生老病死
あきひろ日記 潮4月号「天災と人災」-先人の知恵を語る(上part-4)を読んで
東日本大震災から7年。日本人が本来の人間観、人生観、共生する知恵、震災の教訓を、歴史学者の磯田道史氏と国文学者の中西進氏が語る。
末期ガン患者との命の対話
(磯田氏)2016年京都に引っ越し。ある時、元気なおじさんに出会って、仏教の四苦「生老病死」の話を。
人は誰しも「老いる」「病気ななる」「死ぬ」という苦しみに直面する。生そのものにも苦がある。
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう・中国の僧侶)はインドから持ち帰った万巻の仏教書を読んで翻訳し、「生老病死」を抱える人の心の安寧を保ち、経典によって教えようとした。
そんな話しをすると、おじさんは今にも泣きだしそうな顔を。末期ガンだった。そして文通を・・・
(中西氏)手紙でどんなことを・・・
(磯田氏)正岡子規の「病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)」から「人間、死ぬと決まってもこんなに楽しく生きられるものなのか」「ひょっとして、この死生観こそ人間が生み出した最大の文明ではないか」と。それから半年後に・・・
「生老病死」の苦しみは僕にも必ず起こること。普通はそんなことをいちいち気にしながら暮らしていないけど・・・
実は宝くじが当たるよりも、宝くじを買いに行く途中で交通事故に遭遇して死亡する確率の方が高いとか。
要するに人は、自分にとって良いことばかりしか考えない。悪いことは誰にも必ず起こるのに、そのことは頭の中から取り払ってしまう。
養老孟司(ようろたけし)さん(解剖学者)から「人間の認識は不変だと思ったって、不変な認識なんてないんだよ」と。何故と訊ねると、「あなただって今末期ガンだと言われたら、一秒前に考えていたことと、このあと考えることはまったく違うことなるはず」と。
(中西氏)死は歓迎すべきものではありません。でも人生のプロセスの中で、死は必ず誰にも訪れます。今でも父親のことを思い出す。たとえ死んでからも、人が生きた価値ある人生の輝きは、いささかも古びることはありません。たとえいつ死んだとしても、その人が人類にとって有益な人間であることには変わりない。