『名古屋市史』は面白い!
2月25日の本会議での個人質問では、以下の二点にわたり質疑応答を行いました。
1.学区連絡協議会や町内会などの地域のコミュニティーをどのように活性化していくか
2.入居者の高齢化(高齢化率42%なんです!)が進む市営住宅の自治会運営をどう維持していくか
質問の最後に、『新修 名古屋市史』に収録されている文書を引用して意見を述べました。
具体的には、徳川時代~戦中~戦後と続く名古屋市の住民自治組織であった町総代や聯区(れんく=学区)制度の一側面を紹介したのですが、質問原稿を作るため『名古屋市史』のページめくっていると実に面白い文書がたくさんあることに気づきました。
その一例をご紹介するとすれば、いま流行りの「県と市の二重行政の解消」が既に昭和20年代から盛んに言われている点でしょう。しかも表現がなかなか過激で、当時の名古屋市行政マンの熱気がよく伝わってきます。
昭和21年の第91回議会で衆議院は「五大都市は速やかに特別市制を実施すべし」ことを決議しました。この動きをうけて昭和22年8月に出された『特別市制について 名古屋市』からの抜粋です。
特別市とは都道府県と同等の権限を持つ大都市のことで、五大市とあるのは京都、大阪、名古屋、神戸、横浜を指しています。ここでは名古屋市が愛知県と同等の権限を持つ「特別市」になるべき理由が生き生きと記されています。
(以下抜粋)
『実力から申しましても優に二流三流の県を凌ぐものがあって、今年度の愛知県の予算の総額が八億二千万であるのに対し、名古屋市のそれは十二億三千万にのぼる』
『名古屋市は(世界で)二十番目の人口を有する大都会で(中略)地方都市と同様に一地方長官の支配下におかれるのはいかにも不合理』
『国家に直結し国家的規模国際的観点に立って経営すべし』
続いて、昭和27年3月に出された『特別市のはなし 名古屋市』からの抜粋です。
『府県が上に立って、あれこれと差し出がましい干渉をすることは、仕事がおくれ、金がかかり、結局市民の迷惑となり、負担がふえる』
『名古屋市のような大都市にとつては、県に指導してもらい、監督を受けねばならぬ仕事はひとつもない』
『行政の簡素化、市民の負担を軽くするために、有害無用な二重組織はやめねばなりません。』
『例えば県税と市税が一本になれば、県税の徴収に当たっている県職員と県税事務所が要らなくなります。』
『二重行政の撤廃によって浮くお金は名古屋の場合でざっと二億円』
二重行政解消って、新しくて古い問題だったんですね。
(いずれも『名古屋市史 資料編 現代』より抜粋)