのご当地グルメに関しては、「市民にどれだけ日常食として受け入れられているかが大切。佐世保では飲んだ後はラーメンではなく、佐世保バーガーが市民の間に定着しているとの事例を紹介しながら、自分が本当に好きで、親戚や友人に食べさせたいと思える程(お中元やお歳暮に贈りたい)になれば、地域の定番として根付いていく。」と締めくくった。

【プロジェクトを盛り上げる市民力に、議会も乗り遅れるな!】

 

 今回のフォーラムに参加してみて、議会側の反応が今一つだったことが、私としては気がかりです。何かと忙しい今日この頃であることはお互い様。市民発のまちおこしプロジェクトを、議会もともに盛り上げていくべきテーマであることは間違いない。観光(食文化)はこれからのまちおこしの起爆剤。公明党は志ある市民や団体の皆さまとともに、このプロジェクトを盛り上げていきたいと考えています。

亀井県議をはじめ公明党の市会議員団はこのプロジェクトを心から応援しています。

一緒に頑張りましょう!

11月20日(土) 午後1時30分

第38回 クリーンよこすか 中央会議

横須賀市文化会館 大ホールにて

 昭和49年以来、「きれいな街よこすか」を目指して、活動を続けてきた「クリーンよこすか市民の会」。その活動の輪は大きく広がり、小中学生も積極的に参画するようになってきました。今回の中央会議では、今年度に小中学生を対象に実施したポスターや標語コンクールでの入選作品の顕彰や、諸団体の活動報告、そして今後の活動についての市への提言など、更なる活動の広がりが期待できる内容となった。

 

11月19日(金) 午後2時

横須賀市立看護専門学校 第7回戴帽式

横須賀市文化会館 中ホールにて

 

 第7回 横須賀市立看護専門学校の戴帽式に参加した。この専門学校は、旧国立横須賀病院時代に、看護師を養成するための専門学校として国が運営していたものを、平成16年に横須賀市が国から病院の移譲を受けるのと併せて引き継いだ学校である。以来、今年の4月で7期生の生徒たちが晴れて入学。前期課程の初期研修を経て、いよいよ本格的な看護師としての実習を開始するに当たり、看護師としての自覚と誓いを促すために実施されているのが戴帽式である。今回は36名の学生が晴れて憧れのナースキャップを手にした。

  これから2年半の本格的な実習を受けた後、学生たちは看護師として巣立っていくわけだが、看護技術の習得はもとより、患者さんに勇気と希望を与えられるような人間性豊かな看護師に成長してもらいたいと心から念願する。

11月19日(金) 午後1時30分

湘南アフタケア創立60年記念式典・感謝の集い

メルキュールホテルにて

 社会福祉法人湘南アフタケア協会の創立60周年記念式典に出席いたしました。同協会は神奈川後保護施設、重度神奈川後保護施設として、内部障害のある方、及び肢体に障害のある方の社会的自立や社会参加を促進するための更生施設です。重い病に罹り入院した場合、すぐに社会復帰することは難しいため、退院「後」のフォローアップが必要です。その役割を担ってきたのがまさに、協会の皆さま方です。しかも、60年前と言えば、今のように行政の支援体制が確立していなかった時代です。これまでの協会の皆様のご尽力に深く感謝を申し上げるとともに、今後もしっかりと支えていきたいと決意を新たにしました。

2010年11月13日(土) 午前11時

ヴェルニ―・小栗祭式典

ヨコスカ・ベイサイド・ポケットにて

 恒例のヴェルニ―・小栗祭の記念式典に参加しました。

日本の近代化の礎を築いたお二人の業績を偲んで、毎年開催されるこの式典は、横須賀の史実を語るうえで、大変に重要な4大式典の一つであります。今年は横須賀市の姉妹都市であるヴェルニ―の出身地であるフランスのブレスト市から、2人の副市長さんが来横し、式典に花を添えてくれました。

【取材メモ】  横須賀製鉄所の歴史とヴェルニ―・小栗祭式典とは?

