高槻市議会議員 吉田あきひろのごきんじょニュース

“あ”したの “き”ぼうは “ひ”とりの人を思う ここ“ろ”から

水の都大阪の歴史

あきひろ日記 高槻市HPへリンク / 2018年8月11日

あきひろ日記「夏の自由研究」大阪平野は海だった・・・けど

20170802_015605008_iOS大阪平野は、大阪府の大部分と兵庫県南東部を占め、大阪湾沿岸に広がる近畿地方最大の平野。面積約 1600平方キロメートル。

「大阪湾環境データーベース」に、古代の大阪湾は、大阪平野の奥深くまで入り込み、東は生駒山西麓にいたる広大な河内湾(約7000~6000年前)が広がり、上町台地が半島のように突き出ており、現在とは大きく異なる地形であったと。

昔の地形図を見ると、私が生まれ育った四條畷や今住んでいるところも海だったようです。枚方市辺りが北限とも。

この上町台地北側の砂州は、その後も北へ伸び、縄文時代中期には潟(約3000~2000年前・縄文時代「河内潟」)の部分の淡水化が進んでゆき、弥生時代には大きな湖(約1800~1600年前・弥生時代「河内湖」)ができあがったそうです。

そして、古墳時代(3世紀中ごろから7世紀末)に入り、この湖は人間の手によって大きく変貌することに。すごく興味深い歴史です。

データーには、仁徳天皇(290年~399年)が行った堀江の開削は、洪水対策と水運発達に役立ったと。大阪は、645年に始まる「大化の改新」により歴史の表舞台へ。中でも、難波津(なにわつ:古代の港湾施設の名称で、現在の中央区付近)は国家的な港として外交の基地、献納物の中継点・集散地、国家的水上交通のターミナル、警察、軍事の拠点として発展。初期の遣唐使船もここから出発していったそうです。

20180726_031903340_iOSさらに、「水都大阪」の資料を見ると、河内湾の時代は縄文時代前期前半と記されており、海水面が現在の水位より1~2m高く上昇し、河内平野を覆った水面が、東は生駒山麓、南は八尾、北は高槻付近まで広がっていたと。たぶん、高槻の中心市街地辺りまでは海だったのでしょうね?

高槻市のホームページ、旧石器時代~縄文時代(郡家今城遺跡)には、2万年前の旧石器時代、人々はゾウやシカなど獲物の群れを追い、移動する生活を送っていたよう。1万2千年前になると土器がつくられ、煮炊きして食事できるようになり、集団でムラを営む縄文時代の幕開けと。弥生時代には、大陸から伝わった稲作は短期間に日本列島に広まり、生産の拡大が富と権力を生み出したと。そして有力なムラが多くのムラを従え、やがて邪馬台国のようなクニが各地に出現したと記されています。

郡家、安満、古曽部、芝谷辺りで、私たちの祖先は生活していたようですね。

他の資料では、邪馬台国の時代(3世紀後半、古墳時代ですね)に築造されたとみられる安満宮山古墳から出土した青銅鏡が魏の国から海を渡り卑弥呼に贈られた物のひとつとみられ、当時この地が海運を通じて外交の重要な役割を担っていたものと推察されています。

また、時は思い切り進み、安土桃山時代(1573年から)、海や川を活かして守りの堅固な大坂城を築いた豊臣秀吉。城下町を整備し治水対策まで力を入れ町が整備されていった。整備された町は商人が行き交うようになり大阪は繁栄。

大昔から現在まで、大阪は水とともに発展してきたのですね。「水の都・大阪」といわれる所以ですね。

夏の自由研究、いっぱい調べて、好きなことを勝手に書き綴りました。長い長い歴史の中で、大阪の地は、形や風景、生活を大きく変えてきました。自身が暮らす地域の歴史にも感動しています。

そんな思いの中で、たぶん変わっていないものも。昔々、祖先が見ていた同じ空と雲を、今、私も見ているのかなと想うと、何だかワクワクしてきます。

石器 縄文 弥生 古墳 時代

悠久

いいね!!たかつき 高槻市HPへリンク / 2017年12月8日

合葬墓シンボルモニュメント

2017-12-07高槻市のホームページより、市では平成31年4月の供用開始を目指し「合葬墓」の整備を進めています。合葬墓とは大きなお墓にご遺骨をまとめて埋葬するもので、今回そのシンボルモニュメントとして4つの案の中から、市民の皆様からの投票で「悠久」に決定されたようです。

