南波秀樹(なんばひでき)

 

◇公明党 神奈川県本部 青年局次長

◇昭和47年6月5日生まれ 42歳

◇平成 7年 3月  東海大学理学部化学科 卒業

◇平成 7年 3月  株式会社 巴商会 入社

◇平成14年 4月  株式会社 南波製作所 入社 (家業)

◇平成16年10月  日鐵ドラム 株式会社 入社

◇家族構成 /妻、男の子3人の5人家族

◇座右の銘 / 艱難汝を玉にす

 

 

【幼少期】 

日本海に面した漁師町、新潟県三島郡出雲崎町で生まれ育つ。

幼い頃は体が弱く、喘息による入退院を何度も繰り返した。

長岡市の病院の窓から見た花火大会、小児病棟のクリスマス会。イベントの思い出はいつも病気の記憶と重なっている。

小学校を休みがちだったためか、いじめにも遭った。

家庭は貧しく、町工場を立ち上げ油まみれになって働く両親の後ろ姿を見て育った。

苦しい思い出が多い子ども時代だったが、いつも寄り添ってくれた母親を支えたいとの思いから、放課後や休日は進んで工場や畑仕事を手伝ったり、妹の面倒を見たりしていた。

 EPSON MFP image

 

【青春時代】

 体を丈夫にしたい一心で中学校では陸上部に所属。最初は練習についていくのがやっとだったが、卒業までやり通す中で次第に体力がついていった。

欠席が多く成績がふるわなかった小学生時代を挽回すべく、勉学にも挑戦。

高校は志望の進学校に入学し、毎朝5時に起床して1時間半に1本しかない電車で通学した。この頃から食べる量が格段に増え、それまでやせ細っていた体が急激に太りだす。

高校卒業後、大学への進学を機に、神奈川県で一人暮らしを開始。

自由で楽しい学生生活を夢見ていたが、実際は化学の研究室にこもり、実験に明け暮れる日々だった。

 EPSON MFP image

 

【社会人になって】

 産業用ガスの専門商社に就職し、営業職に従事。客先からの呼び出しがあれば、時間に関係なく県外でも飛んで行って対応した。大変だが、やりがいのある仕事だった。

7年勤務した頃、実家の工場の経営が行き詰まっていることを知り、両親を助けたいと一大決心して退社。家族を連れて新潟に帰郷し、遊具製造を行っていた家業に入る。経理業務や営業改革に取り組むも、1年後ついに、任意整理せざるを得なかった。

大勢の方々に迷惑をおかけし、家も仕事も失い、途方に暮れている時、お世話になった中小企業再生の先生や銀行の支店長さん等が温かく励ましてくれた。

感謝の思いを胸に、再起を誓って東京都町田市へ転居。

不況の中、厳しい就職活動を経て、派遣社員として大手ドラム缶製造会社の技術職に就く。約1年半後、正社員として採用され、8年半勤務する。試験担当部門を任され、将来を期待し、育てて頂いたが、惜しまれつつも退社。

 EPSON MFP image  子どもと 2002.10-1

 

【現 在】 

相模原市緑区在住。

時間がある時は高尾山や陣馬山等を歩いて汗を流したり、好きな料理を作って家族に振る舞ったり、子どもと思いっきり遊ぶことが楽しみ。

20代の頃は100㎏を僅かに超えた体重が、今では2/3に減り、ダイエットに成功!

私たちの愛してやまない相模原を輝く街にしていきたい、目の前の悩んでいる方に尽くしたいとの思いから、あらたな挑戦へのスタートを切ることになる。

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    子どもと 2014.12-1

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