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宝塚市 江原和明
kazuaki-ebara@tgikai.zaqrs.jp

Archive for 2012年 5月

5月22日 全国温泉所在都市議会議長協議会 総会(加盟市89市)

14時30分より、全国都市会館において役員会が開催され総会内容の検討をする。16時15分より、全国温泉所在都市議会議長協議会総会が開会。23年度決算および24年度予算と運動方針ならびに国への要望書案をそれぞれ採択した。

役員改選の結果、会長市は引続き熱海市、副会長6市のうち近畿ブロックから宝塚市が選出され、監事が3市、実行委員24市と新たな役員体制も決定いたしました。

5月23日 全国市議会議長会第88回定期総会(日比谷公会堂)

午前10時30分開会。下関市議会関谷会長の開会あいさつの後、来賓として内閣官房副長官、衆議院議長、参議院議長、総務省副大臣がそれぞれあいさつがありました。

会務報告の後、23年度決算の承認、24年度予算案の承認、表彰者への感謝状授与、昼食を挟んで午後は各部会からの報告がありました。

(1)地方行政委員会                      (2)地方財政委員会

(3)社会文教委員会                             (4)産業経済委員会

(5)建設運輸委員会                            (6)国会対策委員会

(7)国と地方の協議の場に関する特別委員会

次に各部会(地域ブロック)提出議案27本の説明と承認を行い、

最後に会長提出決議案

1.            東日本大震災からの復旧・復興に関する決議案

2.            地方議会の機能強化に関する決議案

3.            地方分権改革の推進に関する決議案

4.            環太平洋経済連携協定(TPP)に関する決議案

を採択して、新役員の選出を行い午後3時30分に終了しました。

特例市議会議長会 決算監査(都市センターホテル)

午後4時30分からは、特例市議会議長会(人口20万人以上の都市)の

23年度決算監査を、会長市である埼玉県草加市議会宇佐美議長のも

と、監事である岐阜県一宮市議会日比野議長と私とで決算監査として、

通帳や帳簿類の監査を実施いたしました。

5月24日 全国市議会議長会 市議会議員共済会(砂防会館別館)

午後1時から、市議会議員共済会の役員会が開催されました。会長市の関谷下関市議会議長、副会長には金沢市議会苗代議長、理事として9名全国各ブロックからの選出され、近畿ブロックからは宝塚市議会が選出されました。

議員共済会事務局より、昨年6月1日付けで廃止となった議員年金ではあるが、その後国会において首長等の一時金の件も合わせて共済年金または厚生年金との統合も含めて被用者年金に入るか?議論が続いている、という報告を受けた後、23年度決算、24年度予算などについて総会提出議案について協議を行いました。

午後2時30分から、24年度市議会議員共済会総会が全国117市の評議員の参加により開催されました。町村議員共済会との負担協定についての質疑もありましたが、全ての議案について了承されました。

5月25日 天皇拝謁

午前10時から、皇居内の豊明殿において市議会議長約550名参加のもと、天皇陛下の拝謁が行われました。東日本大震災を教訓として、国民の震災に対する認識を新たにすることを希望します、とのお言葉がありました。

宝塚市議会は、議会基本条例を昨年4月1日施行いたしましたが、現在全国各市議会においても、議会基本条例の制定および議会改革の取組みを進めています。

宝塚市議会の取組みが、昨年月刊『ガバナンス』11月号に掲載され、さらに12月末には『早稲田大学マニフェスト研究所』の議会改革度ランキングにおいて全国14位の評価を頂いたこともあり、議会基本条例制定に取り組む市議会や議会改革に取り組む市議会より研修会の講師に来て欲しいという依頼があり、2市議会に行ってまいりました。

5月7日(月)兵庫県明石市議会

明石市議会の出雲議長が自ら来宝され講師依頼があり、現在議会活性化特別委員会を設置して取り組んでいる現状をお聞きした上で、参考になればと議員研修会の場に出向きました。明石市議会全議員と市職員合わせて約50名を前にした研修会。

1.活発な議会活動 (議員提出議案H11年~、一般質問者8割以上)

2.積極的な議会改革(議会改革検討委員会常設、議場に市民参加で講演会・コンサート)

3.議会改革特別委員会の設置(H21年6月設置、3部会、全員参加・全員合意)

4.制定後の取組み(毎定例会後議会報告会、反問権定義、議員間自由討議など)

