11月15日(火) 本日は、午後の市役所内での会議を終えて高知市五台山(ごだいさん)地区に参りました。地域住民の方から五台山地区における南海地震対策のご意見・ご要望を受けるためでした。相談者は、五台山地区に生まれ育ったと言う「おじさん」でありました。突然の携帯電話からの連絡を受け、現場に到着。初対面!? 挨拶もそこそこに、おもむろに「おんしー 昭和の南海地震を知ちゅうかえ」と切り出され、幼少の頃に五台山地区で被災された時の様子を語られ始めました。約1時間程、当時の五台山地区の被災状況の大変さを思いの丈、伺させて頂きました。写真左下の下田(しもだ)川の周辺地域は当時、河川堤防もなく全て冠水してしまったそうです。「おじさん」曰く、当時の事(昭和南海地震)を知る者が地域からおらんなってしもうた。「高知市の新たなる南海地震対策に役立ててほしい」とのご意見でした。「おじさんっ!!」 の想いを受け、新たなる決意をするべく五台山展望台に上がり、高知市の大パノラマを展望しながら思索。気の遠くなるような歴史を刻み、数々の困難と立ち向かいながら便利さと快適さを求め続け、築きあげられた近代都市高知市。眼下に広がる光景。紀貫之(きのつらゆき)の時代に想いを馳せますと山奥の裾野まで数々の島々が浮かび、眼下の大パノラマが全て海水におおわれた「湾」であった事を彷彿とさせてくれます。本日の五台山展望台にて思索・・・結論としては「過去の教訓を掘り起こし実践せよ」といったところではないでしょうか? 皆さん、どう思われますか。

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