バックナンバー 2012年 10月

 今日の市民相談は親のありがたさが身につまされた相談だった。相談者の高校3年の娘が大学に進学したいと言う事なのだが、家に金がないのでどないしようという相談である。彼は中小企業に勤め、手取りは18万円。母親のパートは月8万円。そして弟君も来年高校受験。相談者はなんとしても娘の希望する大学に入れてやりたいというのだ。夏前に奨学金の話はしていたのだが、入学金、授業料そして弟君の同様に入学金授業料制服代などもろもろ入れると150万円はいるのではというのだ。さっそくかれの会社の「ろうきん」はどうか、奨学金の見通しはどうかなどをお話させていただいた。また、彼の通勤車のローンもある。2時間ほどかけて大計算。結局「ろうきん」で借りて、車のローンを一括して返してはどうかとなった。明日以降の彼と組合との交渉に懸っている。もちろん、娘が大学に合格することが大前提だが。彼は「不合格なら仕方がないが、金がないので大学へは行くなとは親として言えない」という。親心である。
 私の家も、父はしがない公務員であり、決して裕福な家ではなかった。父と母は今日のように頭を突き合わせて、息子が大学に進学したらお金はどうしようと悩んでいたに違いない。当時は今のようにまともな奨学金などなかった。私は何も知らずに、大学に行くのは当然のような顔をしていたと思う。両親は家計がどうなるのか私にはおくびもださず、「勉強して大学にいきや。ちゃんと仕送りはするから」と言って励ましてくれていた。今思えば申し訳なさで一杯だ。
 ちなみに、くだんの娘は今日はなんかのコンサートとかで大阪にいっているとか。借りる奨学金はお前が払うんだぞとしっかりと言い聞かせておくことが大切だ。親の心、子知らず。

 10月21日、ああ10月21日。国際反戦ディ。1968年のその日、私は東京の友人宅を訪れていた。同じ高校出身で彼は早稲田に進学していたので、彼の招きで中学の修学旅行以来の東京見物に出かけていた。早稲田大学を案内してもらって、文学部の校舎で「吉永小百合が座った椅子」と書いてある椅子に座り、彼に写真を撮ってもらい悦に入っていた。夜、新宿で飯を食おうぜ、となって出かけたのだが、めちゃくちゃ機動隊が多かったのを覚えている。そのうちガス弾発射の音や喊声が聞こえてきたと思うと眼が痛くて開けられなくなってきた。10月21日国際反戦ディの新宿駅占拠事件だ。「ベトナム戦争反対」が「新宿戦争」となった。確か騒乱罪が適用されたと思う。結局私たち田舎者二人は電車が止まっていたのでトボトボと彼の下宿のある大塚まで道を尋ねながら歩いて行った。
 彼の下宿アパートでマンガの「ガロ」を見せてもらって”つげ義春”氏の「ねじ式」に感動して、やっぱり東京は垢ぬけているなあと感動した。ニワトリの餌やりが毎日の日課でカブトムシ取りと釣りを趣味にしてランニング姿でひと夏を過ごしていた彼が都会人にみえたのを思い出す。私も彼も大学1年生の未成年。10月21日になると催涙ガスで目をしばたたかせながら新宿から大塚まで彼と二人で歩いたのを思い出す。あれから45年。お互いに年月を経て好々爺となった。

 今日は今週4回目の支持者の集いに参加。いつものように公明党の施策やら公明党はなんで消費増税案に合意したのかなんかをお話させていただいた。
 会合が終わり、みなさんとお茶でも飲みながらの雑談になって、若いママから「昨日コストコにママ友といってん」との話になった。コストコ?そりゃなんでんねん?若いママ曰く、京都の八幡にある大型スーパーなんだとか。そこでママ友とまとめ買いをしてあとで分けるんだとか。私は本当は業務スーパーとかに行くことが多いのだが、見栄をはって、よく行くのはマックスバリューとか松屋スーパーとかだな、と答えておいたが、コストコとは!これはなにも商店街がダメになったのは郊外にスーパーができたのではなく、買い物客の購買行動範囲が変わったのではないかと思ってしまう。イオンや平和堂や西友などの既存のスーパーではなくアメリカ型の倉庫型スーパーに浜大津からわざわざ京都の八幡市まで行くとは。そしたらある人が「私は神戸のイケヤまで行くで」とおっしゃる。又あるお人は「竜王のアウトレットはよく行くけど、お店少ないやん。長島温泉の近くにあるアウトレットの方がええやん」ともいう。これはどういうことだ。行動範囲が広すぎるし、全く買い物パターンが変わってきている。品ぞろえの問題か?これを克服しない限り大津市の商業はやがて全滅するのではないか。それともこの若いご婦人達たちの買い物行動が変なのか。ハレの日には一里山フォレオが関の山の私にはなんともはや・・・。
 今日の会合ではルネサスのリストラ問題も出た。大津市の対応について確認しなければならない。

