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宝塚市 江原和明
kazuaki-ebara@tgikai.zaqrs.jp

Archive for 2014年 5月

12:45~ 楢葉町のがれき仮置き場視察

Jヴィレッジより北方にある、天神岬スポーツ公園の展望台より楢葉町の全景を眺めた後、

震災がれきの仮置き場に向かう。

福島県下より集められた廃棄物が3段に集積されている、元は田畑のようであるが中々仮置き場も地元の反対があり見つからない現状のようです。黒袋にはタグが付いており、どの地域から集められたものかわかるようになっていた。

その場所で放射能検査器で数値測定をしたが、0.1マイクロシーベルトであった。

この楢葉町からさらに北上して福島第二原発を通過して、第一原発から10km圏内に入る。 富岡町で帰宅困難区域の境界地域にあたる富岡二中の横にある桜並木を目指した。周辺は一切の人通りは無い。

富岡第二中学校の入り口には、ひなんばしょの看板がかかっているが、そこには「原子力災害時避難・集合場所」という表現がとても重く感じられた。この地域に関しても、国による除染作業がすでに実施されており、その形跡が桜並木にクッキリ残って見えた。地上から約2.5m程の高さまでは除染されて、そのラインから上には幹には深緑色の苔や樹皮が付いているが、除染部分はやや白色の状態になっている。

次に、富岡町中心部に向かうが、東京電力のエネルギー館やスーパー、旧双葉警察署がある。スーパー内部には当時の商品がそのまま放置されており、異臭がした。

最後の視察場所は、JR富岡駅である。津波による甚大な被害を受けている。さらに居住制限区域であるため、未だにJRの駅舎なども当時のままである。当然このエリアには電車は不通のままである。

駅周辺の旅館や商店などは、津波の被害により一階部分が無くなっています。駅舎跡地には東日本大震災慰霊碑が建立されて花束がたむけられていました。駅より東側の沿岸部では瓦礫撤去または除染作業の作業員の皆さんが作業をしている最中でした。

午前中は、いわき市から北上して楢葉町に入る。

9:40~道の駅ならは、NPO法人ハッピーロードネット西本由美子代表に会い、ふくしま浜街道・桜プロジェクトとして、30年後の故郷に贈る。原発で分断された国道6号線沿いに2万本の桜並木の植樹を目指して、基金設立一口オーナー募集を

展開中であることの説明を受けた。

10:00~

双葉警察署署長 渡部警視より双葉管区(第一原発周辺)の状況説明を受ける

双葉郡8町村(広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、葛尾村、浪江町)が福島第一原発より30km圏内であり、管内住民の避難人口は67,708人、うち完全帰還者は2015人(4月現在)。

双葉警察署は当時原発より10kmの富岡町にあったが、平成24年10月より20km圏境界である楢葉町のならは道の駅を臨時庁舎としている。

双葉署の署員は80名であるが、現在全国から一日250名の警察官の応援があり、さらに全国警察署からの出向で225名が勤務していただいている。双葉郡の広さは東京23区の1.4倍があり、現時点での行方不明者200名超の捜索や居住制限区域への不審者侵入などの警備や交通規制などの職務にあたっている。この双葉警察署臨時庁舎から富岡町の一部については避難指示解除準備区域となっており、昼間は出入りが可能ですが、宿泊を含めた居住がまだできません。全国からの応援署員に対しても、放射能汚染についての正しい教育を行い日々の職務遂行を行っております。約65,000名の避難者の財産を守るためにこれからも職務遂行いたしますと語っていただきました。

11:40~ Jヴィレッジ(サッカー日本代表などの訓練センター)

東京電力㈱福島復興本部代表 石崎芳行副社長より福島復興に向けてこれからもしっかり取り組んでいくとの挨拶があった。

このJヴィレッジは、福島第一、第二、広野火力発電などがある福島県に対して東京電力として土地、建物などを寄付した経過の説明があり、原発事故後1週間後には福島県に対して、復興拠点としたい旨の要請を行い、以来3年間ここを拠点にして、原発社員1000名、さらに作業員5000名が当初はここから防護服などに着替えて出発して、ここに戻る復旧・復興作業の拠点とした。現在は福島第一原発近くでの拠点ができたが、11面あるサッカーコートを全てつぶして、関係車両の駐車場とした。現在も自家用車はここに駐車してバスに乗り換え、第一原発に向かう拠点であり、作業員の食事休憩場所として、また新たな作業員に対する防疫教育の拠点でもある。

福島大学「うつくしまふくしま未来支援センター」の先生方のコーディネートによる、福島県下の被災地視察研修に、宝塚市議会議員18名で参加いたしました。福島空港よりバスで1時間30分ほどで福島県いわき市小名浜地区にあるいわき市観光物産センター(ら・ら・ミュウ2階フロアでは東日本大震災展示ブースを開催中でした、続いて環境水族館アクアマリンふくしまにて、職員から3・11当時の映像やその後の生物移動などスライドを見ながら説明を受ける。

いわき市震度6弱、津波はアクアマリン周辺では4.2m。

職員は見学者の避難を終え、水族館の3階部分で待機していたが津波が1階および地下1階部分に浸水して、電気、水道などライフライン全滅に伴い、20万種の生物のうち、海獣類を優先して他地域水族館・動物園に引き取り要請をして、海の生物は海に放流したが残念ながら死亡した生物も多かったと報告あり、現在は6万種の生物がいる。

午後2時すぎに、塩屋埼灯台の北部にある豊間地域に到着。いわき市で一番の約8mを超える津波が到達した地域であり、豊間中学校周辺では重機による整地作業が行われていた。

午後4時すぎには、いわき駅前にある復興飲食街『夜明け市場』へ

①    いわき市農林水産部・いわき情報局見せる課荒木係長、新妻係長

原発の放射能汚染により、いわき市の農産物が出荷しても売れない現状打破に向けて「安全性が心配なので、避けるようにいている」消費者をターゲットに、いわき農産物見える化プロジェクトとして農産物の検査結果を公表しTVCMなどを通して安全性をアピールしている担当課より説明受ける。

②     株式会社夜明け市場松本取締役

復興飲食店街として現在11店舗が営業している夜明け市場の仕掛け人から、現在までの苦労話や、成功した点などを説明いただいた。この店舗街は一人の所有者であった事が大きな要因であり、元々飲食店営業をしていたが避難して店舗を探して方、Uターンをしていわき市のために頑張りたいと思っていた若者などが集まり、自分たちで改装してオープンにこげつけた現状をお聞きした。

2011年11月、いわき駅前・白銀小路に2店舗からスタート。2013年3月に11店舗。

明けない夜はないを合言葉に、様々なジャンル、広さ、雰囲気で営業中。