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目黒区 飯島和代
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Archive for 2011年 4月

 9月開催 気仙沼市「支援に感謝」

 古典落語「目黒のさんま」にちなんだ目黒区の「目黒のさんま祭」を今年も開催することで、区と宮城県気仙沼市の実行委員会が28日合意した。東日本大震災で漁港が被災した気仙沼では今秋の水揚げが危ぶまれているが、関係者らは「目黒区の支援に祭りで感謝の気持ちを表したい」と張り切っている。

 15年前に始まったさんま祭は、気仙沼産の5000匹を炭火焼にして無料で振る舞う。この日、青木英二区長(56)が、気仙沼市に松井敏郎・実行委員会会長(64)を訪ね、9月開催で合意した。大津波で魚市場や漁船が破壊され、亡くなった実行委メンバーもいる。サンマを焼く台も流出した。実行委は、足りないサンマは他の漁港から取り寄せて補う考えで、目黒区も人手や道具の面で協力する。

 両区市は昨年、友好都市協定を結び、区は震災以降、気仙沼市に暖房器具や食糧を届け、職員も派遣してきた。松井会長は「目黒の人の思いやりと優しさを感じた。感謝の気持ちを精いっぱい表したい」と話している。

 2011/4/29 - 読売新聞より抜粋

●自粛はしないで、東北のお酒やかまぼこ等の地場産業の応援した方が良いのではないか。

●自粛はしないで、さんまは、無料でなく、それぞれが、気持ちで義援金として、払う形にしたらどうか。

●今こそ、目黒が、元気に賑やかに開催しないと、日本全体が沈んで暗くなってしまう。

等々、皆さんから、たくさんの温かいご意見を聞き、何とかやる方向に出来ないかと話をしていました。

本当に良かったです!!

皆で目黒の力を合わせ、気仙沼始め、東北が、元気にパワーアップできるように、応援しましょう!!

遊説朝と夕方祐天寺駅にてご支援のお礼挨拶しました。

「おめでとう!」「頑張って!」のたくさんの声をいただき心より感謝!

現場第一主義で、皆様の声をしっかり聞き、温もりある目黒にする!!

と決意新たに、第二の人生スタート開始です!!

いつでも、気軽に、「ちょっと飯島さん!聞いてよ!」と声をかけて下さい。

応援してくださった1766名の皆様にお応えしてまいります!!

誕生日

55年の、さまざまな経験を生かし、私いいじま和代は、地域の新しいネットワークを作り、心かよう、支え、励まし合う温かな目黒をつくります!

菜の花皆が支え合い、励まし合う「勇気と希望」のエピソード。 5月号「潮」より

~ツイッターから~

●都内駅にて。節電でエスカレーター停止中。そんな中、お年寄りが杖をついて階段を昇ろうとしていたとき、若者(元ヤン風)二人がお年寄りに声をかけ、一人が荷物を持ち、もう一人がひょいとお年寄りをおぶっていった。涙が出た。思い愛(思い合い)で災害に立ち向おう!!

●父が明日、福島原発の応援に派遣されます。半年後定年を迎える父が自ら志願したと聞き、涙が出そうになりました。「今の対応次第で原発の未来が変わる。使命感を持っていく。」。家では頼りなく感じる父ですが、私は今日程誇りに思ったことはありません。無事の帰宅を祈ります。

●昨夜の夜中、大学から徒歩で帰宅する道すがら、とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパンを配給していた。こんな喧噪のなかでも自分にできることを見つけて実践している人に感動。心温まった。東京も捨てたもんじゃない。

●ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスのひとたちが寒いから敷けって段ボールをくれた。いつも私たちは横目で流しているのに。あたたかいです。

●四時間の道のりを歩いて帰るときに、トイレをどうぞ!と書いたスケッチブックを持って、自宅のお手洗いを解放していた女性がいた。日本って、やはり世界一温かい国だよね。あれみた時は感動して泣けてきた。

「潮」5月号には「特別企画」「東日本大震災」の衝撃としてエピソードの数々やいま「政治」に問われるもの等が掲載されています。

戦後から被災後の日本が大転換期の時!やはりキーワードは、「支え合いの温かい心」しかありませんね!茨城にいた時小貝川の土手に、去年亡くなった父が、大好きだった菜の花が一面に咲いていました。これは、その時父のお見舞いに描いて出した絵手紙です。他の花と比べることなく、精一杯自分らしく、咲き誇る花々に心癒され、学ぶことが、たくさんある今日この頃。