モニュメントは、ご遺骨を合葬するお墓の上部に設置されるものとなっていて、「悠久」は、球体と台座を古墳に見立てて、古代から続く「時」、「悠久」を表現されているとのことです。

「悠久」とは果てしなく長く続くこと。「生命」は永遠との意義ですかね。私も妻と二人でこちらに入りたいと思います。できれば・・・

モニュメント案は他に「融和」「昇華」「在天」とあり、投票は、窓口、インターネット、郵便投票で決定されたそうです。

写真は高槻市ホームページより

合葬墓シンボルモニュメントが決定しました。 <高槻市ホームページ

阿蘇ピンク石製の石棺材を新発見

いいね!!たかつき 高槻市HPへリンク / 2016年11月12日

今城塚古墳の石棺材が発見

高槻市氷室町4丁目に所在する氷室観音寺跡にまつられていた石棺材。実は、今城塚古墳のものとみられる阿蘇ピンク石製だとか。これまでに見つかっている石棺材の中では最大のもの。表面には、ノミの痕跡や塗布されていた朱が確認されているそうです。

各紙地方版でも取り上げられていましたね。記事では、石材は長さ1・1m、幅66cm、厚さ25cmで、重さ250kg。周辺で既に出土した数百点の破片から、古墳には熊本県宇土市産の阿蘇ピンク石を使った約7tの石棺があったと推定され、石材は材質からその一部とみられると。

市では、今城塚古代歴史館で新発見の阿蘇ピンク石製の石棺材を展示しています。

  • 平成28年11月12日(土曜日)から
  • 休館日:月曜日(祝日の場合は開館)・祝日の翌日
  • 開館時間:午前10時から午後5時(入館は4時30分まで)
  • 会場:1階ロビー
  • 観覧料:無料

今城塚古代歴史館で新発見の阿蘇ピンク石製の石棺材を展示しています。 <高槻市ホームページ

今城塚古墳は、531年に没した第26代継体天皇の真の陵墓と考えられ、古墳時代の大王陵としては唯一、淀川流域に築かれた古墳ですって…すごい歴史ですね~ヽ(*´∀`)ノ

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今城塚古代歴史館 トップページ <高槻市ホームページ 今城塚古代歴史館秋季企画展も

2016-11-12

安満遺跡青銅祭へ

いいね!!たかつき 式典・イベント / 2016年10月23日

午後から、青銅祭(市立桃園小学校・特設会場において)へ

高槻市安満御所の町 (高槻市公園墓地内)に安満宮山古墳(あま-みややま-こふん)があります。古墳時代初頭(3世紀後半)のもので、平成12年6月、出土品が国の重要文化財に指定されたと市のホームページで紹介されています。

安満宮山古墳は、安満山の中腹、標高125メートルの狭い尾根上にある、一辺20メートルほどの長方形墳です。ふもとには史跡安満遺跡、その南側には淀川と大阪平野が広がっています。

3世紀後半、邪馬台国の時代に築造されたと考えられ、中国・魏の年号「青龍三年(235)」銘鏡や三角縁神獣鏡(さんかくぶち-しんじゅうきょう)を含む青銅鏡5面、スカイブルーのガラス小玉1,600個余り、鉄刀・鉄斧などの貴重な遺物が出土しました。鏡は白銅色に輝き、鏡を包んだ麻布も残っていました。

出土した銅鏡は景初3年(239)、邪馬台国の卑弥呼女王が魏から贈られた「銅鏡百枚」の一部ともみられており、ここに葬られた人物―おそらく安満遺跡のリーダーが、当時の政権にあって重要な役割を果たしたことを物語っているのかもしれませんと。

また、古墳は築造当時の姿に復元整備され、「青龍三年の丘」として公開されています。

(以上は、高槻市ホームページ-インターネット歴史館-安満宮山古墳より)

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私たちの住むまち高槻は、日本でも有数の古墳地帯で、古くは縄文・弥生時代から人々が集い祭事や他の村との交流が頻繁に行なわれていたのではといわれています。前述したように、出土した青銅鏡が魏の国から海を渡り卑弥呼に贈られた物のひとつとみられており、当時この地が海運を通じて外交の重要な役割を担っていたものと推察され、このような歴史背景を現代の者が受け継ぎ、世代間の交流や子どもたちの笑顔づくり、また、市の歴史的背景を広げる取り組みから「青銅祭」が誕生し継続して行われているようです。(安満遺跡青銅祭実行委員会ホームページより)

