高槻市議会議員 吉田あきひろのごきんじょニュース

“あ”したの “き”ぼうは “ひ”とりの人を思う ここ“ろ”から

たかつきニュース

□街宣活動 いいね!!たかつき 党活動 高槻市HPへリンク / 2019年3月2日

三つの話題

IMG_3855春の気配を感じる晴天の土曜日。寒い冬を耐えてきた桜も芽吹きそうな感じ。今日も一日よろしくお願いいたしますと朝のスタートから、訪問活動でたくさんの激励とご意見をいただきました。皆さま、ありがとうございました。

さて、私が選ぶ高槻の三つのいいニュースです。

一つ目は、高槻市の新たなシンボルとなる甲子園球場5個分(約22ヘクタール)の広大な「安満遺跡公園」、その一部が3月23日(土)にオープンするニュース。市のホームページから

オープニングイベントでは、みんなで記念式典でのテープカット(先着100名様限定)ができることや、安満人倶楽部などによる体験型プログラム「1000人の足あとアート」、縄文・弥生人コンテスト、美味しい食べ物などが盛りだくさん!! らしいです。

新しい公園で思いっきり遊ぼう!!と・・・市のホームページ、安満遺跡公園オープニングイベントの開催について

二つ目のニュース、「合葬式墓地」が4月1日にオープンします!! オープンに先立って、3月21日(木・祝)、合葬式墓地の開所・お披露目会が開催されます。当日は、合葬式墓地の除幕を行う開所式と市民の皆さんに職員から施設の説明をされるお披露目会。参加は自由となっているそうです。ぜひぜひ。

合葬式墓地は、個人や家族単位で個別に墓石を建てる墓地とは異なり、ひとつの大きなお墓に焼骨をまとめて埋蔵する墓地で、管理される人がお亡くなりになっても、将来の墓守の負担や承継などの手続きの必要がなくご使用いただけます。市のホームページより

最後、三つ目は、高槻市と西日本旅客鉄道(JR西日本)とのまちづくり連携協定の締結。今日の新聞で報道されていましたね。駅周辺や鉄道沿線において相互に連携し、都市の持続的な発展を図ることを目的に、昨日「まちづくり連携協定」の締結が行われました。

内容は、高槻東部地域における新たな市街地形成と新駅設置等の可能性検討。西部地域における踏切課題の解消。駅を中心にしたコンパクトシティ・プラス・ネットワークの実現。定住人口、交流人口の拡大に向けた都市基盤の整備。その他、鉄道と連携したまちづくり。等々に関すること。

いいね!! たかつき。たかつきニュース。今も前進しています。 私たちも要望・推進してきました。

春が近づいているような火曜日の朝

□ホームページ □街宣活動 いいね!!たかつき 党活動 安心実績ナウ 高槻市HPへリンク / 2019年2月26日

今朝は阪急高槻市駅前から

IMG_3744春が近づいているような火曜日の朝。林けいじ大阪府議会議員らとともにはじまり、地元のバス停交差点でもごあいさつを。たくさんのご声援に感謝。皆さま、本日もよろしくお願いしますとの思い。

マイクを持って、私の方からは「住んで良かったまち・高槻」のビッグプロジェクトをご紹介。JR高槻駅の新ホーム完成から昇降式ホームドアの設置やスライド式ホームドアの設置工事で安全・安心が進んでいること。また、新名神高速道路の完成で既存の名神高速道路と併せてWネットワークが整備され、利便性の向上や渋滞緩和などの成果も上がっていること。

さらに3月23日オープンする安満遺跡公園の一次開園をご紹介。

約2500年前に弥生時代の人たちが生活の場所に選んだところ、その営みが現在に息づき、国宝級の石器が土器が発掘。高槻のシンボルといっていいような安満遺跡公園。この場所で、未来を担う子ども達が屋内外で思いっきり遊べる施設や、コーヒー片手におしゃべりしたり、お散歩やジョギングも楽しめる、みんなの憩いの場としての公園がオープンします。

