先日、市議会総務企画委員会での視察研修として、陸前高田市を訪問した。
3.11の東日本大震災の折、4月と8月に東北に足を運んだが、特に陸前高田市の被災の状況は忘れることが出来ない。
当時、津波にすべてが破壊されたと言っていい沿岸部の市街地を見て、ただただ唖然とするばかりだったが、平野の形状や大きさが田辺市の沿岸部とよく似ていて、田辺市でも大津波災害が起これば、このような状況になる可能性があるのだと深く認識した。
陸前高田市の、あの被災地が現在はどのような復旧復興を遂げ、どのような姿になっているのかを見てみたいという思いが以前からあった。
現地は、国道が以前と変わらず通っている以外は、すべてが更地になっていて、町すべてが消えている。どこが以前の何町なのかも、市の担当者でさえ分からないそうだ。
海岸線にそって大きな防潮堤が出来、市街地の更地には、隣接する山をまるまる削って運ばれた土により、盛り土かさあげが行われていた。
盛り土で町全体を高くしてから、被災された市街地の方が戻ってきて住むことになるそうだが、全ての方が戻ってきて、盛り土をした住宅地が家で埋まる事はないだろうとの話だった。
行政の方々とすれば、市域再生の為に、国の支援を受けながらベストな方法を選択し、最大限の努力でここまで頑張ってきたのだろうと思うが、更地を見ていると、消失した町、建物、そこにあった文化や歴史を今後、取り戻していくことが本当に出来るのだろうかという気持ちになってしまった。
しかし、復興の方策にどのような形を選択しようとも、再び息づいた生活をしながら、歴史文化を継ぎ、町を作っていくのは「人」なのだろう。
長い歴史の中、災害と向き合いながら逞しく生きてきた「人」が又、この町にも活気を生む事になるんだろうと思い直した。
盛り土をしての市域全体のかさ上げが、最善の策であったとは思えなかったが、現地に足を運んで目で見て感じた事には、大きな意味があった視察だったと思う。

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田辺市 小川浩樹
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