先人がつけた地名
あきひろ日記 潮5月号【対談】「天災と人災」-先人の知恵を語る(下Part2)を読んで
地震大国に住む日本人が本来もつ人生観、共生する知恵、震災がもたらした教訓とは。中西進氏(国文学者)×磯田道史氏(歴史学者)が語る。
東海道五十三次の被災と高台移転
(中西氏)宅地開発をやるべきでない地域に建物を建てたせいで、東日本大震災の被災地では被害が拡大。
(磯田氏)震災直後、宮城県沿岸部・南三陸町にある小さな防災庁舎。亡くなる間際まで防災無線放送を続け、逃げ遅れて殉職された。この防災庁舎が建っている場所の地名が「塩入」という。海抜1メートルの場所。
大量の海水が入ってくる「塩入」という場所に防災庁舎が建てられていた事実。後世の教訓に。
(中西氏)福島県二本松市の安達ケ原、昔から鬼女が人をさらって食べるという伝説。安達ケ原はもともと荒涼とした荒地。阿武隈川しばしば氾濫。過去、水位が上がったのかを示す棒。人の身長を超えて。水害から身を守る知恵、後世にも。
(磯田氏)宝永4[1707]年、地震と津波をきっかけ、東海道五十三次に出てくる宿場町がまちごと高台移転。
白須賀宿(しらすかしゅく・現在の静岡県湖西市白須賀)、津波によって、宿場町全部が流出。藩が公的資金を出して宿場町ごと高台に移転。全員移住。津波にやられるような場所に、大勢の人が寝泊まりする宿場町を置くのはおかしいと英断。
2014年8月、広島での土砂災害。(中西氏、大雨で山の傾斜地が崩落、住宅地が丸呑みされた痛ましい事件)
(磯田氏)最もひどい被害を受けた広島市安佐南区・八木地区、かつて「八木蛇落地悪谷(じゃらくじあしだに)」と。
(中西氏) 宅地開発するべきではなかった。(磯田氏、今思えば)、「比地(ひじ)」「泥江(ひじえ)」という地名、泥地の当て字。「坍」「崩岸」「小豆」(いずれも「あず」)という地名には注意しなければ。
先人がつけた地名は、過去に発生した災害の警告文。
(磯田氏)有史はじまって以来、日本人が自然に対して最も傲慢になった時期は19960年代の高度経済成長期。たまたま、地震と火山活動の静穏期。「人間は自然を克服できる」という科学信仰。宅地開発と大衆消費社会化が急速に進んだ。
1970年生まれ、小さいころ見たテレビアニメは、科学技術が社会問題を解決する物語ばかり。「宇宙戦艦ヤマト」「ドラえもん」(中西氏)最近は少し変わってきた。
2010年コミックスの第一巻発売「進撃の巨人[諌山創(いさやまはじめ)氏]、だいぶ様相が異なる。老朽化した壁の向こうから巨人が。綱と刀だけで生身の人間が戦う。科学技術信仰とは対極的。
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長い歴史の中での先人の知恵は、地名や伝説などにより、後世の人たちへ語りかける、注意を促す伝言のよう。今を生きる私たちは、これからも謙虚な姿勢で、後世に何を残すことができるのかと、考えさせられるパートでした。
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潮4月~5月号の「天災と人災」-先人の知恵を語るを読んで、印象に残った文章を簡単にまとめています(自分勝手に表現したりして・・・)
「天災と人災」-先人の知恵を語る(上・下part)を読んで[バックナンバー]
潮4月号
⑴「災間」を生きている
⑵天災は忘れたころにやってくる
⑶「it」は「天」
⑷生老病死
潮5月号
⑴なゐふる
つづく