松阪市議会議員  松岡つねお(まつおか つねお)

安心・安全・希望の松阪目指して!

☆彡社説―9月1日は「防災の日」 日頃から近隣との交流深める!

新聞社記事・WEB記事 / 2015年9月1日

❒聖教新聞:8月30日号…より転載!

 「この大自然の破壊に面しては、眼もくらみ胸もつぶれるばかりだ」――文豪・島崎藤村は、郷里にいる息子宛てに、関東大震災の惨状をこう表現した(石井正己著『文豪たちの関東大震災体験記』小学館新書)。

 

 9月1日は「防災の日」。92年前のこの日に起きたのが、死者・行方不明者10万人を超えた関東大震災だ。犠牲者の9万人以上が火災で命を落とした。地震発生が昼食時で火を使っていた家も多く、東京市(当時)では130余カ所から出火。激震で水道管が破壊されて消防能力を失った上、台風による強風にあおられ、46時間にわたって延焼。同市人口の67%強にも及ぶ人々が家屋を失い、当時の東京15区のうち下町6区では、8~10割が焼失した。

 

 大地震の際に恐ろしいのは揺れだけではない。東日本大震災では津波によって、多くの犠牲が出た。揺れの「その後」にも想像をめぐらせ、防災・減災にしっかり備えていきたい。

 

 道路や橋が寸断される大規模災害では、消防や警察が駆け付けられない場合も多い。専門家は「自助」「共助」「公助」に加え、近隣で助け合う「近助」の重要性も指摘している。

 

 関東大震災の折、四方から猛火が迫る中、近隣住民の団結で焼失を防いだ地域がある。焼失区域を示す当時の地図を見ると、東京・下町の大半が焼失して朱色に塗られた真ん中に、小さな白色の場所があることに気付く。現在の千代田区神田和泉町・神田佐久間町の一帯だ。

 

 そこでは地震発生後、老人や子どもを上野公園に避難させた上で、降り注ぐ火の粉に対して必死のバケツリレーで消火に努めた。時間差で次々と迫る猛火に知恵を出し合って立ち向かい、ついに火勢を食い止めたのは翌日の午後11時。実に約1日半にわたる消火活動で、消防署の助けもない中、住民の力で地域の約1600戸を守りきったのだ。

 

 この地域は江戸時代、材木商が並んでおり、多くの火事の出火元となった。その汚名を晴らそうと、日頃から用心を怠らないように努め、お互いが町の様子を知悉していたという。自分たちの地域は自分たちで守るという「近助」の精神が、大震災から町を守ったといえよう。

 

 「天災は忘れたころにやってくる」と、よく言われる。家族で初期消火や避難方法などを話し合うとともに、日頃から隣近所と交流を深め、いざという時に助け合えるよう語り合っていきたい。

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