 18・19日と二日間の視察からご帰還。
 一日目は広島県呉市。ここでは呉市の景観条例を勉強・確認する。呉市はかっては清盛の時代から海色に染め上げられ海とともに育ってきた街。そして明治に呉海軍鎮守府が置かれてから海軍の基地の街として発展し、敗戦後も海上自衛隊の基地の街である。そのため市内各所に海に関する景観眺望点が数多く存在する。それを守り市内外にアピールする事で加えての観光の目玉にする「街づくり」が主眼の作戦だ。大津市も景観に関しては様々な制約があるが、ただたんに景観を守ろう、ビルに琵琶湖の眺めが妨げられないようにしようとの点が強すぎるように思う。呉市は景観を守る点を観光に主眼をおいているのが明確である。それはそれでいいのではないか。湖の沿った街をいくつか訪れたが、押し並べて、どの街も田舎くさい景観であった。大津市は湖上からみても都会チックである。夜も灯がきれいである。私はそれはそれで大津の素晴らしい景観だと思う。

呉港にいた潜水艦

 2日目は熊本市。九州3番目の政令都市。大都会である。本年7月の豪雨災害の状況とその後始末について視察をさせていただいた。まあ、土地勘がないので、職員の説明を聞くたびに熊本市の地図をおっぴろげてガサガサと探したり、熊本市は今年4月から政令市になっているため、若干法律が違ったりして、私の頭の中は大混乱。どちらにしても、国県との連携がうまくいっており、災害は最小限度に。そして今後の対策もスムーズに進んでいるように感じられた。

研修風景

 九州からの往復は九州新幹線で。「さくら」号はきれいな車体で、やっぱり新しいのはいいし博多から直接熊本までいけるのが楽ちんだ。ただ熊本出発、博多乗換、京都着、野洲行き新快速、石山着の工程は年寄りには若干きついか。どちらにしても我が家にたどり着くまでが視察研修会。無事でなにより。お疲れ様。
 そうそう。呉市で大津市の某工務店さんの慰安旅行中と偶然出くあわせた。あぶないあぶない。悪いことをしていたら誰に会うかわからない。ゆめゆめご注意あれ。

 私は10月生まれ。私と同じ誕生日の御仁も議員仲間に二人もいる。ある会派のお姉さんも同じ日の生まれだ。しかも私が最年長者。私が生まれた日の誕生花は月下美人。花言葉はデリカシー。私にはぴったりではないか。だから我が家の月下美人はきれいに大きく香しく咲くのだな。同じ日生まれの有名人はつんく♂ぐらいか。
 どちらにしても10月は誕生月。死出の旅路は始まっている。今年も誕生日プレゼントは期待しない。

 昨日今日のTVや新聞では尼崎の事件で持ちきりだ。各関係人物の相関図を見ても、誰が誰とどう繋がっているのか、私には何が何やらさっぱりわからない。誰がだれの娘やら他人やら、何故よその県の人がでてくるのか、本当にさっぱりわからない。おじん、おばん、おとん、おかん、あにい、わし、わしのよめ、ねーさん、まんなかのちび、したのちび。そういう数え方しかわからん。
 日曜日に尼崎に行ってきた。友人に会って公明党の施策を説明するためである。「尼の事件はなんか複雑な事件やな」「そやろ。地元でもこの話でもちきりや」「ところで選挙があんの知ってるか」「知らんで。ホンマか」「・・・」。

 復興を理由に増税まで決めておきながら、復興とは無関係とされる8事業にその予算が使われていた疑惑を追及する衆議院決算行政監査委員会の小委員会が民主党の欠席で流会となった。この民主党議員の欠席は野田政権への批判つぶしであり、追及を恐れて及び腰になっているとしか映らない。死に体である野田政権にさらに打撃を与えるような審議はすべて拒否するつもりなのか。暴力団仲間の大臣の件もある。一日も早く臨時国会を開いて議論する必要がある。もちろん、参議院は民主党議員が欠席しても野党だけで定足数を満たしており、充分開催できる。欠席戦術は通用しない。一刻も早く検証し、復興を最優先にして使われる予算に改めなければいけない。民主党議員は被災地を見たことがあるのだろうか。あれから1年7カ月もたつのに復興の歩みは遅々として鈍い。
 来年度予算の編成も「近いうちに信を問う」といってる政権にまかせてもいいのだろうか。国民に信を得た政権が予算を組むべきであろう。現在の政治混乱を避けるには早急な解散総選挙が必要だ。

