総務環境委員会として8月24日(水)午後、鹿児島県の知覧特攻平和会館を視察。

大東亜戦争(太平洋戦争)の戦局は速に最悪の事態を迎え、昭和20年春には遂に本土最南端の陸軍特攻基地となった知覧では、20歳前後の若い隊員達が、日本の各地から終結しては、家族を想い・国の将来を想って、出撃していった。

出撃の時、特攻隊員の食事の世話・洗濯・繕い物や兵舎の清掃など身の回りの世話をした高等女学校の生徒さんや地元の方々が、「必死」、必ず死ぬことが分かった特攻隊員を見送るとき、筆舌に尽くしがたい気持ちになったという。

「お母さん」「お母さん」と、突撃する寸前まで叫び続けて散っていった若き特攻隊員の命を考えるとき絶対に戦争は反対であり、絶対に起こしてはならないと深く決意し誓いを固めました。

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名古屋市 木下優
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