高槻市議会議員 吉田あきひろのごきんじょニュース

[あ]したの [き]ぼうは [ひ]とりの人を思う ここ[ろ]から

たかつき

あきひろ日記 いいね!!たかつき 高槻市HPへリンク / 2015年10月27日

あきひろ日記

20151027_001154548_iOS高槻市は、高槻村、高槻町、そして高槻市と歴史を積み重ねてきました。平成25年には市制施行70周年の節目を向かえ、これからも「安全・安心のまち」として充実・向上に期待していきたいと思います。

さて、名は体を表すと言われますが、地名などは読めないことがよくありますよね。私も、近所に辻子(ずし)という所がありますが、子どもの頃、「つじこ」と読んで笑われた経験があります。「辻子」は十字状の道を意味する平安時代の言葉らしいですが、今も国道170号と十三高槻線が交差する十字路で、たぶん昔も交差する大きな道があったのかなと想像してしまいます。

そんなことを思うと、高槻はどういう意味!?と調べてみたくなりました。(少しお付き合いを・・・)

市のホームページにも掲載されていますが、史実としてはじめて登場するのは14世紀・鎌倉時代だとか(1185年頃~1333年)、いまから約700年前ですね。当時、奈良の春日神社の荘園(しょうえん・公的支配を受けない一定規模以上の私的所有・経営の土地)にあった耕地目録に「麦下地 高月二町十歩 野畠 高月七反半」(どんな意味なんでしょう? 畑が7反半、約1,500平方メートル?)とあるらしく、また、摂津名所図会(せっつめいしょずえ・摂津の国の名所を絵画や文章で紹介された地誌・今でいう観光案内書)でも、「古ヘハ高月と書す、地名を野見郷高月邑といふ」とあるそうです。

また、神武天皇(じんむてんのう・初代天皇)の東征(日向の都を大和に移す)の時代、長髄彦(ながすねひこ)一族の抵抗に苦しめられますが、道臣命(みちのおみのみこと)と味摩治命(うましまじのみこと?)が征伐に成功し、その功績をたたえ味摩治命に三島の地を与え、軍隊の旗印が月をかたどっていたので、そこを高月と名付けたとか。創作との説も・・・

さらに、高月高槻に転じたのは、槻の大木があり、戦国時代(15世紀末から16世紀末)に槻の近くに本陣が立てられたことから、月を槻に変えたとか・・・

20151027_001209889_iOS改めまして、市民の木は「けやき」で古名「槻の木」、「つきけやき」(強い木の意味)となっています。応永年間(1390年頃)、この地に大きな槻の木があり、約60mにもおよぶ大木で、昼間も暗いほどだったとそうです。市民の木として、昭和42年3月17日選定されたと市役所庭園内の案内板に記されていました。

大きな木には「安心」や「やすらぎ」を感じます。これからもそんな思いを大切にしながら市政発展を望み、取組んでいきたいと思います。

地名「高槻」の由来 高槻市ホームページ