以上の内容に沿って宝塚市議会での実施内容について説明を行い、その後質疑応答を行いました。

5月11日(金)新潟県柏崎市議会

今年3月に柏崎市議会議員の方が視察に来られ、特に常任委員会における議員間の自由討議について調査をされていきました。その後、柏崎市議会霜田議長から、本来であれば宝塚市議会に出向くべきでありますが日程調整のこともあり、こちらに来て研修会にて講師をお願いできないかとの依頼があり一泊二日の行程になりましたが11日(金)午前10時からの研修会に行ってまいりました。

当日は、池田副議長のあいさつの後、議会改革に関する特別委員会の新貝委員長が進行役となって、議員および市職員40名超の前で、宝塚市議会での今までの議会改革の取組み、議会改革特別委員会の内容、議会基本条例制定後の一年間の取組みなどについて説明して、

その後、質疑応答を行いました。(講義内容・資料は明石市議会と同様)

柏崎市議会としては、議会基本条例を制定する前でも出来ることを実施してゆこうという考えに沿って、自由討議の実施にむけて具体的なスケジュールや事前の取組みについて、

多くの質問がありました。宝塚市議会として、定例会における一般質問と議案審議の順番を入れ替えた定例会日程や常任委員会の開催内容について参考となったと思います。

沿岸部の陸前高田市を離れて、内陸部の遠野市に向かう。遠野市には昨年10月末に一度訪問をしています。地方自治経営学会の遠野研究大会という研修会に参加した際に、会場である遠野市民交流センターにおいて、本田敏秋遠野市長から、遠野市役所も一階が潰れ、道路の陥没ヒビ割れなどの被害があったが、平成20年5月に発表した三陸9市町村地震災害後方拠点整備促進協議会の方針に沿って、いち早く後方支援拠点としての活動を開始した。

遠野運動公園を拠点に、自衛隊をはじめ全国42自治体職員、災害ボランティア延べ36,571人、稼動車両数延べ1731台、が集結して北は宮古市から南は陸前高田市までの沿岸部の支援を続けている。という『後方支援拠点』としての活動報告を聞かせていただいたのが懐かしい。

今年2月3日には、宝塚市幹部職員研修会の講師として、本田敏秋遠野市長を招いて宝塚市役所で『後方支援拠点』の説明を受けました。

この日、まさしく北は宮古市から山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市と沿岸部を視察してきたが、その被災地の後方支援の拠点となった遠野市に支援金を届けることができて大変うれしく思います。

5月1日午後5時に遠野市とぴあ庁舎に到着。

2階フロアーの市職員の歓迎の拍手に迎えられて、本田敏秋市長、及川増徳副市長、新田勝見市議会議長、浅沼幸雄副議長の前に、遠野市職員の皆さんの整列する所で、

本田敏秋市長に宝塚市議会(30万円)、宝塚市(職員)すみれ会(10万円)、清荒神清澄寺(100万円)からの支援金を贈呈させていただきました

この模様については、地元テレビ遠野テレビにも放映され、翌日の岩手日報朝刊にも記事が掲載されました。

その後、会議室にて本田市長から、岩手県の地図を示しながら遠野市と三陸沿岸部の各被災地との距離や位置関係を含めて、『後方支援拠点』としての初期の支援活動などについて説明を受け、質疑応答を行いました。

その夜、市長、正副議長の参加を頂いて宿舎にて意見交換会も開催いたしました。

5月2日研修3日目は、遠野市内の視察として宿舎のすぐ隣にある、市立博物館では学芸員の方による説明付きで遠野市の歴史を学び、次に被災した遠野市役所に。

1階が潰れた南棟が撤去されて狭くなった庁舎では、

『元気わらすっこセンター』を見学、教育委員会幼稚園部門も含めた子育て施策の一元化組織を紹介いただきました。

その後、仮設住宅を見学、菊池総務部長から入居者の8割は市外の被災者であること、玄関が向き合っており孤独を防ぐ建築に工夫をこらした点など説明がありました。

そして、『後方支援拠点』となった総合運動公園に向かい、今年7月に開設される遠野市総合防災センター(消防本部)を視察。建物は基礎免震構造となっている、自家発電設備で72時間対応、訓練棟が隣地建設予定、ヘリポートも確保、災害対策本部予定の部屋などの説明を受けた。

遠野市内で昼食を取り、いわて花巻空港に向かう途中、花巻市立博物館と宮沢賢治記念館に立ち寄り有意義な3日間の研修は終了しました。

《大船渡市》

釜石市内で昼食を取った後、大船渡市に向かう。市街地に入る前に大船渡市三陸町にある越喜来小学校に立ち寄る。校舎や体育館も津波の被害を受けたが避難経路を工夫したために生徒は無事であったと説明を受ける。

