2019.11.30 越戸こども園で思う事
昨日は「年末の安全なまちづくり決起大会」に参加をし、慌ただしくなる年末に向けて交通安全や防犯活動の再確認をしました。
そして、今日は越戸こども園の発表会で元気な園児の演技を見させていただきました。
交通安全と元気な園児と越戸こども園。
この時期になると、猿投地区に住む私たちは改めて交通安全を心に誓います。
越戸こども園の園庭の隅に、10人の園児と一人の保育士のために建てられた慰霊碑があります。
その裏にはこの慰霊碑が建てられた経緯と思いが綴られています。事故からもうすぐ53年。その全文を掲載します。
昭和41年12月15日の朝、一瞬にして33名の死傷者を出すという自動車の交通事故としてはかつてない大惨事がおこった。保母の原先生の導く綱にすがり、保育園に向かって横断歩道を渡ろうと、一団になって待っている園児の群に暴走するダンプカーが追突された小型車と共に突っ込んだ瞬間のできごとであった。
病院にかけつけた親たちが血と肉と泥の中からわが子を探し求めていたとき、霊安室にはすでに九つの遺体が置かれていた。
「子供たちを先に。」と廊下で重傷に堪えていた原先生もついに逝かれた。翌日もう一人の子供が後を追った。
あゝなんという惨たらしさか、言葉もない。泣けど叫べど帰らぬ幼児の霊を思う時、「原先生、たのみます。」と合掌するばかりだった。
1周忌を迎えるにあたり世の人々の浄財を得て、いま、天国で原先生と遊ぶ子供たちの像を刻んで現地にこれを建て、冥福を祈ることゝした。
像に霊あらば、これを迎ぐ人たちにかかる惨事が再び繰り返されぬよう訴え続けてくれることであろう。