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宮沢賢治の「学問」への思いは、
教育の危機が叫ばれる今だからこそ、一層光を放つ。
アンチ「口耳の学」を、親として肝に銘じたい。

『稲作挿話』は、宮沢賢治が花巻農学校の教員を辞した後、近隣の農民らに稲作指導や肥料に関する知識を教えている頃に書かれた詩である。私はそこに歌われている若い農民への大きな期待に共感を覚える。

「これからの本統の勉強はねえ/テニスをしながら商売の先生から/義理で教はることでないんだ/きみのやうにさ/吹雪やわづかの仕事のひまで/泣きながら/からだに刻んで行く勉強が/まもなくぐんぐん強い芽を噴いて/どこまでのびるかわからない/それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ」

苦労の中で体に刻み込む勉強が可能性を開かせる――賢治の教育観を垣間見ることができる。すなわち「苦に徹すれば珠となる」である。

賢治の「学問」への思いは、教育の危機が叫ばれる今だからこそ、一層光を放つ。同時期の『野の師父』では、否定的な意味から「口耳の学」という言葉を使っている。「耳で聞いたことをそのまま話すような受け売りの学問」――わずかな知識をひけらかすエセ知識人を育てぬよう、子を育てる親として、元教育者のはしくれとして、アンチ「口耳の学」を肝に銘じたい。

(「アンチ『口耳の学』」より)