バックナンバー: 2011年 9月

 市役所玄関前で交通安全キャンペー伝達式が行われ、その後中郷町にあるヨークベニマルの駐車場で市民の皆様に「交通安全」を呼びかけた。式典では、県全体では交通事故件数が減少傾向にあるものの、今年になって高萩地区(北茨城市・高萩市)で4件の死亡事故が発生している。また、一時減少した酒気帯び運転が増加している、との事。のど元過ぎれば熱さを忘れてはならない。また、高齢者の交通事故の注意も呼びかけなくてはいけない。

 世界遺産に登録された平泉中尊寺に行ってきた。豪華絢爛の金色堂を見学、杉や桜、もみじの木立を巡り森林浴をしてきた。

 常磐道、磐越、東北道と行くうちに、どんどんどんどん放射線空間線量が増え、郡山、二本松辺りは、北茨城市(我が家)の4倍もの数値に吃驚した。この見えない、臭わない、得体のしれない化け物に、怒りがこみ上げる。でも、この事態をどうすべきなのか、何ができるのか途方に暮れ・・・、自分の無力に腹が立つ。

 震災から6ヶ月。北茨城市の平潟港は地盤沈下で、満潮には港ぎりぎりまで水位があがる、この状況に台風や大雨が重なれば、船が乗り上げてしまう。港のかさ上げ整備が喫緊の課題です。
 更に福島原発事故直後、北茨城のシラスに基準値を超える放射能物質が検出、あれからシラス漁業が1日も出ていない。
 先々週小名浜漁港(いわき市)にそれこそ上々のかつおが揚がりましたが、築地市場では値が付かず300円で置いてきた、とのことです。漁場は福島沖でも、茨城沖でもないのですが、市場では相手にしてくれません。港の整備が進まないまま今だ船を出せない現状。
  北茨城市の漁業はどうなってしまうのか?
   

大津港は茨城県最大被害の港だが、今だ手付かず。
(写真上:平潟港、下:大津港)
   

 

 我が家の放射線測定器(手作り)、検出器はGM管です。
公開します。

 

 
 大津町公民館で大震災”3.11”を語る会が開催された。漁業関係者、地域住民、避難所になった小中学校の先生等が集まり、大震災を受けた時の自分の行動を語り、誰もがいまだかつてない津波の威力、地震の恐怖を語った。また、避難所における学校関係者と地域の皆様とが連携して、誰かれなく惜しみない支援を尽くし守って頂いたことに感謝の念で一杯になった。この事実を、この経験を後世に語り続けなくてはなりません。また、8月31日に復興委員会が立ち上がったばかりだが、今回の想定を超えた災害対策を盛り込んだ復興でなくてはならない。しかし、語る会が進む中、放射能汚染による漁業の不安、通学路に放射線量が異常に高い場所がある、という私達を取り巻く得体のしれない化け物に対する不安こそが、本当の本音と感じた。復興、復興というが、大津の人々は、生業とする漁業が栄え、港に大きな声が戻ってくることを望んでいる。と感じた。この地域を復活し、被害を受け苦しんだ人々が、一番幸せにならなくてはならない。これが私の信念。

参考写真31日の茨城新聞よると、「文部科学省は、航空機からのモニタリング調査を基に作成した県内の放射性セシウムの濃度マップを公表した。北茨城市や取手市などで1平方メートル当たり10万~6万ベクレルの比較的高い濃度が検出された。」

 9月1日より定例議会が始まる。一般質問で放射線量について取り上げる。検出濃度の高い北茨城市だけに、後世のために切り込まなくてはならない。