バックナンバー: 2019年 7月

◆白熱!ウォシュレット論争!◆
委員会審議での一コマ。市公共施設のトイレ改修予算をめぐり、こんなやり取りがありました。
議員「改修する洋式トイレはウォシュレットでしょうか?」
理事者「ウォシュレットではありません。」
議員「暖房便座は・・・」
理事者「ついておりません。何もついてないタイプで積算しています。」 議員「ありえないでしょう。今どき。市民が使うのに冷たい便座のトイレなんて!」
さあ、ここからは議論は沸騰です。口火を切った議員に同調して「市民は誰も納得しない よっ!ウォシュレットが付かないなら予算は認められん!」と息巻く古参議員。 「いやいや、すでに通常タイプで予算を組んでいるんだから、変更できないでしょう。」 と落としどころを模索する中堅議員(私ですが…)もしゃしゃり出て、収拾のつかな い状態に。
そこで委員長がお決まりのセリフ「暫時休憩します。」で中断。 ここからはオフレコのぶっちゃけトークですが、百家争鳴で議論は迷走、理事者はオロオ ロ。審議再開後に理事者から「今回の予算の中でできる限り善処します。」との答弁でと りあえずこのウォシュレット論争には終止符が打たれました。しかし、私自身としてはこれでよかったのかな?と釈然としない思いでした。
◆市議会で「議論する」ということ◆
地方自治における二元代表制の一翼を担い、有権者の負託を受けた、“市民の代表”たる議 員でありますので、市民の声を代弁して主義主張することは大変重要なことです。おそらく、多くの市民の方々がこの“ウォシュレット論争”では「付けるべき」とした意見に賛同 するのではないかと私も感じました。しかし…やはり私は釈然としないのです。
かく言う私自身も自称“ウォシュレットが無いとできない派”で、どこに行くにも必ずウォ シュレットの有無にセンシティブになる人間でありますし、出来うるならば、せめて市民 が利用する公共施設の屋内トイレにはウォシュレット付きの快適な便器を設置してほしい と願う一個人なのであります。
しかし、議員としての立場で考えると、いろんな事が頭をもたげるのです。 「公共施設のすべてにウォシュレットトイレは必要か」 「もしかしたら『そこまでしなくていい』という市民もいるかもしれない」 「ウォシュレットや暖房を付けたらランニングコストは確実にあがるだろうな」 「限られた予算の中でその費用は誰が負担するのか.」「一般財源であれば結局市民の負担が増えることにならないか…」 「障害のある方や高齢者などに配慮することを優先すべきかも」…
議会での議論は自由ですし、市民の声をストレートに議会に届けることはもちろん重要です。しかし、自治体として出来ることに限りがあるのであれば、議会ではその市民の声を 基に理事者や議員が議論をして、「今できることは何か」「将来に向けて何をすべきか」 について、より良い結論を導き出す作業こそが求められるのではないでしょうか。 一部議員の「ウォシュレットでないと納得できない」と強弁する様は、残念ながら私には“ お菓子をねだって”泣き叫ぶ幼子と同じ姿にしか見えませんでした。 議会での議員の議論のあり方。皆さんはどのように思いますか? *文中の発言は趣意を表現したものです。正確には長崎市議会議事録でご確認ください。