甲子園球場5個分、約22ヘクタールの広さを持つ安満遺跡公園。どうか開園をお楽しみいただきたいと思います。全面開園は2年後です。

また、先駆けて公園の地下には2万リューベーの雨水貯留施設が設置、防災・減災についても防災公園としての位置付けもされています。

そして隣接する市街地には、子ども未来館が4月オープン。特長として、公明党議員団として、今まで要望してきたサービスの充実。保護者が仕事などで、家庭で病気の子どもの保育ができない場合に利用できる「病児保育」や、保護者が急な仕事や用事などで家庭で保育できないときなどに1時間単位で利用できる「休日・一時預かり保育」、求職活動などで一定期間子どもを預けたいときなどに、年度末までに最大3か月利用することができる「定期保育」など。子育てにやさしいまち・高槻が充実していきます。

詳しくは「たかつきDAYS 3月号」を・・・

私は市政発展や安全・安心のまちづくりを目指して取り組んでいます。これらの多くの実績ができたのも、公明党の国・府・市のネットワークが生かされたということで、今後も大切だと思うことは、政治の安定と皆さんの喜びだと感じています。そのためにも、これからも誠心誠意、全力で取り組んでいきたいと決意しています。

高槻子ども未来館等の視察

□福祉企業委員会 □街宣活動 いいね!!たかつき 党活動 高槻市HPへリンク / 2019年1月31日

福祉企業委員会協議会が開催

20190131_031048000_iOS本日は、福祉企業委員会協議会が開催され、「高槻子ども未来館の整備及び安満遺跡公園等の整備について」現地視察を行いました。

JR高槻と阪急高槻市駅の東側に位置する「高槻子ども未来館」と「安満遺跡公園等」、21・76ヘクタールの公園は平成33年に全面開園の予定ですが、今年の3月23日に一次開園を予定しているパークセンター(2,469平方メートル 1階建)から、春に開園予定の高槻子ども未来館(6,154・61平方メートル 3階建)の視察です。

広大な公園の周辺に建設される建物は、落ち着いた色調でとてもいい感じ。パークセンターの入口は人工芝から広いエントランスホールへ、公園事務室、市民活動拠点、調理室、多目的スタジオ、多目的室、ランニングステーション等。さらに、全天候型「子どもの遊び施設(ボーネルンド)」も見学。

20190131_031253804_iOSまた高槻子ども未来館もいい感じの外観で、本日は1階の高槻認定こども園と2階の子ども保健センターを見学。1階は、休日・一時預かり保育室から、多くの保育室、遊戯室、公立ではじめての病児保育室も。保健センターは2階の広い受付から問診室、相談室等、さらに3階には、子育て支援人材育成機能もあるようです。

市のホームページに、安満遺跡は高槻の稲作文化発祥の地で、約2,500年前に開かれた環濠(かんごう)がめぐる居住地や水田、集団墓地などが見つかっており、土器や石器、農工具、装身具など豊富な生活用具が出土しています。淀川を介して各地と交流して栄えた、弥生時代の社会を知る上で極めて重要な遺跡。京大農場の地下には、いわば最初の高槻市民が営んだムラが息づいていますと。

約2,500年前から今に息づく歴史の中で、これからは子ども達の未来を育み、多くの方々の憩いの場になっていくことを大いに期待していきたいと思います。

追伸、今朝のバス停交差点は6℃、今にも雨が降ってきそうな曇天でした。安満遺跡公園に着いた時には小雨も。恵みの雨のような気がして。

もっと知りたくて

□ホームページ あきひろ日記 高槻市HPへリンク / 2018年8月21日

青空がいっぱいの日に自然史博物館へ

先日の「あきひログ」でご紹介させていただきましたが、あきひろ日記「夏の自由研究」大阪平野は海だった・・・けど「水の都大阪の歴史」で旧石器時代から弥生時代くらいまで、大阪平野の地形の変化を調べました。今回は、もっと知りたくて、先日、大阪市立自然史博物館(大阪市住吉区長居公園)を見学してきました。

20180817_034752285_iOS博物館、入口の「ケヤキ」が印象的で。「」のこと。

地球誕生からの生命の進化、大阪を中心とする地形の変化、現在の大阪の自然等々、興味深い資料がいっぱい。この、“あきひログ”では気になった資料を年代ごとに整理してみましたので、よろしければご一読を・・・

46億年前
地球の誕生から

1500万年前
この頃、西日本では今の東海地方に浅い海が。中国地方には、ところどころ湖が。山陰地方から東海地方にかけて瀬戸内海のような浅い内海が広がっていた暖かい海。

