バックナンバー 2007年 8月

8月30日、午前8時30分より正午まで、区長、副区長、教育長ほか435人の職員が防災訓練を行いました。私は、議会のオウム問題・災害・防犯等特別委員会委員長であることから総合防災訓練を視察しました。想定として、8時20分に東京湾北部を震源とするマグニチュード7.3、震度6弱。区役所の各部、5つの総合支所、出張所が与えられた状況に対して、情報を収集し指示を行う。災害対策各部から災害対策統括部へ総合支所におく災害対地域本部より災害対策統括部へ、また、区長を本部長とする本部長室へ報告・情報の共有の方法など重要な訓練が行われています。災対各部をいくつか視察しました。教育委員会では、小中学校の状況を掌握。区民生活では、避難所の開設や商店街の状況掌握。都市整備では、建物や公園の状況、総務では、区役所内での状況や近隣大学への要請など、初動から時々刻々と変わる状況を掌握し適切な指示を行うなど、図上訓練ではありますが重要な訓練でした。最後に区長を中心とした本部長室会議を行い、地域本部との連絡会議を行い終了となりました。区民の生命と財産を守る世田谷区の要となる職員の真剣な訓練が感じられました。

フレール西経堂の夕涼み会。災害時の炊き出し訓練をかねて始まった催しも今年6回目を迎えたそうです。私は、毎年必ずお手伝いに行っている催しです。担当は焼き物。秋刀魚、イカ、とうもろこしなどを炭火で焼きます。毎年のことでもあり、少しずつ秋刀魚の焼き方もうまくなってきました。見た目にもおいしそうな秋の秋刀魚です。この夕涼み会、多くの地域の方が参加します。また、自治会役員の方の準備も大変です。本当にご苦労様です。来年も楽しみにしております。

公明党東京都本部の夏季研修会。山口なつお都本部代表の挨拶のあと、前鳥取県知事の片山善博氏より「地方自治の課題と議員の役割」のテーマで講演。午後は東京都副知事に就任した猪瀬直樹氏による「猪瀬直樹の東京論と公明党への要望」について講演がありました。その後、太田昭宏党代表より話があり、待ったなしの財政再建のもと、一方では少子高齢社会での社会保障費の確保など各自治体とも難題を抱えながら行政運営を強いられている現状を踏まえた上で、公明党の基本的な姿勢として「どこまでも庶民の側に立つことが大事だ」と強調。「家がある、年金がある、健康である高齢者の方たちと、そうでない人との格差が現実問題としてある。(後者の)こうした人たちを守るのが公明党。一番困っている庶民の気持ちが分かるのが公明党でなければならない」と述べた。参院選の総括について、太田代表は「公明党の主張、路線は正しい。やっていること、実績も公明党は一番だと自負するが、選挙で勝たなければしようがない」と指摘。何があっても勝ち抜いていける「魅力ある党」とするため、広報宣伝活動を含め、あらゆる努力を惜しまない考えを示した。また太田代表は、党勢拡大に当たり、議員の心構えとして「常に味方をつくろう、人の心をつかもうと努力を重ねることが大事だ」と述べ、「この地域、わが町にはたった1人しか公明党議員はいない。この地域の党勢拡大は自分が必ず成し遂げるとの意気に燃えて、闘いを開始しよう」と呼び掛けた。

2003年は台風で中止となり、その後は会場周辺の河川工事が続いたことから5年ぶりの開催となった。今年の世田谷区政75周年にちなみ、尺玉75発を含む6千発の花火は迫力あり見事な彩りでした。小学生から花火のデザインを募集した11種類の子ども夢花火も打ち上げられました。新聞の発表によると34万人の来場。安全確保のための整理の方々には大変感謝です。

「羽根木こども園」を会派として視察しました。公明新聞の取材も兼ねて。関係者からも様々な要望をお聞きしました。ここは、羽根木幼稚園を3月で一旦廃園させ、改築し4月から幼保連携型施設として改めてオープンされた施設です。区立羽根木幼稚園と旭幼稚園は10年近く定員割れ(半分程度の入園)していたため、廃園を区が5年前打ち出しました。それに対して区議会公明党は、廃園を撤回させた上で、幼保連携型施設(民間運営で)へ用途転換すべきと一貫して主張してきた経緯があります。区議会公明党は存続させたうえで用途転換(幼保連携型を視野に入れ)すべきと主張してきました。今回、開園5ヶ月を経て改めて視察をしたところです。羽根木こども園は学校法人常盤学園が運営していますが、この法人は町田市で幼稚園と保育園の実績がある法人です。保育園児と幼稚園児が区別なく、就学前の幼児教育を受けれる体制ができ私どもの主張はよかったと実感しています。

環境と産業の共存を目指し、民間では初めての大規模な近自然工法を用い建設された群馬県前橋市粕川町にあるサンデンフォレスト赤城事務所を視察。佐藤優総務部長に話を聞きました。赤城の森林に総面積20万坪、その中に森林やビオトープを敷地の半分を使い自然を活かし、環境との共生を掲げている工場です。造成時も廃棄物を一切持ち出さない、間伐材や石、土はすべて敷地内でリサイクル。近自然工法は、調整池のビオトープ化、工場用地斜面の植林、斜面の石積み階段、散策道などあらゆる場所に生かされています。リサイクルセンターでは工場からの廃棄物を80種類に分別して99.9%をリサイクルしてます。昨年度は12000人の来客数となったと。特に小中学生向けの環境体験学習には70校3000人、約4年間で19000人を受け入れたと話されていました。1440枚のソーラーパネルで約300KWを発電しています。民間企業の力強さと未来への責任感を感じました。行政こそこの姿勢に立つべきと感じる視察でした。

平成5年7月12日午後10時17分、突然奥尻島を襲った「北海道南西沖地震」により奥尻町は壊滅的ともいえる甚大な被害を受けました。人的被害だけで死者172名、行方不明26名、重軽傷者143名にもおよび、被害総額約664億円にも達する大惨事となりました。奥尻島津波館では、被害状況が記録として残されており、大規模な崖地の崩壊によりホテル・レストラン、灯油備蓄タンクが飲み込まれた奥尻地区。津波の高さ29mにも達したといわれ家や人々を一瞬のうちにさらわれた青苗地区、稲穂地区。さらに火災で市街地を焼き尽くした青苗地区など。町民すべてに毎日お知らせする防災等の無線は、家の中でも聞けるラジオ型の受信機が全戸にあります。家の中でもまた外でもスピーカーを通して聞けるようになっています。さて、12年経った今、奥尻の人々の心の傷はなくなるものではありませんが、町並みは完全復興でありました。当時、青苗小学校4年生の作文「地震が起こった すぐに外に出た 灯台がくずれていた 走っている人たちは津波がくるとさけんでいた 友だちに会った うれしかった 次の朝 私の家にいった 家がなかった 悲しかった」 悲しみから立ち上がり力強く生き抜く奥尻の状況を心に刻みました。夕張市と奥尻町のマイナスからの復興再建の視察は今後の私たちの貴重な財産となりました。

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