垣見大志朗(かきみ だいしろう)
【 プロフィール 】
血液型 :A型
趣 味 :読書
好きな作家:津本 陽
座右の銘 :さあ仕事を続けよう
(アーノルド・トインビー)
家 族 :妻、一男一女
<役職>
●府議会
大阪府議会第118代副議長
環境農林水產常任委員会委員長
都市住宅常任委員会副委員長
関西広域連合議会議員、大阪府港湾審議会委員等
を歴任
●党役職
府議会議員団政務調査会長等を歴任
現府議団副幹事長
公明党大阪府本部副幹事長、府民運動総局長、泉州総支部長
【 略歴 】
1956年6月鹿児島県鹿屋市生まれ。
名古屋市立日比津中学校卒
名古屋市立工業高等学校卒
海上保安学校卒(本科第7期)
国土交通省・海上保安庁に30年間勤務。
海上保安官として海難救助・海上保安行政・海上治安維持等の仕事に携わる。
岸和田海上保安署、関西空港海上警備救難部、大阪海上保安監部などに勤務し、2006年9月30日 第五管区海上保安本部総務部人事課専門官(一等海上保安正)を最後に退官。
2007年大阪府議会議員選挙において初当選
以来 4期(16年)連続当選
<詳細> 2007年(平成19年)統一地方選挙 /大阪府議会議員選挙/府議選 2011年(平成23年)統一地方選挙 /大阪府議会議員選挙/府議選 2015年(平成27年)統一地方選挙 /大阪府議会議員選挙/府議選 2019年(平成31年)統一地方選挙 /大阪府議会議員選挙/府議選【 決断・決意 】
昭和60年。人生を決定づけた、二つの出来事に出あいました。
一つは、昭和60年2月、岸和田市阪南港沖で木材運搬船が沈没。乗組員は20人。木材も大量に流出していた。「人命救助」そして「被害拡大の阻止」まさに一刻を争う状況でした。通報を受け、現揚に急行。運搬船のもとへ。一人の犠牲者も出すことなく、乗組員を無事に救出した。しかも、流出した1001本の木材をすべて回収することたができ海上保安庁長官表彰を受賞。目の前にいる人を助けたいという気持ちだけで、恐怖心は全くありませんでした。何があっても”人のために”との思いでした。
この年の9月、もう一つの出来事に見舞われました。最愛の長男・真一朗を、4歳の誕生日を迎える直前に交通事故で亡くしてしまいました。まさに、天国から地獄へ突き落とされる思いでした。心の中で”なぜ”と悩み、どん底の日々を送りました。
その時に支えとなり、生きる希望を与えてくれた、岸和田の同志。次々に激励に駆けつけてくださり、命がけで励ましていただきました。心に響く、友の温かく力強い言葉で、私たち一家は立ち直ることができました。”岸和田が私たちの故郷”だと、命で実感した瞬間でした。
そして、府会議員への推薦のお話があり「草創の大先輩たちが、汗と涙で勝ち取ってこられた”岸和田の伝統の公明党の一議席”を、命をかけて守らせていただきたい!」と、人生を捧げる覚悟はできていました。
平成18年9月、30年間勤めた海上保安庁を退職し、泉州の中核「岸和田」のため、岸和田にご恩返しをさせていただくために「長男の死」という自身の体験を通し、岸和田で二度と悲惨な事故を起こしてはならないとの覚悟で安全、安心の岸和田を築くため19年4月に初当選させていただき、以降4期連続当選させていただきました。
公明党の創立者は「民衆を苦しめる社会の不条理と戦ってこそ、政治家である。その戦いがなければ政治屋である。最も苦しんでいる人に、救済の手を伸ばすことこそ、政治の原点である」「権力には魔性がある。ゆえに権力に近づく人間は峻厳にわが身を律せねばならない」こう言われています。これが私の決意です。