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けいの信一のプロフィールをご紹介します。00497prf

荒川生まれの荒川育ち

祖父の代から荒川生まれの荒川育ち。妻も荒川出身。町屋在住。荒川を愛し、荒川のことを誰よりもよく知る41歳。


柔道四段

柔道で鍛え抜いた心身。荒川のために縦横に動き抜く。


町工場出身
庶民の心がわかる男

幼い頃から金属加工の町工場で働く両親を見て育ち、自身もそこで働いてきた。
中小企業の悩みや目線を誰よりもわかる。


子育て世代の悩みがわかる

子育てまっ盛り!
2人の男児を育てるイクメン世代。


太田昭宏 衆議院議員秘書

全国3000名の公明党議員のネットワークで政策実現の現場を経験。


党都政改革推進
プロジェクトチーム事務局次長

東京改革を先頭に立って推進!
2020年の東京五輪、そして新しい東京の構築へ、奔走する。

 

 

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けいの信一ストーリー


 

汗まみれになって働く町工場の両親

ギーギーギー……。トタン屋根の工場に染み込むように響く機械の音。荒川区町屋で金属加工の町工場を営む両親のもと、信一は1976年(昭和51年)5月に誕生する。

ひとつ屋根の下に7人が暮らすにぎやかな家庭で育ち、幼少期には保育園の2メートルの柵を乗り越えたこともあるほど活発な少年だった。

「両親には感謝しかない」と語る信一。父母は3人の子どもの面倒を見ながら、早朝から深夜まで汗まみれになって働いていた――。

ある日、公明党の議員が工場に来て両親と話し込んでいた。幼い信一にとって難しい内容だったが、話し終えてホッとした表情を浮かべる父母を見て、なんだか嬉しくなったことは今でも忘れられない。やがて信一は「自分も地域の皆さんのお役に立てる人になろう」と決意する。

 

柔道で築いた人生の骨格

区立第四峡田小学校から私立郁文館中学校に進学すると、格闘技好きが高じて柔道にのめりこんだ。

練習に打ち込み、やがて、五輪代表候補が居並ぶ東京で、上位に名を連ねる選手へと成長。決して強豪とはいえない高校でひとり気を吐く姿が関係者の目にとまり、当時、柔道部の強化を始めたばかりの白鴎大学に進んだ。

不断の努力で心身を強く大きく鍛えあげ講道館柔道四段に昇段。柔道で学んだ礼儀と忍耐が信一の人生の骨格となる。

 

ここ一番の粘り腰が信条

大学卒業後は家業を継ぐべく父の工場に勤務。設備投資への負担など町工場ならではの悩みに直面するが、持ち前の〝ここ一番の粘り腰〟を発揮。弾ける笑顔と抜群の行動力で、苦境を打開してきた。

縁あって同じ荒川区出身の和美さんと結婚した後は、2人の子どもに恵まれ、現在も育児と仕事の両立に奮闘する日々だ。

 

故郷・荒川のために

座右の銘は武者小路実篤の「人見るもよし、人見ざるもよし、我は咲くなり」。言葉の端々に、決して陰で苦労している人から目を離さないという信念がほとばしる。

荒川で生まれ、荒川で育った一人として、愛するふるさとのために奔走する日々。「皆が笑顔で暮らせる荒川に」。力強くロマンを語る姿に、地元からは厚い信頼と期待の声が寄せられている。

公明党広報
けいの信一事務所
外部リンク
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慶野 信一
keino.shinichi@gmail.com