バックナンバー 2012年 9月
世田谷区民ホールにて、公明党世田谷総支部のツーウェイフォーラムを開催。斉藤鉄夫衆議院議員を迎えて活気あるフォーラムとなりました。冒頭、世田谷区議団を代表して幹事長の私があいさつ。党の立党精神「大衆とともに」から50周年の経緯と意義を話しました。50年前の9月13日、豊島公会堂で開催された公明政治連盟第1回全国大会で創立者より「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」大衆政党たれとの思いの政党である50年の原点を話しました。斉藤衆議院議員より、党の重点政策、防災減災ニューディール政策や道州制、原発0社会をめざす、など詳しく話され、3党合意で進めている社会保障についても語られました。
世田谷区の紋章が発表されたのは、昭和31年10月1日。当時、上馬1丁目にお住いの芸大女子大生、高山節子さん。江戸開府500年記念大東京祭の際に、区民からの応募で行われた紋章のデザインが発表されました。700点を超える応募の中から選ばれたそうです。全体の丸は和を表し、世田谷の世の字をもとに3本の線が伸びる、区の発展を示していると。この日に区長との面談が実現したのは、私ども地元で行っている「六所の森の会」の代表である窪田代表の大学時代の友人のお姉さんがデザインしたことを最近知り、区長へ伝えたことから始まりました。今回、9月11日に区役所に来庁され区長との面談が実現しました。区長とのつなぎに関わったことから一緒に話を伺いました。今年、10月7日に世田谷区制80周年式典が行われるこの時に区の紋章を作られた高山節子さんも紹介されることになりました。現在の区役所には、区の紋章のことは誰も知らない状況でした。
地元赤堤2丁目の六所神社社務所をお借りして私の区政報告会を行いました。町会の皆さん、消防団、六所の森の会の皆さん、近所の皆さんなど、多くの方々に出席いただきました。心から感謝です。今回は、世田谷区の災害対策、特に公助のしくみをパワーポイントを使い行政が備えとして、ハード、ソフトの整備がもっとも重要であり、区としても備えの整備が進んでいる状況や事業のしくみなど訴えました。世田谷区では、震災後の火災が最も警戒すべきことで、そのために、延焼遮断帯を整備すること、道路や鉄道の立体交差、公園整備なども災害対策の重要な意味があることなど。また、私の議会での提案や質問内容についても報告しました。地元地域での報告を大切にこれからも、継続して行ってまいります。