なゐふる
あきひろ日記 潮5月号【対談】「天災と人災」-先人の知恵を語る(下Part1)を読んで
地震大国に住む日本人が本来もつ人生観、共生する知恵、震災がもたらした教訓とは。中西進氏(国文学者)×磯田道史氏(歴史学者)が語る。
(磯田氏)7~8世紀に編まれた「万葉集」の時代、地震は「なゐ(い)ふる」と表現。大地が震動するという意味。日本の記録、最初の地震らしきものは、武烈天皇が太子時代に詠んだ歌。
(中西氏)日本書紀にある歌。
(磯田氏)影媛(かげひめ)という女性に恋した武烈太子、鮪(しび)という大臣の子がライバルに。鮪をやっつけようと武烈天皇は歌いました。[鮪:まぐろ(参考)]
「臣(おみ)の子の 八府(やふ)の柴垣 下とよみ 那為(ない)が揺(よ)り来ば 破(や)れむ 柴垣」
(中西氏)「下とよみ」は「下動」の字を当て、「なゐ」は「地震」
(磯田氏)いくら立派な柴垣で防御態勢を整えたところで、地震が起きればそんなものは破れてしまう。地震に言及した日本史上最初の文献。古代人は、人間が造った建造物は地震にはかなわないと諦観(本質を明らかに見て取ること)
(中西氏)日本は火山列島、歴史を通じて日本中で震災が発生。鳥取県の日野川は、火山から流れてきた火砕流を下流まで運び被害は拡大。ヤマタノオロチ(大蛇のおばけ)は火砕流の神格化。
富士山も活火山、近年でも延暦噴火(800~802年)、貞観(じょうがん)噴火(864年)、宝永噴火(1707年)、大噴火を繰り返す。日本人は火災列島の振る舞いに順応して見事に対応してきた。
(磯田氏)万葉集では肯定的に。「なゐふる」の「ふる(揺れる)」は「石上(いそのかみ)ふる」
(中西氏)「聖なる岩倉の上には神が降り立ち、神は石の上で神威を振るう」
(磯田氏)「石上 布留の神杉 神さびし 恋をもわれは更にするかも」、柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)の歌、奈良県天理市の布留という場所に立っている大木。大地がいくら震えても、何百年もの樹齢を重ねて苔むし、なおいっそう元気。人麻呂はその杉を見ながら老いらくの恋を歌って。
昔の人は、大地が震えるエネルギーから大いなるものを感じとって。「大地はちゃんと生きている」と古代人は確認したのだろう。
(中西氏)大地にすがり、身をゆだねて農作物を・・・「ふる」は「ふゆ」とも。神や天皇が威力を発揮することを「みたまのふゆ」と
(磯田氏)目に見えない何ものかが大地を揺らし権勢を振るう。大地の揺れに生動を確認して、大自然と自分の生命がつながっていると考えていたように思えてならない。
(中西氏)「日本書紀」では「みたまのふゆ」に「恩頼」(おんらい・神や天皇などから受ける恩徳=恵み)の漢字を当てる。「恩」に関連して、「恩に着る」の「恩」は隠れて見えない気持ち。
(磯田氏)奇しくも、「恩」と「隠」は同じ「おん」
(中西氏)鬼やヤマタノオロチは目に見えない存在、予期せぬ災害。思いやりや温情も。隠居して隠れてはいるが厳然として力があることを、日本人は「恩」という言葉であらわした。
まるで大地が震えるように。人の魂が震えて恩恵(恵み)と恩寵(おんちょう・いつくしみ)を与えてくれる。「恩」とは最高の美徳と
◇◆◇◆◇
影姫は、鮪の方に魅力を感じていたのかな、武烈太子は大地を揺らす地震のように怒り、嫉妬し、力を誇示して、恐ろしい地震の表現を歌ったのかも。そんな適当な想像を・・・昔の人は、災害に対して鬼やヤマタノオロチのように、神格化させて恐怖を植えつけたように感じ。その場に近づけないように考えたのか。それにしても「なゐふる」という言葉が妙に心に残ります。
◇◆◇◆◇
潮4月号「天災と人災」-先人の知恵を語る(上part)を読んで
⑴「災間」を生きている
⑵天災は忘れたころにやってくる
⑶「it」は「天」
⑷生老病死
つづく