260万年前
南極大陸などを氷河が広くおおう氷河時代。寒い氷期と暖かい間氷期を80万年の間は10万年周期で寒暖の差が激しくあったよう。氷河の量が増えると海水が減少、陸地が増え島と島が陸続きに。間氷期には海水が増え、陸地が狭く。生き物も気候や地形の変化で分布を変化。

大氷河時代には人類が出現。

20180817_045630107_iOS43万年前
氷期、ナウマンゾウ(2万年前滅びる)、中国大陸から日本列島に、津軽海峡が一時的に凍ってできた「氷橋(ひょうきょう)」を渡って。

15万年前
旧石器時代、上町海。気候は寒、涼、暖を繰り返す。

12万5000年前
間氷期、上町台地は海の底。上町層が堆積し、その後、上町断層(西側に上町断層、南北にのびる)の活動により東側の地形が高く。

7万年前
最後の間氷期。最も暖かかった12万5000年前は海水が現在よりも5~7m高く。枚方や生駒山地のふもとまで海。上町台地にこの時代の海にたまった地層が発見されていることから「上町海の時代」と呼ぶこともあるとか。

2万3000年前
最終氷期の中でも最も寒かったころの大阪平野は、古大阪平野と。現在よりも起伏に富み、丘陵や小高い大地・段丘の中を古淀川、古大和川が流れていました。海岸線は、紀伊水道あたりで、旧石器人は陸地だった大阪湾でゾウやシカ狩りを。

寒冷な氷期、現在よりも平均気温は7℃くらい低い、当時の海面は、今より120m低く、大阪湾も瀬戸内海も陸地。ナウマンゾウやヤベオオツノジカ生息。

20180817_042835164_iOS朝鮮海峡や津軽海峡は陸続き、大阪湾や瀬戸内海は陸地。

1万年前
縄文時代。古河内平野。最温暖。

5500年前
縄文時代には、現在の河内平野の奥まで海が。河内湾。海は退き、川が土砂を運びこんで、河内湾を埋めていく。河内湾の入口は狭くなり、弥生時代中ごろ(2300~2000年前ごろ)には、河内湖と呼ばれる湖に。人々は水田をつくるため低地に進出。たびたび洪水に。

弥生、古墳時代へ

古河内平野の時代
気候が暖かくなるにつれて、しだいに海面上昇。上町台地より西は海、大阪湾に。東の古河内平野は陸地。

河内湾の時代
現在よりも暖かく、海面は少し高い。古河内平野にも海が侵入、河内湾へ。

5000~6000年前、海面が高く、大阪平野は上町台地を半島状に残して海に。この時、海の波で半島の西側は削られ崖に。(現在の天王寺周辺に上町台地の崖がみられるとか)、断層によってできた「海食崖(かいしょくがい)」

河内潟の時代
上町台地の先端から北へ砂州がのび、河内湾の入り口が狭く。湾の奥は淡水化して潟に。淀川と大和川が運んだ土砂がたまって低地に。稲作が行われる。

河内湖の時代
砂州は北へ。海水が入らなくなり河内湖に。その後5世紀、洪水対策で難波の堀江が掘られる。河内時代のなごりは、江戸時代まで。深野池、新開地として残る。

20180818_021252594_iOS現代(進み過ぎ?)
1800年代の高槻市の古地図を発見、高槻村、高槻城を発見。2000年代と比較してみて密集度合が大きく変化してきたことがわかります。

感動の連続。地球誕生から気が遠くなるような時間の経過。温暖や寒冷の気候による海面と陸地の変化、繰り返し、生命の誕生と移動、ヒトの生きる知恵など。そんな環境の変化の上に今があると思うと。

未来はどう変わっていくのか。どうすべきなのか。守ることが・・・

水の都大阪の歴史

あきひろ日記 高槻市HPへリンク / 2018年8月11日

あきひろ日記「夏の自由研究」大阪平野は海だった・・・けど

20170802_015605008_iOS大阪平野は、大阪府の大部分と兵庫県南東部を占め、大阪湾沿岸に広がる近畿地方最大の平野。面積約 1600平方キロメートル。

「大阪湾環境データーベース」に、古代の大阪湾は、大阪平野の奥深くまで入り込み、東は生駒山西麓にいたる広大な河内湾(約7000~6000年前)が広がり、上町台地が半島のように突き出ており、現在とは大きく異なる地形であったと。