 朝から良い天気で風邪の熱で湿っていた布団を干し、シーツも冬用に取り換えた。枕カバーも大好きなイチゴ柄にした。風邪も9割は治ってきている。なんとかプラズマとか言う風邪ではなく、普段の不摂生による風邪らしい。ええとこの子は体力的にも弱い。

 今日の日曜日は風邪も治りかけていて、まずまずの気分で目覚め、久しぶりに部屋でも掃除をするかと決意したのだが、難しい市民相談がニ件立て続けに。一件は若い男女の問題。男性は京都市の19歳、女性は京都府八幡市の21歳。二人ともそれぞれの家庭の愛情に恵まれず、二人して家を飛び出し、友人宅を転々としているの事。彼女は妊娠しているが、一回も検査に行ったことがないという。あかんがな。彼氏に「二人で住みたいなら、まず仕事を見つけ、とりあえず君の実家でもいいから住所を作り、彼女に京都市民になってもらって母子手帳を受けろ。婚姻届は市営・府営住宅申し込むときでいいから」とアドバイス。あとの事は京都の市会議員に連絡せよと電話番号を紹介。そして女性には「あんたはもう21歳。世間では大人やで。しっかりと生活していかなあかんで」とこれまたえらっそうにご意見した次第。
 お次は生活保護の男性の件だ。体の調子がとても悪く、病院へ行かねばならないが、立っているのもやっとなのでここ2~3日の病院通いは家内が送り迎えしていたのだ。そのお方は家内の友人から「なんとかしたって」と紹介を受けた手前もあるが、いくら家内が老女とはいえ男性の送り迎えはいかがなものかとなって、生活福祉課に連絡したところ、なんとかTAXIは使えるようになった。週明けにはいよいよ手術・入院となったがその同意書を誰かが記入しなければならない。彼は身寄りもなく、頼む宛てもない。こんな時は生活福祉課はどうするのだ。市は出来ないというのなら、民生委員がするのか。全く今まで知らなかった私の家内が同意書にサインをするのか。生活福祉課はお金をあげてそれでいいと思っているのならば、それは違うぞ。こんな時に市が動かずして何時動くと言うのだ。家内がサインしなければ、彼は手術も入院も出来ないって事になりかねない。そしたら彼は死ぬぞ。ふにおちない事案である。
 そんなんやら、こんなんやらで午前中はドタバタと。昼からは関西の某市へ。

 

 琵琶湖グランドホテルで津田新三氏の副議長就任パーティーが挙行され、公明党議員も5人で参加させていただいた。私は当地を訪れた事は一度もないが、ホテル前のびわこを臨む風景がどこかで見た感じがして、デジャブかしらと思っていたのだが、何のことはない。以前片平なぎさ氏が出ているドラマでご当地が使われたとの事。私はきっとそのTV番組を見ていたので記憶をしていたのだろう。
 パーティーはたくさんの地域の支援者さんや市執行部、国会・県会・市会の議員さん達で大盛況。ただし、市長の参加が祝電のみであり、メッセージもなかった。代理で副市長がご挨拶をされたのだが、かりにも副議長就任のお祝いだ。とてつもなく忙しいのであれば、川端衆議院議員や佐野県会議員のようにあいさつだけしてさっさと帰ればいいのだ。津田氏のメンツはどうする。これからの対議会運営に影響がなければいいのだが。

 議会も終わったのに、のんびり資料整理などする暇もなく、今日は朝からヤングミセスの皆さんと一緒に政治学習会を開催。若いママたちとちびっ子軍団の中でお話をさせていただいた。私はまだ風邪気味であったのでちびっ子たちに移しては大変なので、少し離れたところからお話を。ママたちの関心事は消費税といじめの問題。近々家を買う予定の方がいらっしゃって、消費増税に疑問をぶっつけてこられたが、社会保障の現状を強く訴えさせていただいき、増税の扉を開けるまえに公明党としていくつもの鍵を付けさせていただいた事をお話させていただき、増税後それも10%になってから消費マインドが落ちたところで買う事にするとの返答であった。おまかせします。いつもはおっちゃん、おばちゃんとの話し合いであるが、今日は若いママたちとの話し合いでおおいに緊張した中での30分となった。
 昼からはしっぽりと会派の平成25年度要望書作成に5人でとりかかる。私は終了後も市民相談のうちあわせでで市の担当者が帰るまで待機。結局6時過ぎまでかかってしまい、疲れ果てて家に帰ればバタンキュー。年がら年中、こんな生活。

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