次に、赤崎町にある大船渡市放課後児童クラブのひとつである『にこにこ浜っ子クラブ』に到着。以前は赤崎小学校内にあったが津波により現在の場所に移動して再開している放課後児童クラブである。大船渡市とは昨年8月上旬に大船渡市立第一中学校生徒のスポーツ交流として宝塚市に受け入れるなどの教育支援が行われていた。

そこで、宝塚市立長尾小学校育友会の皆さんが東日本大震災の被災地の子ども達の為にと集めていただいた文房具類(ノート約600冊、シャーペンなど筆記具約1000本、その他筆入れなど)の受入れ先を探していた所、この大船渡市放課後児童クラブが見つかり文房具類の贈呈ができました。

事前に配達していた文房具類が大量(ダンボール11箱)であり、市内の放課後児童クラブにも分けて頂き、多くの子ども達が利用していただくことになりました。

当日は、にこにこ浜っ子クラブの一級児童厚生員である久保田涼子指導員に目録の贈呈をさせていただきました。

午後2時に大船渡市役所に到着。戸田公明市長、佐藤丈夫市議会議長、新沼秀人企画政策部長など出席いただき、戸田公明大船渡市長に、宝塚市議会(30万円)、清荒神清澄寺(100万円)からの支援金贈呈と、放課後児童クラブに対しての文房具類贈呈が終了したことを申し上げました。

戸田公明大船渡市長からは、宝塚市からの物心両面に渡る支援を頂き大変ありがとうございますとの感謝とお礼のあいさつがあり、その後大船渡市における被害状況と復興計画についての説明・質疑応答を行いました。

大船渡市は、市役所が高台にあり、町庁舎そのものが被害を受けた大槌町とは異なり、大船渡港の復旧が早かったことからも救援物資などの搬送もスムーズで、仮設住宅、仮設店舗の開設も完了して復興計画に沿った事業が順調に進んでいる、さらに頑張っていきますとの決意を述べられておりました。

《陸前高田市》

大船渡市を後にして岩手県で最も南に位置している陸前高田市に向かう。市街地に入ったところで陸前高田市の被害の大きさがすぐに理解できた。鉄骨造りの大きな建物は残ってはいるものの、4階部分まで窓はなくこちらからあちら側が見通せる状況である。

陸前高田市役所に到着。全員で黙祷、被災者・被害者のご冥福を祈りました。市役所の横には、市民会館、後方には大型スーパー、市立体育館、消防本部庁舎と骨組みだけが無残に残っている。ここが町の中心部であったと思われるが、遠くの高台まで何も無く壊滅的な被害であることが改めて理解できる。『言葉を失う』そんな情景である。

市役所から少し離れた海岸には『高田松原』の唯一の一本松が立っていたが、海水による塩害でかなり危険な状況だと説明を受けた。

2日目は、宮古市から陸中海岸を南に下るコースで、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市と南下して、夕方、内陸部の遠野市に北上します。

宮古市内のホテルから出発して、すぐに宮古市役所が見えますが1階から2階は未だ改修できない現状で、庁舎のすぐ横には海があり昨年の黒色の津波が防波堤を乗り越え市役所に迫るテレビ映像を思い出しました。

≪山田町≫

バスで30分ほどで、山田町に到着、この地域は津波後に、プロパンガスの爆発で火災が発生、断水のため消化活動が出来ず猛火に包まれ灰燼に帰した町の中心部を視察。

その後、船越地区では海の景色が人気な高齢者介護施設があった場所に、この船越地区は小さな半島の付け根であり、津波が北からも南からも2方向から押し寄せてきた場所であり海面から15m以上の高台に建つ高齢者介護施設は津波により被害を受けた。

≪大槌町≫

次に、大槌町に向かう、国道横に建つ大槌町役場に到着。発災当日、地震の揺れが続き危険なため、町庁舎まえで災害対策本部の会議を開催中に津波が到達。加藤町長(当時)をはじめ幹部職員約40名が津波の被害者となった。大槌町役場前で加藤町長はじめお亡くなりになった方々のご冥福を祈り全員で黙とうをしました。

午前10時、大槌町仮庁舎のある大槌小学校校庭に到着。現大槌町長碇川(いかりがわ)豊町長、阿部六平町議会議長などの出席の会議室にて、支援金の贈呈を行いました。

宝塚市議会から30万円、清荒神清澄寺よりお預かりした100万円の復興支援金を碇川町長に贈呈しました。その後、碇川町長から大槌町の被害状況や出来上がった復興計画の説明を受け、質疑応答を行った。

