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秘書時代には数々のご相談を伺いました。少しご紹介しますと・・・、


●「悪質な訪問販売員と対峙し、契約を白紙にした」

 九州方面から来る、寝具などの押し売り業者。玄関の鴨居の上には、「ここはやりたい放題」との印も。

 お年寄りが一人暮らしであることに付け込み、年金では払えない(月の年金額の倍以上)位のクレジットを、組ませていました。

 地元の議員と連携、その販売員とも直に接触。販売員を問い質し、その会社にも猛抗議を行いました。販売員も社長も、侘びを言うわけでもなく、平然と「契約書にサインがありますから」との一点張り。頭に来た私は、弁護士に依頼し、司法の手に委ねました。時間はかかりましたが、組まされていたクレジット契約はすべて白紙撤回となりました。


  ●「交通事故専門の病院を探して、入院を実現した」 

 女の子が登校時に、車に跳ねられ、頭に強いダメージを受けました。一次対応で地元の病院へ。すぐに、大学病院へ搬送。大学病院で手術・治療が行われました。

 3ヶ月が経過し、大学病院側は改善の見込みが極めて少ないとの見解を出し、退院を勧告。どこか別の入院先を自分で探すように、家族に申し渡しました。ご家族は居てもたってもいられず、私のところにもご相談がありました。

 何としても、娘を治したい。きちんとした病院に入れたい。きちんとした病院と言うよりも、交通事故による脳障害で、数パーセントの可能性でも治療に当たってくれる、病院を探して入れたい、ご家族の悲痛な叫びを伺い、何としても高次脳機能障害の専門病院入院を勝ち取りたいと決意しました。

 当時、交通事故専門の医療センターは、全国に3箇所ありました。いずれも、母体は政府出資法人の病院、いわゆる「国立」でした。西日本では、岡山にその医療センターはあり、何としても入院を勝ち取りたい、私も微力ながら動きました。

 当時、桝屋議員は行政改革担当の仕事をしていました。いわゆる、「ムダゼロ、ムダ削減、事業仕分け」の担当で、政府出資法人をフルイにかけて、存続・民間委託譲渡・廃止、を判断する中心者でした。

 その専門医療センターも、まさに“行革”の波の中、存続or整理統合or廃止の議論の俎上に上っていました。

 桝屋議員は、与党・公明党を代表して行政改革を進める立場。其原秘書は、そのセンターへの入院を何としても勝ち取りたいという立場。単純には、議員と秘書とが真っ向から対立する構造で、本当に大変な作業でした。

 一瞬でも気を抜けば、潰されたくないセンターは、この案件を材料に、桝屋議員を襲ってきます。行革を真正面からぶつければ、入院希望は叶わなくなります。難しい案件でした。私自ら、専門医療センターへ患者の状況説明や、病院側へのヒヤリングを行い、各関係機関とも連携をとり、進めてまいりました。

 苦渋の中、もちろん、桝屋議員にも「一人の命を救う」立場で、知恵を絞っていただき、何とか入院を勝ち取ることができました。


●「不当に打ち切られた生活保護を復活させた」

 夫、妻、一女(高校)の3人家族。OBとなった議員の現役議員当時のアプローチでこれまで生活保護を受け、夫婦共働きで何とか生計を維持していました。

 福祉事務所より生活保護を打ち切られ、大変に困っているということで、状況を伺いに直行。聞けば、ご主人は多くの支援者から仕事を紹介されるも、短ければ1日、長くても3ヶ月といった具合で、仕事が長続きしない。これまで何度も仕事を変わってきたのでした。しかしながら、支援される方々が粘り強く紹介をしては、仕事に従事するといった具合で、何とか生活ができていたようでした。

 私が受けた印象では、この夫の“話し方”“受け答え”から、知的障がいか何かの障がいをお持ちではないか?と感じ、市役所に行きました。

~当時のやりとり【要旨】~
市役所担当 「就職指導をしているが、働く意思がまったく感じられない。就労をしないので就労指導を口頭指導、文書通知による指導をして半年が経過したので、生活保護を打ち切った」
其原 「話をしていて、受け答えが通常ではないと感じなかったか?障害があるかも知れないとは思わなかったか?」
担当 「会話も出来るし、受け答えもできる。障害があるようには感じない。この人は働く気が無いだけです」
其原 「私が予想している障害が認められれば、生活保護は復活させるか?」
担当 「障害が認められれば、生活保護は復活できます」

 市役所の担当者の横柄な態度と、悪びれる様子も無い発言に、頭に来ていた私は、半ば対決姿勢のまま、私はそのご主人夫と共に「知的障害者更正相談所」を訪ねました。専門員に診断をしてもらったところ、「就労は非常に難しい重度な知的障がいが認められる」との判定が出ました。

 すぐに、市役所を再訪。担当者に状況を詳らかに話しましたが、横柄な態度は変わっておらず、生活保護復活も手続きに時間が掛かるなどと、寝ぼけたことを口走ったので、「職務怠慢」であることを指摘、市長に申し入れを行い、桝屋からも関係機関を通じて対処を考える旨を話したところ、今さらながらに驚いたようで、すぐに生活保護を復活させました。

※ 障がいがあるかないかについても、本当は市役所の担当ケースワーカーが把握しておくべきであり、本当に困っている人を冷たい対応で打ち切った姿勢に、本当に怒りを感じました


● 「交付が難しいと言われた方の原爆手帳の交付を実現」

 証人も証拠となる書類などもなく、途方にくれておられたかたのご相談。話を伺い、県庁へ交渉をしにいきました。担当者と話し合いを重ねる中、当時の証言をしてくださる方の申述書でもOKとの結論に達することができ、時間が掛かりましたが、手帳交付が実現しました。


其原義信ツイート
公明党広報ツイート
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