安満遺跡青銅祭へ
午後から、青銅祭(市立桃園小学校・特設会場において)へ
高槻市安満御所の町 (高槻市公園墓地内)に安満宮山古墳(あま-みややま-こふん)があります。古墳時代初頭(3世紀後半)のもので、平成12年6月、出土品が国の重要文化財に指定されたと市のホームページで紹介されています。
安満宮山古墳は、安満山の中腹、標高125メートルの狭い尾根上にある、一辺20メートルほどの長方形墳です。ふもとには史跡安満遺跡、その南側には淀川と大阪平野が広がっています。
3世紀後半、邪馬台国の時代に築造されたと考えられ、中国・魏の年号「青龍三年(235)」銘鏡や三角縁神獣鏡(さんかくぶち-しんじゅうきょう)を含む青銅鏡5面、スカイブルーのガラス小玉1,600個余り、鉄刀・鉄斧などの貴重な遺物が出土しました。鏡は白銅色に輝き、鏡を包んだ麻布も残っていました。
出土した銅鏡は景初3年(239)、邪馬台国の卑弥呼女王が魏から贈られた「銅鏡百枚」の一部ともみられており、ここに葬られた人物―おそらく安満遺跡のリーダーが、当時の政権にあって重要な役割を果たしたことを物語っているのかもしれませんと。
また、古墳は築造当時の姿に復元整備され、「青龍三年の丘」として公開されています。
(以上は、高槻市ホームページ-インターネット歴史館-安満宮山古墳より)
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私たちの住むまち高槻は、日本でも有数の古墳地帯で、古くは縄文・弥生時代から人々が集い祭事や他の村との交流が頻繁に行なわれていたのではといわれています。前述したように、出土した青銅鏡が魏の国から海を渡り卑弥呼に贈られた物のひとつとみられており、当時この地が海運を通じて外交の重要な役割を担っていたものと推察され、このような歴史背景を現代の者が受け継ぎ、世代間の交流や子どもたちの笑顔づくり、また、市の歴史的背景を広げる取り組みから「青銅祭」が誕生し継続して行われているようです。(安満遺跡青銅祭実行委員会ホームページより)