碇川町長は、職員130名のうち約40名を失い復旧・復興作業を続けてきたが、全国の自治体から合計42名の職員を派遣していただいて現在執務をしている。宝塚市からも職員西脇氏が4月より赴任していただいている、大変ありがたく感謝しています。町の復興を一歩一歩進めていくと決意を述べられていました。

この仮庁舎はプレハブで、7月には火災で被害を受けた大槌小学校の校舎の改修工事が終了後そちらに移り、本格的に復興事業に取り掛かるとの話でした。

≪釜石市≫

大槌町を出発して釜石市に向かう。市街地に入る手前で国道から根浜海岸に降りる。坂の途中にある高齢者介護施設、ここが避難所となっていたが、ここまで津波が押し寄せたので先程の国道まで小中学校の児童生徒は避難したと、ガイドから説明を受けた。

『釜石の奇跡』という話を聞いたことがありますか、この下の学校の児童生徒は、津波警報を聞いてすぐ避難を開始、避難所である介護施設まで来たが、津波が迫ってきたため、高齢者の手を引いて、また車椅子を押して高齢者と共に国道まで避難して全員無事でありました。釜石市での防災教育の大きな成果であると説明があった。

坂をさらに下った所に鵜住居小学校と釜石東中学校が並んで建っていた。その校庭は10mほどの高さのガレキの山でいっぱいである。校舎の4階の窓には自動車の姿が見えた。

実はこの場所には、私は昨年10月に一度訪問していたが、6か月経っているがガレキは全く処理されておらず、学校の再建の目途は全く立っていないようである。

根浜海岸は、夏は海水浴で賑わう場所で民宿も50軒ほど建っていたが、津波で一軒残らず流されている。コンクリート造りのレストハウスは現在も傾いたままの姿であった。

岩手県宮古市に本社を置く三陸鉄道株式会社の企画した三陸・被災地フロントライン研修について問い合わせをしたのが2月末でした。東日本大震災から1年がたち、津波による被害の現状把握および復興の課題、また後方支援の在り方についての研修ですが、復興元年は経済の復興であり、産業の活性化のためには被災地に行くことで少しでも被災地の皆さんを元気にしたいと宝塚市議会の全議員に案内をして、研修主旨に賛同して参加申込した議員は26名中全会派からの16名でした。

私を団長とした視察団は、30日午前10時前に「いわて花巻空港」に到着。三陸鉄道の手配した貸切バスに乗車していよいよ3日間の視察研修の始まりです。

宮古市街地にある昼食場所の魚元は、津波被害を受けたがいち早く再建をした老舗料理店である。その後、浄土が浜に向かい津波当日、沖合に避難して唯一被害を免れた観光船に乗船して海から沿岸部の被害状況を視察した。ゴールデンウィークでもありお客さんは多いように思われた。しかし、観光船乗車券売り場や休憩所のある事務所棟は地震の被害で使用できないままでの再開となっている。

次に向かったのは、田老地区である。田老は「津波太郎(田老)の異名をつけられるほど古来より津波被害が多く、江戸時代初期の慶長大津波で村がほとんど全滅した」との記録がある地区である。さらに明治29年の三陸津波では田老村の345戸が一軒残らず流された。

昭和9年から昭和33年までの第一期工事、さらに昭和41年には最終的な巨大な防潮堤が完成した。総延長2433m、地上高7.7m、海面高10m、上空から見ると英字の

x字型の巨大な防潮堤が城壁のように市街地を取り囲むまちが田老地区である。

三陸鉄道の田老駅からも防潮堤が見えた。その後、高さ10mの防潮堤に上がり約500mほど歩くと、津波で破壊された2期工事分の防潮堤の無残な姿がそこに現れた。

3・11の大津波は、約16mの高さがあったと言われ、巨大な防潮堤を飲み込み、破壊して市街地を押し流したのだった。

田老漁港の製氷貯水施設棟の横に、津波の歴史がわかる場所があるというので行ってみると、『明治29年の津波15m』『昭和8年の津波10m』というプレートが山肌に実際の高さに掲げられていたが、今回の津波はそれをはるかに超えたと云う。

その後、車で約10分ほどの所にある、グリーンピアたろうに向かう。

そこに田老地区の仮設住宅

400戸が建設されており、仮設の商店街もそこで営業を再開していた。