昔の地形図を見ると、私が生まれ育った四條畷や今住んでいるところも海だったようです。枚方市辺りが北限とも。

この上町台地北側の砂州は、その後も北へ伸び、縄文時代中期には潟(約3000~2000年前・縄文時代「河内潟」)の部分の淡水化が進んでゆき、弥生時代には大きな湖(約1800~1600年前・弥生時代「河内湖」)ができあがったそうです。

そして、古墳時代(3世紀中ごろから7世紀末)に入り、この湖は人間の手によって大きく変貌することに。すごく興味深い歴史です。

データーには、仁徳天皇(290年~399年)が行った堀江の開削は、洪水対策と水運発達に役立ったと。大阪は、645年に始まる「大化の改新」により歴史の表舞台へ。中でも、難波津(なにわつ:古代の港湾施設の名称で、現在の中央区付近)は国家的な港として外交の基地、献納物の中継点・集散地、国家的水上交通のターミナル、警察、軍事の拠点として発展。初期の遣唐使船もここから出発していったそうです。

20180726_031903340_iOSさらに、「水都大阪」の資料を見ると、河内湾の時代は縄文時代前期前半と記されており、海水面が現在の水位より1~2m高く上昇し、河内平野を覆った水面が、東は生駒山麓、南は八尾、北は高槻付近まで広がっていたと。たぶん、高槻の中心市街地辺りまでは海だったのでしょうね?

高槻市のホームページ、旧石器時代~縄文時代(郡家今城遺跡)には、2万年前の旧石器時代、人々はゾウやシカなど獲物の群れを追い、移動する生活を送っていたよう。1万2千年前になると土器がつくられ、煮炊きして食事できるようになり、集団でムラを営む縄文時代の幕開けと。弥生時代には、大陸から伝わった稲作は短期間に日本列島に広まり、生産の拡大が富と権力を生み出したと。そして有力なムラが多くのムラを従え、やがて邪馬台国のようなクニが各地に出現したと記されています。

郡家、安満、古曽部、芝谷辺りで、私たちの祖先は生活していたようですね。

他の資料では、邪馬台国の時代(3世紀後半、古墳時代ですね)に築造されたとみられる安満宮山古墳から出土した青銅鏡が魏の国から海を渡り卑弥呼に贈られた物のひとつとみられ、当時この地が海運を通じて外交の重要な役割を担っていたものと推察されています。

また、時は思い切り進み、安土桃山時代(1573年から)、海や川を活かして守りの堅固な大坂城を築いた豊臣秀吉。城下町を整備し治水対策まで力を入れ町が整備されていった。整備された町は商人が行き交うようになり大阪は繁栄。

大昔から現在まで、大阪は水とともに発展してきたのですね。「水の都・大阪」といわれる所以ですね。

夏の自由研究、いっぱい調べて、好きなことを勝手に書き綴りました。長い長い歴史の中で、大阪の地は、形や風景、生活を大きく変えてきました。自身が暮らす地域の歴史にも感動しています。

そんな思いの中で、たぶん変わっていないものも。昔々、祖先が見ていた同じ空と雲を、今、私も見ているのかなと想うと、何だかワクワクしてきます。

石器 縄文 弥生 古墳 時代

歴史が物語る事実

□ホームページ □防災・減災 あきひろ日記 / 2018年7月15日

あきひろ日記「地震の種類」 地震災害に、改めて備えをするために

2018-07-15約1か月前の6月18日、大阪北部を震源地とする震度6弱を記録した「大阪北部地震」が発生しました。今までも40回の余震が続き、今後も予断を許さない状況といわれながら、本日18時36分に41回目、震度1(M3・1推定)の余震がありました。

再び大きな地震が? 南海トラフ大地震は? と気になります。

ある報道資料を見ていますと、東西に走る「有馬高槻断層帯」やその南側で南北方向に伸びる「生駒断層帯」との関係性が気にかかりながら「南海トラフ大地震」と関係する根拠はないような内容。南海トラフの前兆かどうかは今のところわからないと記されていました。

さらに資料によりますと、大きな地震のあとには必ず余震があり、周辺に活断層が多くある地域では地震が起こる可能性が高くなるそうです。一旦、大地震が起こると地震が起こりやすくなるということは一般的らしく、周辺50キロ圏程度の範囲では、通常よりも地震に気をつける必要があるとも記されています。