横須賀製鉄所は、慶応元年(1865年)徳川幕府の勘定奉行(財務大臣)であった小栗上野介忠順とフランス海軍技師フランソワ・レオンス・ヴェルニ―により着工された。明治4年(1871年)に横須賀造船所と名称が変わる。その後、鎮守府造船部などと改称され、明治36年(1903年)に横須賀海軍工廠(現在の米海軍横須賀基地内)となる。

 横須賀市では、わが国の近代化と本市発展の礎となった横須賀製鉄所建設に功績のあった小栗上野介忠順とフランソワ・レオンス・ヴェルニ―の偉業を後世に伝えるため、昭和27年(1952年)からこの式典を毎年実施している。

2010年11月13日(土)午後12時

市民交流会

ヨコスカ・ベイサイド・ポケット ロビーにて

式典終了後には、同会場のロビーにて式典に参加された市民の皆さんとともに、市民交流会が開催され、和やかな時間を過ごすことができました。

2010年11月13日(土)午後2時

江戸湾警備200周年記念講演「会津藩と三浦半島」

ヨコスカ・ベイサイド・ポケットにて

講師:横須賀郷土史家 山本詔一氏

 引き続き開催された記念講演では、横須賀の郷土史家で知られる横須賀開国史研究会会長の山本詔一氏を迎えて、会津藩と三浦半島との深い繋がりについて講演して頂きました。会津藩士たちが幕府の命を受けて、家族ぐるみで横須賀に移住してきたことや、三浦半島の住民との心和むかかわりなど、大変に興味深いお話をお聞きすることができました。

 また開会に先立ちまして、友好都市締結5周年を記念して、会津若松市の菅家市長が横須賀市と会津若松市との関係にについて、三浦一族時代から深い繋がりがあったことを紹介するなど、相互交流の深化を感じさせた。

【取材メモ】  横須賀造船所の労働時間はどれくらい?

明治時代以前の日本では、陽があるうちに働くのは当たり前の世界であった。しかし、造船所では西洋時間で10時間労働と決めた。明治5年の記録では、夏季は午前6時30分から午後5時30分まで、冬季は午前7時から午後5時までで、昼食が共に1時間あるので、実動が9~10時間労働であった。この労働時間はその後、多少の変動はあったものの、長く維持された。

 西洋式時計など持たない当時の日本人はどのようにして時間を知ったのであろうか?ひとつは始業時間の30分前に鐘が鳴らされていた。当時は今と違い騒音などなかったので、かなり遠くでも聞こえたのであろう。また、船舶が使用するロープを編む製鋼工場に時計台があった。時計台には四方に時計が備えられ、製鉄所のシンボルであるとともに、この時計が製鉄所の基準時間となって時を知らせた。 これだけがんばってもフランス人に言わせると、「日本人はもっとも時間にルーズな国民」であり、この習慣を脱却させる方法として、始業時間を15分遅れた場合には欠勤としたとされている。

2010年11月3日(水) 午前9時30分

第8回観音崎フェスタ

県立観音崎公園にて

 恒例の観音崎フェスタが今年も盛大に開催された。この催しは、浦賀の観光協会や地元鴨居地区の町内会をはじめ関係諸団体が協力し、観音崎の魅力を内外に広く紹介しようと、8年前から始まった『観音崎フェスタ』は今や横須賀の一大イベントに成長しました。今年も3万人を超える来場者に会場は大変に賑わいました。私も開会式で議会を代表して挨拶をさせて頂きましたが、地元の皆さまの熱き思いに敬服するばかりでした。

 開会式終了後に、模擬店を回らせて頂きましたが、麺以外すべて手作りという、本格的なラーメンを提供してくれた某町内会の皆さんの意気込みには正直言って脱帽しました。本当に「おいしかった」です。

【取材メモ】  観音崎にガリバーが上陸?

 アイルランドの作家、ジョナサン・スウィフトが1726年に出版した「ガリバー旅行記」には、1709年5月「日本の南東部にあるザモスキという小さな港町に上陸した」とあり、これを観音崎とする説がある。また、三浦按針は単身赴任であったため、英国に残した妻に送った書簡などをスウィフトは日本の記述部分の参考とし、按針を主人公のモデルにしたとの研究もあるようだ。今年は、按針が伊東市(静岡県)で建造した洋式帆船「サン・ウェナ・ベンツーラ」号が浦賀港を出港、太平洋を横断してメキシコに到着して400年に当たる。8月に伊東市で開催された「按針祭」に横須賀の代表団が参加した返礼として、伊東市所有の同船の模型(全長5m35cm)を会場内に展示した。ちなみに、日本で初めて太平洋を横断したとされる咸臨丸は、今年でちょうど渡航150周年に当たるが、遥かそれ以前に、太平洋を渡っていた史実があったことを知り大変に驚いた。

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