 

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オープンたかつき

いいね!!たかつき お知らせ 式典・イベント 高槻市HPへリンク / 2016年9月15日

素敵なたかつきオープンしました。

体験交流型観光イベント「オープンたかつき」。高槻は、自然、農業、グルメ、スポーツ、アートなど、たくさんの魅力が詰まっているまち。また、古代ロマンを抱く古墳から、戦国時代等に活躍した人物やそのゆかりの地、寺内町といった古いまちなみや街道など全国に誇れる歴史を刻んだまちです。

様々な高槻の良さを体験することで、新しい魅力を発見してもらいたい。

そんな想いを込めた多彩な観光プログラムをご用意し、「体験交流型観光・オープンたかつき」として、高槻市の各地域で実施します。と高槻市ホームページより。

“楽しみですね”

高槻市ホームページリンク>

体験交流型観光イベント「オープンたかつき」

オープン高槻「素敵なたかつきオープンしました。」

《関連する私の議会活動》
高槻市の観光施策について~広域観光のあり方~/産業環境部産業振興課/2015年9月28日
平成27年9月28日 高槻市の観光施策について~広域観光のあり方~(会議録)

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よみがえる弥生文化

いいね!!たかつき 高槻市HPへリンク / 2016年2月10日

安満遺跡公園等の整備について

20160210_045027262_iOS2016年(平成28年)2月4日開催された「史跡整備等特別委員会資料」を頂きました。議題は「安満遺跡公園等の整備について」です。当日、傍聴はできなかったのですが、資料等を確認させて頂き思いを綴らせて頂きたいと思います。

委員会では、資料に沿って主な経過や公園整備及び関連事業、公園経営について報告されたようです。

中でも、市民参加の取り組み内容では、古代米を栽培し手作業で収穫された歴史グループ等、参加された方々も、安満遺跡公園での空気にふれて、弥生時代に生きた人々の思いを感じられたのではないかと想像しました。

資料の中で「平成28年(2016年)冬季企画展発掘調査速報・よみがえる弥生文化の原風景・安満遺跡の最新調査成果」(高槻市立今城塚古代歴史館)が目に留まりました。

Ⅰ安満遺跡と三島の弥生時代の中で紹介されていますが、安満遺跡は、淀川の支流檜尾川が形成した扇状地に立地する弥生時代から中世にかけての集落遺跡です。現在の檜尾川は、成合から安満山の南麓を東流し、安満遺跡の東側を南に向かって流下していますが、旧川道が成合の谷から、幾筋もの流路派生し、微高地とその周辺に機構が展開しています。

安満遺跡の最初の集落は、扇央部に居住域や墓域が立地し、微高地の緑辺の扇端部に水田が展開していると考えられます。環濠を巡らせた弥生時代の前期の集落は、前期末の洪水によって埋没しますが、中期においても前期の居住域は踏襲されており、さらに東側で区画溝を検出していることから、居住域の拡大が想定されますと・・・ 

時代は、旧石器(紀元前14000年頃)から、縄文、弥生(紀元前数世紀~紀元後3世紀中頃)、古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、建武の新政、室町、南北朝、戦国、安土桃山、江戸、幕末、明治、大正、昭和、平成と歴史は移り変り、この地の風景も少しづく変わってきたのではないかと思いを巡らせました。そして時代の進化とともに遺跡の全貌も明らかになってきたことはすごいことだと感動をしました。

高槻市ホームページのクローズアップナウでも「よみがえる弥生文化の原風景・安満遺跡の最新成果」として紹介されていますが、居住域、墓域、生産域と弥生時代のムラの全ての要素が揃っている稀な遺跡だと言われていました。当時も住みやすい地域だったのでしょうね。

安満遺跡公園等も2021年(平成33年)全面開園に向けて進んでいます。私たちは、地域に配慮しながらも、有効な活用を考え、未来の子ども達に素晴らしいものを残し贈っていきたいとも感じました。

弥生時代から平成時代と、歴史と風景は大きく変わってきたと思います。弥生時代の人々が広大な大地に立って見た風景はどうだったのか、きっと空は今と同じだったのでしょうね。そんなことに思いを馳せながら、素晴らしい公園になることを期待していきたいと思います。

安満遺跡公園の整備/京大農場跡地を歴史と緑豊かな公園へ

高槻いいね!