2016年の「熊本地震」の時、最初マグニチュード6.5の地震があり、翌々日にマグニチュード7.3の地震が。1つの地震がさらに大きな地震の引き金になるという可能性はゼロではないといわれています。

iwai_01_農業・酪農地震災害に対して、改めて備えをするために調べてみましたが、地震の種類にはプレートがぶつかり合うところで発生する「海溝型地震」と、プレート内部の断層がずれることによって起こる 「内陸型地震」の2種類があるそうです。

海溝型地震は、陸側のプレート(岩板)の下に海側のプレートが沈み込む境界で発生する地震で、一般に内陸の活断層で起きる直下型地震より発生間隔が短く規模も大きいらしいです。2011年3月11日の「東日本大震災」や、過去に起こった1923年の「関東大震災」も海溝型の地震とのこと。

南海トラフ沿いの東海地震や東南海地震、南海地震は、100年程度で繰り返し発生といわれており、これも「海溝型地震」といわれています。

もう一つの直下型地震は、今回の大阪北部を震源地とする地震(震度6弱)で、内陸部にある活断層で発生し震源の浅い地震とのこと。人の住む土地の真下で発生する地震で、1995年1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」や、「新潟県中越地震」などが同種とのことです。

活断層で言えば、「阪神・淡路大震災」の震源となった「六甲・淡路島断層帯」が東北東に延びるかたちで「有馬・高槻断層帯」が存在し、今回の地震は、その「有馬・高槻断層帯」の一部で断層運動により生じたものと考えられています。

今後危惧されるのは、「南海トラフ地震」。この被害想定によれば、南海トラフ巨大地震がひとたび発生すると、静岡県から宮崎県にかけての一部では震度7となる可能性があるほか、そこに隣接する周辺の広い地域では震度6強から6弱の強い揺れになると想定されています。

また、関東地方から九州地方にかけての太平洋沿岸の広い地域に10mを超える大津波の襲来が想定されていることも気にかかります。

日本列島周辺には、ユーラシアプレート(アムールプレート)、北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートがあり、各地域には断層帯があるように、「地震」の歴史が物語る事実を無視することはできません。そして、終わりなき取り組みだと感じます。だからこそ、どのような備えが必要なのか。

追伸:近いうちに「地震の歴史」を調べてみたいと思います・・・弥生時代くらいから?

大阪北部を震源とした地震の情報

ama site park

いいね!!たかつき お知らせ 高槻市HPへリンク / 2017年7月16日

安満遺跡公園の“ロゴデザイン”決定 市ホームページから

2017-07-13 (1)平成31年に一次開園を目指す安満遺跡公園。高槻市の新たなシンボルとなる“公園のロゴデザイン”を、“本市初のクラウドソーシング”を活用して募集。特に優れたロゴデザイン10提案を選定し、街頭で市民の人気投票を経て、右のロゴデザインに決定しましたと、市のホームページで紹介されていました。

私も好きなデザインです(*゚▽゚*)
“クラウドソーシング”って、インターネット上で不特定多数の人に、業務内容と報酬を提示して仕事を発注する手法だとか。

安満遺跡公園のロゴデザインの決定について <高槻市ホームページ

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本市では京都大学大学院農学研究科附属農場の移転に伴い、その跡地を含めた一帯を「安満遺跡公園」約20・9ha(甲子園球場約5個分)として整備し、“弥生時代”の安満遺跡を保存・活用するとともに、防災機能を備えた、緑豊かな公園を目指す取組を進めています。

安満遺跡は“高槻の稲作文化発祥の地”。約2,500年前に開かれた環濠(かんごう)がめぐる居住地や水田、集団墓地などが発見されており、土器や石器、農工具、装身具など豊富な生活用具が出土しています。

今回、計画が進む公園は、「市民とともに育てつづける」をコンセプトに、市民の皆さんと一緒に考え、時代やニーズに合わせて、成長する公園づくりが進められています。

安満遺跡公園整備室 <高槻市ホームページ

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他にも
雨水貯留施設工事安満遺跡公園 全天候型屋内施設(遊びの創造)等の取り組みも進んでいます。

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いいね!! たかつき

ずいひつ波音 潮3月号

あきひろ日記 / 2017年3月29日

国文学者 中西進氏の「黒い小人」とはを読んで あきひろ日記

20170324_053308046_iOS今回は何が書いてあるのか(ワクワク)、日本の先祖が海の道をたどってこの列島に到来したと説いたのは、民俗学者の柳田国男氏。その弟・松岡静雄氏も日本人のルーツを南太平洋に求めたひとり。「太平洋民族誌」(1925年)と中西氏。

