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石巻市では東日本大震災で被災の大きかった地域を観光ボランティアさんの案内で現地視察し、震災当時の状況と現在の復興状況から、大震災に備えるべき教訓を学びました。

観光ボランティアさんから語り伝えていただいた体験談を抜粋して紹介します。

「2011年3月11日午後2:41 海岸線に近い職場にて震度6の地震発生。座っていられず四つん這いのまま約3分間揺れが続き、その後2〜3メートルの津波が襲う。午後4:10には3波の泥水で浸水。ガレキと運転席でハンドルを握ったままの車が流されるのを目撃。地面が見えたら外へ出ると決め、人生で一番長い3泊4日を経験。

一つの学校に3000人から4000人が避難。被災地を見渡した限り、片付けに一年はかかるだろうと想像していたが、地元の大学にボランティアセンターを設置できたおかげで5月から食料持参のボランティアさんの力を借りて3ヶ月余りで片付けが終了。今でも全国からの支援に対し感謝の気持ちでいっぱいです。

仙台平野は津波が来ても70センチほどの床下浸水くらいだろうと言われていたが、想定外の5メートルの津波が襲った。地下インフラ沈下のため一からの再生が必要なため時間がかかり、7年7ヶ月経った今でも区画整理中の地区がある。

震災前は石巻で一年間に発生するガレキは6万トン。震災後は428万トンが集積された。60年分にあたる。ガレキ処理はセシウムの問題があったが受け入れてくださった自治体のおかげで3年間で処理完了。ただガレキ受け入れで自治体によっては賛否があったのが残念。

産業系の復興は進んでるが、生活再建においては未だに約2000件の仮設住宅に住まわれている方々がいらっしゃる現状も。

9日目で最後に救出されたおばあちゃんと孫。家が流されガレキで出られず2人で2階にあった冷蔵庫の中の水分だけで命をつなぐ。今はお孫さんが石巻市に帰ってきて復興に携わる仕事をしている。

毎月避難訓練を実施していた保育所は全員高台に逃げ助かった。

海岸線に居住している人の心得として高台へ逃げる、家族で待ち合わせ場所を2箇所決めておく、探している人に会えるまでメモを必ず置くなどを伝えたい。」との生の声に改めて我が地域の防災・減災についてさまざま考える経験となりました。

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サイト管理者
竹内 伸江