金太郎「心を通わす励ましこそ大震災を乗り越える力」という京都市の赤松さん70歳の方の思いが公明新聞に載っていました。そうだ!そうだ!私も同じ思い!ととても感動したので、その一部紹介します。「昨今、地域社会という言葉を口にする人が多くなった。人間関係の希薄な社会であるからこそ、共存共栄の地域社会を構築していかなければなるまい。励ましは万の力。励ましは大地震の現場だけではない。苦しみに打ち勝つためには励ましが必要である。心が通えば力に変わる。力が出れば道は開ける。今、求められているのは、励ましの対話である。同苦精神で励ましのネットワークを拡大していく以外にない。励ましが相手の心に響いた時、絆が生まれる。大震災を乗り越え、生まれてきて良かった、生きていて良かったという温もりのある地域社会の構築に全力を尽くしていきたいと心から思う。」私の名刺にも「一人を大切に、区政に温もりを」と入れました。温もりというと抽象的な感じがしますが、これからの未来の宝である子どもたちに、相手を思い支え合う社会残すことが、私たち大人の責任だと思います。まさに今、国難ともいうべき大災害が起きた事で、たくさんの課題が見えてきています。その課題を一つ一つ、地域の現場の声を聞き、誰もが住みたい心豊かな憧れの目黒にしたいと思っています。写真は、男の子みたいですが、私です!金太郎さんのような恰好で、秋田犬と土佐犬の雑種の強くて優しい大きな犬に乗っかって遊んでました。実はライオンだと思っていたので、動物園でライオンを触ろうとオリに入りそうになり、親は慌てたそうです。旧姓は「田丸 和代」平和な時代を築くように。和代とつけたとの事。

今まで皆さんにいただいた、万の力をお返しして、平和な温もりある社会にしたい!!

桜

公明新聞:2011年4月5日付

復旧・復興通じ新生日本の構築を  

大震災から1カ月へ

未曽有の苦難の中にある“みちのく東北”にも春が顔を出し始めている。

まちが丸ごと壊滅してしまった宮城県南三陸町の志津川地区では、散乱するがれきの中に梅の花が優しげに咲き薫っていた。多くの漁船が津波にさらわれてしまった青森県八戸市の漁港でも、産卵と子育てのためにウミネコが次々と飛来し、繁殖地として知られる蕪島では菜の花が黄色く色づき始めていた。

英国の詩人シェリーの『西風の賦』の一節が頭をよぎる。「冬来たりなば春遠からじ」。全ての被災地に本格的な春が一日も早く到来することを願わずにはいられない。

鼓動は高まりつつある。人々の支え合いによって。

八戸魚市場では競りが再開され、ハマ再興へ向けた一歩が踏み出された。被災した漁師たちも仲間に支えられ、勇ましい声を張り上げていた。

仙台市内では、宮城県内のアマチュア合唱団による「復興支援チャリティーコンサート」が始まった。幟には市民への呼び掛けが大書きされていた。「がんばろう東北! 手と手をつないで」。

各地からも、さまざまな形で春の便りが届いている。

宮城県石巻市立青葉中学校のグラウンドには自衛隊の手による野外風呂がお目見えし、その上空を阪神大震災で被災した兵庫県内の子どもたちが作ったこいのぼりが気持ちよさそうに泳いでいる。

宮城県名取市と石巻市の避難所には、公明市議同士の連携で、大手チェーンから大量のカレーライスが届けられた。小さな口いっぱいに熱々のカレーを頬張っていた幼い3姉妹の笑顔が思い浮かぶ。

公明党が開設した災害義援金口座に振り込まれた義援金も、既に5億円を突破した。

震災から1カ月へ―。

東北・太平洋岸地域に広がる泥とがれきだらけの荒涼たる光景は今も変わらない。そこに立つと、“あの日”を境に時間が止まってしまったかのような感覚に陥り、身がすくむ。死者・不明者2万7000人以上という、あまりにむごい惨事に心が凍てつく。

だが一方で、戦後日本社会が長く忘れていた大切なものが今、がれきの山の中から彷彿として湧き上がってきているようにも思う。そう、人を思いやり、悲しみを共有しようとする支え合いの心だ。

公明党はこの善意の連帯の輪をさらに広げ、復旧・復興へと至る道のりの先に「支えあう社会」という新しい日本を構築したいと決意している。犠牲となった多くの尊い命に報いるためにも。

公明新聞のこの記事を読み、胸が熱くなりました。主人が、突然亡くなり、まだ小さい子どもを抱え、悪夢なのか現実なのか、わからない中、地域の方々に励まされ支えていただいた事が、私のボランティアの原点です。心から感謝し、少しでも、地域に、お役に立てることはないかと、福祉施設の作業所や老人ホームで、一緒に、絵を描き、多くのことを学ばせて頂きました。今年の桜はいつもの桜と違って見えます。国難ともいうべき、今回の震災を機に、「支え合いの心の花」を咲かせる使命を感じます。

元気一代目の元気君は、マルチーズでした。娘の和沙が、小学校二年生の時、大好きなお父さんが、交通事故で即死し、精神的なショックから、歩けなくなった時に、茨城のひいおばあちゃんが、元気が出るようにと、可愛い子犬を、買ってくれました。そして、家族みんなが元気になるように「元気」という名前をつけました。今の二代目の元気君も、たくさんのことを一緒の乗り越え、茨城から目黒に、共に引っ越してきました。もう、14歳のおじいちゃんですが、子供たちの成長を見守ってくれ、家族に元気パワーをくれた元気君!皆さんが、一日も早く元気になるように登場しました!

今、日本社会に最も必要なことは、人々の命を守り、暮らしを支え合う仕組みの構築です。地域で支え合う、地域を超えて支え合う「支え合う日本」の実現めざし頑張ります!!