南太平洋史上、重要な鍵を握る民族。その人々は、黒色の矮人(わいじん)、小柄で身長は1・49メートル。メラネシア(南太平洋、オーストラリアの北東の島々)に最初に住み着いた人々だとか。

彼らをインド起源説とみる説とオーストラリアからフィリピンまでの諸島に起源を求める説もあるらしい。ニューギニアの山中にも短身短頭の民族がおり、フィリピンの少数民族・ネグリトも矮民族だという。また、ニュージーランドのマオリの伝説では、彼らの遠い祖先がメネフネという矮人の土地を通ってきたと語り、タヒチにも同じ名の矮人がいたという(松岡氏)

メネフネはメラネシアの中のフィージー島の王の名にも見え、マリオはフィージー起源の民族なのか。メラネシアには、ポリネシア人が来航し、現在のメラネシア人が形作られた。

メラネシア人は精霊を信仰し、死界を地下と考え、火山坑を死界への通路と信じた。また、屍体との接触を避け、長老専制を敷いた。

原メラネシア人の体の小さい縮毛の黒人は、メラネシア社会史(1914年)などには「原始人」として扱われている。

現代にあって、モンゴロイド系の韓国人には少ないメラニン(黒褐ないし黒)色素が、日本人には多いという。弥生以降、モンゴロイド系の民族をいかに受容しても日本人の中になお消えない、縄文を思わせる「メラ」なる肌色と、一昔前の日本人の体形を思い浮かべては、なぞの黒い小人に吸い寄せられる心を、止めようとしていない自分に驚く(と中西氏)

松岡氏は、以上のようにメラネシアと日本との近似性を数々暗示させるばかりか、ニュージーランドの天地創造の火山神・マウイ信仰まで「黒毛短身の原始民族の信仰ではあるまいか」と言う。

中西氏は松岡氏の記述から、おぼろに浮かんでくる黒い縮毛の小人が、中国の「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」、「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」を通し、「倭人(わじん)」(小人)と称された太古の日本人のことは、松岡氏の空想の中に浮かんでいたのであろうと興奮されて記されていました。

私も、日本人のルーツに大変興味があり(人類のルーツにも)、以前、ユーチューブで見た「日本人はるかな旅~第1集マンモスハンター・シベリアからの旅立ち~」で、北方からやって来た人類に興味を持ち、また、第2集では南方から黒潮に乗ってやってきた人類にも関心を抱きました。現代は、考古学や科学等で、過去の歴史や事実が紐解かれていくのでしょうが…この頃の人類は、どんな風に感じ、考えていたのでしょうね!?

想像しますと、物のない時代から現在。食文化も変わり、今の日本人の体形の変化等。

時間とともに変化する様子。過去があるから今があり、これからの未来もあるわけで、1秒、1分の時間の経過に不思議なものを感じてなりません。また、過去の歴史を知るたびに、今の平和の尊さも感じます。

だからこそ、自分らしく生きること。心を大切することを大事にしたいと感じます。

人類はこれからどんな風に進化していくのでしょうか…

2017年1月党支部会

□公明新聞 党活動 広報活動 / 2017年1月26日

今年初めての党員会を開催

20170126_002902924_iOS25日、今年第1回目となる公明党高槻桜支部党員会を開催させていただきました。主な内容は、女性委員のごあいさつ等、支部長あいさつ。そして最後にウェブTVから山口那津男代表の公明党新年幹部会(2017/1/4公明党会館において)のあいさつを皆さんと一緒に視聴し、高槻桜支部が一つになって公明党代表とともに新年をスタートすることができました。

私の方からは、茨木市をはじめ地方選挙の完勝をともどもに喜び合い、今後の取り組みの重要性を再認識。また、高槻市政の報告と20日に開幕された第193通常国会に向けての公明党の姿勢等、公明新聞(2017/1/22付け)井上幹事長の要旨を研鑚。