いいね!!たかつき お知らせ 式典・イベント / 2012年4月19日

高槻といえば

高槻ジャズストリート、高槻太鼓、今城塚古墳、高槻城跡、高山右近、西国街道、摂津峡、れんげの里、富田の酒、寒天、原のどぶろく、うどん餃子、三箇牧トマト、埴輪のはにたん等。高槻での新しい出会いを・・・

参考資料
・高槻観光ガイドマップ
・GO!TAKATSUKI(高槻案内リーフレット)
・関西の中央都市 高槻まちNavi

住んでみて良かった街ランキング(関西圏) 第1位

 

『ステキ !! たかつき』高槻のええとこ発見

いいね!!たかつき お知らせ 式典・イベント / 2011年11月17日

いましろ大王の杜 高槻市立今城塚古代歴史館 秋季特別展

「三島と古代淀川水運Ⅱ」今城塚古墳の時代が平成23年11月27日(日)まで今城塚古代歴史館で開催中。

6世紀初頭に倭国の大王となった継体大王は、淀川流域を基軸に琵琶湖、木津川を含めた凡淀川流域を掌握し活躍(古代歴史館資料より)。出土品を中心に当時の様相を紹介されています。特別展(特別展連続講演会は11月12日で終了)や歴史講座等もあり、高槻の古代歴史を知る絶好のチャンス。是非、ご来館を!!

自主防災に向けて地域が始動

□その他 地域 □地域活動 □防災・減災 いいね!!たかつき 安全実績ナウ 視察・研修会 / 2011年5月27日

関西大学と今城塚古代歴史館・今城塚古墳を見学

堤・桜台のコミュニティ連絡協議会主催で、自治会役員の皆様と一緒に施設の見学会に参加。3月11日の東日本大震災から地域の防災意識向上に伴い、午前中は関西大学の防災機能を見学させて頂き、午後からは今城塚の古代歴史館及び古墳を見学させて頂きました。地域の防災意識向上は非常に大切な視点です。一歩一歩、地域の防災対策を図られる役員の皆様には敬意を表するところです。私にできることは、しっかり対応させて頂きたいと感じた次第です。

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『実績184』JR高槻駅前の歩道補修(高槻町4番付近)

高槻町 実績184


歩道にある亀裂状の凹みは、非常に危険でした。心あるお一人の方からの連絡により危険な状態が解消されました。また早々に対処頂き感謝です。

いましろ大王の杜 竣工式典

いいね!!たかつき 式典・イベント 高槻市HPへリンク / 2011年3月26日

史跡今城塚古墳と今城塚古代歴史館の竣工式に参加しました。

3月11日の東日本大震災で、亡くなられました多くの皆様に黙祷を捧げ、テープカットから式典がはじまりました。

古代三島の東半部にあたる高槻市には、真実の継体陵とされる今城塚古墳をはじめ、邪馬台国時代の安満宮山古墳、完全未盗掘で有名な闘鶏山古墳、狩猟埴輪群で知られている昼神車塚古墳、中臣鎌足墓との説がある阿武山古墳などが所在し、西半部にある巨大な太田茶臼山古墳などとあわせて、全国的にも著名な三島古墳群が展開しています(高槻市教育委員会「三島と古代淀川水運1 今城塚古代歴史館開館記念特別展資料」より」)

今回、日本を代表する歴史遺産・史跡今城塚古墳が、広さ9ヘクタールの緑豊かな古墳公園に生まれ変わりました。大王墓・今城塚古墳の10年にわたる発掘成果や古墳時代の歴史を学び、歴史文化の体験学習もできる、古代体験ミュージアム・今城塚古代歴史館も同時オープンします(いましろ大王の杜 4月1日金曜日オープン 高槻市ホームページより) 今回は、先駆けて竣工式に参加させて頂きました。市長挨拶、整備趣旨説明、工事経過報告等、記念講演もありました。閉式後、今城塚古代歴史館の見学もさせて頂きましたので、下の写真をご覧下さい。

高槻市の歴史を知って頂くために多くの方のご見学と、高槻市から全国へ発信し、多くの方々にご来館頂き、今後益々の繁栄を祈ります。