議会一般質問の動画をご覧になれます。
http://www.kashiwazaki-city.stream.jfit.co.jp/?tpl=speaker_result&speaker_id=118

委員会の動画を配信しています。
http://www.city.kashiwazaki.lg.jp/gikaigiji/shigikai/kaigiroku/net/chuke.html 



10月15日午後1時より、北海道泊村の泊原子力発電所を視察しました。
原子力PRセンター「とまりん館」にてまず、泊原子力発電所の安全対策について節舞を受けました。

とまりん館
http://www.hepco.co.jp/ato_env_ene/energy/pr/tomarin/ 
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泊原子力発電所は加圧水型の原子炉が3機、1・2号機は57,9万KW 3号機が91,2KWの出力で、3号機は平成21年12月に営業運転を開始をした日本で一番新しい加圧水型の原子力発電所です。
今回の視察は、福島第一原子力発電所の事故後の泊原子力発電所の安全対策についてです。基本的には、どこの原子力発電所も同じであります。地震や津波等により電源や冷却設備などの安全線機能が喪失することのないようにすることであります。
防潮堤や外部電源の受電ルートの多重化などでありますが、柏崎刈羽原発の沸騰水型のようにベントの整備については設置が猶予されている。

福島第一原子力発電所の事故を踏まえた泊発電所の安全対策のポイントhttp://www.hepco.co.jp/ato_env_ene/atomic/safety_improve/safety_point.html


泊村のニシン御殿と荒浜の麻魚網
泊村はニシン漁とエネルギー開発とともに歩んできました。
http://www.tomari-syokokai.com/history.html 
泊村の茅沼炭鉱は、ご存知のように北海道最古の炭鉱として、百有余年北海道開発の重要エネルギー資源として貢献し、泊村の発展のみならず、広く北海道の発展に大きな役割を果たしました。


柏崎市も明治32年、当時我が国最大の設備、規模を誇る日本石油柏崎製油所が建設され、同時に本社が柏崎に移転するなど、石油の生産地としての発展とともに明治中期以降の日本の近代化に向けて貢献をしてきました。

柏崎市と泊村はともにエネルギーの町として発展をした経緯があります。
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北海道のニシン漁と荒浜の麻魚網の関係

新潟県刈羽郡荒浜村(現新潟県柏崎市荒浜)の牧口庄三郎は 北前交易の先駆者で、当時.の北海道との交易は 手こぎの船(後の北前船)による命がけのもので、長い航海.を終えるのに約三ヶ月 を要した。 また牧口庄三郎は、延宝元年(1673)“あぞ網”を地元荒浜で作製して北海道の江差町に渡航して持ち込んだ。それまでの松前の漁民は、鰊を原始的なタモ網で掬い取っていたが、牧口庄三郎が渡航して持ち込んだ”あぞ網”(藁製刺網、又は金引苧網)により、漁民は刺網で大量にニシン等を取りことが出来た。これは、松前のニシン漁などに革命がもたらしたのである。
  元禄(1688 ~ 1703 年)頃からは、それまで禁止されてきた西蝦夷地への追鰊漁(出稼ぎ漁)が緩和・発達したことも、この網の改良につながり、”あぞ網”は日本三大魚網といわれるようになった。
  この鰊漁の革命により江差町は急速に栄え、現在ある「江差追分会館」や神社などにその面影が残されている。このような理由で、江差は「荒浜の人々が創った町」とも言われている。

泊村の鰊漁が柏崎からの漁網に支えられていると思うと不思議なつながりを覚える。


 

道の駅 おびら鰊番屋
http://www.hokkaido-michinoeki.jp/data/27/each.htm

鰊の栄華を今に伝える日本最北端の国指定重要文化財が道の駅になっています。
平成13年には北海道遺産にも認定されています。 明治38年頃に建築され、道内で現存する番屋では最大の規模を有し、当時雇い人が200人を超えた大鰊漁家。
鰊番屋の親方の部屋が再現されおり、そこで休憩することもできます。

 

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