はじめに、高槻市政の報告では、「吉田あきひろのごきんじょニュース№43」を通して、高槻市とJR西日本が、ホームドア等の取り組みで、「第10回国土交通省バリアフリー化推進功労者大臣表彰」を受賞。昨年は、特急はるか、今年(3月4日)は特急サンダーバードの停車が決定したことなど。また、安満遺跡公園について、弥生時代の遺跡を活用し、防災機能や子どもの遊び施設等を備えた公園づくりが進み、平成31年一次開園、33年に全面開園すること。高槻市民会館も皆さんに愛されて50年、老朽化などから建て替え計画が進み、34年の開館予定を目標に進んでいること。最期に、新名神高速道路工事の現況を視察してきたこと、神戸~高槻間が29年度末の開通目標、川西~高槻間が29年秋ごろを努力目標に進められていること、利便性の向上や災害時の対応、文化・芸術への取り組みなどをご報告。

吉田あきひろのごきんじょニュース №43/2017年1月2月

次に、通常国会が開幕し、公明党の姿勢については、世界的な歴史の転換期の中で、国内では人口減少社会に突入し、活力ある日本をどう築くか、まずは政治の安定が求められていること。そして、自公連立政権の中で、「大衆とともに」の立党精神を掲げる公明党が担う役割は非常に重く、公明党は「希望がゆきわたる国」の実現にさらに邁進すること。

また、来年度予算のポイントは、経済成長の成果を適切に分配しいく好循環の流れをつくるため、今までの公明党の主張が随所に反映されていること。内容として、子どもの進学を応援する給付型奨学金の創設や介護職員、保育士の処遇改善、長時間労働の是正、配偶者控除の拡充、中小企業の賃上げの後押し、そして被災者の生活再建支援等。

さらに今後続く、統一外選挙について、地方議会の安定があればこそ、国政の推進力が生まれる。特に夏の東京都議選は、日本の縮図であり、エンジンである。東京が動けば日本が変わると。私自身も勝利に向けての決意をさせていただきました。

活力ある未来 切り開く 通常国会開幕 井上幹事長に聞く(公明新聞 2017/122)

そして、最後に山口那津男代表・・・

2017-01-26 (1)

日本の安定で役割果たす 安心生む社会保障に 少子高齢化、構造変化に対応 新春幹部会で山口代表
(公明新聞 2017/1/5)

安満遺跡青銅祭へ

いいね!!たかつき 式典・イベント / 2016年10月23日

午後から、青銅祭(市立桃園小学校・特設会場において)へ

高槻市安満御所の町 (高槻市公園墓地内)に安満宮山古墳(あま-みややま-こふん)があります。古墳時代初頭(3世紀後半)のもので、平成12年6月、出土品が国の重要文化財に指定されたと市のホームページで紹介されています。

安満宮山古墳は、安満山の中腹、標高125メートルの狭い尾根上にある、一辺20メートルほどの長方形墳です。ふもとには史跡安満遺跡、その南側には淀川と大阪平野が広がっています。

3世紀後半、邪馬台国の時代に築造されたと考えられ、中国・魏の年号「青龍三年(235)」銘鏡や三角縁神獣鏡(さんかくぶち-しんじゅうきょう)を含む青銅鏡5面、スカイブルーのガラス小玉1,600個余り、鉄刀・鉄斧などの貴重な遺物が出土しました。鏡は白銅色に輝き、鏡を包んだ麻布も残っていました。

出土した銅鏡は景初3年(239)、邪馬台国の卑弥呼女王が魏から贈られた「銅鏡百枚」の一部ともみられており、ここに葬られた人物―おそらく安満遺跡のリーダーが、当時の政権にあって重要な役割を果たしたことを物語っているのかもしれませんと。

また、古墳は築造当時の姿に復元整備され、「青龍三年の丘」として公開されています。

(以上は、高槻市ホームページ-インターネット歴史館-安満宮山古墳より)

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私たちの住むまち高槻は、日本でも有数の古墳地帯で、古くは縄文・弥生時代から人々が集い祭事や他の村との交流が頻繁に行なわれていたのではといわれています。前述したように、出土した青銅鏡が魏の国から海を渡り卑弥呼に贈られた物のひとつとみられており、当時この地が海運を通じて外交の重要な役割を担っていたものと推察され、このような歴史背景を現代の者が受け継ぎ、世代間の交流や子どもたちの笑顔づくり、また、市の歴史的背景を広げる取り組みから「青銅祭」が誕生し継続して行われているようです。(安満遺跡青銅祭実行委員会ホームページより)

 

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