バックナンバー: 2015年 8月

 昨年の8月6日、広島市平和記念公園にて執り行われた「平和祈念式典」に初めて参列しました。
 雨の中で行われた式典は、長崎に比較して次第は簡素で時間も短いものでしたが、人類史上初めて核兵器の惨禍に見舞われた「ヒロシマ」の直線的な怒りの声に触れ、厳粛な中にも沸々たる心持ちとなったことを思い出します。

 広島では核兵器廃絶を願い、平和な世界を実現するために世界中の人々に訴えかける象徴的な存在として世界遺産「原爆ドーム」があります。
 ドームが放つその圧倒的な存在感は見る者の心に百万遍の高説にも及ばない、峻厳なる使命感を一瞬で植えつけるようです。
 今や核廃絶を願う世界中の人々のシンボリックな烽火とも言える原爆ドームですが、戦後の復興期が終わる頃には、新たな街を創生するためにも惨禍の記憶は消し去るべきとの一部の声や、市の財政的な問題により取り壊しの方向で話が進んでいたといいます。
 この取り壊しの流れを押しとどめたのは、被爆後、15年を経て白血病で16歳の生涯を終えたある女子高校生の日記に残された言葉だったと言われています。それから30年を経て世界遺産となったことは広島市民にとっての悲願ではなかったでしょうか。

 長崎では昨年、平成25年8月1日に城山小被爆校舎をはじめ4つの被爆遺構が国の登録文化財に指定されました。
 平成24年7月の国会での予算委員会審議において、秋野公造参議院議員の質問に端を発したこの取り組みにも、様々な人々の関わりと思いの継承によって紡がれた歴史があります
 昭和58年頃、この城山小被爆校舎は新校舎の建設等の理由により取り壊しが検討されており、その存続が危ぶまれる状況でした。その後、学校関係者の尽力により解体の危機を免れ、一旦は保存が決まったものの、十数年にわたって活用はなされぬまま、フェンスによって人の立ち入りを禁じられ、新校舎の裏にひっそりと佇むことだけが許されていました。
 この被爆校舎を二度と原爆の惨禍を忘れないために、平和発信の資料館として活用し、後世に残そうと声をあげたのは、平成8年、当時の城山小3年生の児童の皆さんでした。この児童の皆さんの声に真摯に耳を傾け、その思いに共感して当時の市議会で被爆校舎の活用を強く訴えたのは、私たちの先輩である飛田典子元市議です。
 平成11年に現在の平和祈念館となった被爆校舎には今や年間3万人もの来館者が訪れ、児童の皆さんが思い描いたとおりのまさに平和発信基地となりました。

 私たち公明党長崎市議団では、城山小被爆校舎をはじめとする被爆遺構を世界遺産とすることを目指しています。広島の原爆ドームと同じく、被爆地に残されたこの校舎は世界中の人々が核廃絶を願い、平和希求の思いを深める象徴として存在するべきと考えるからです

 平和のためにできることは何か。他者との関わりの中でひとつひとつ、できることを積み重ねていくしかない。感情にまかせて空理を声高に叫ぶだけの論調には与せず、これからも市井の現場で汗をかいていこう。

改選後、初めての議員通信を発行しました。

ご一読いただければ幸いです。

厳しい残暑が続くようです。皆様、どうぞご自愛ください。

市政調査NEWSno6(1,4p)

市政調査NEWSno6(2-3p)