2008年も今日で終わりです。来年は丑年。私は年男です。「漢書」律暦志によると「丑」は「紐」(ちゅう:「ひも」「からむ」の意味)で、芽が種子の中に生じてまだ伸びることができない状態を表しているそうです。土の中から、芽が大きく飛び出すための「溜め」の時期と言えます。
本年は、サブプライムローン破綻の影響で生活環境が厳しくなりました。来年は、さらに厳しさが増すかもしれません。しかし、常に絶好調などということはなく、厳しい時もあります。厳しい時がなければ、自分を振り返ることもなくなり、感謝も忘れます。
恵まれすぎた環境にどっぷり浸かってしまった私たち。かつての豊すぎた時期はもう訪れることはないでしょう。今までの日本がおかしかったのです。今こそ原点に返り、政治も生活も人生観も再度見直すべきです。
来年は、丑の由来にあるように、将来大きく伸びゆき飛翔するために、自分の人生を見つめ、自身を磨きながら、じっくり力を溜める時期だと思います。
元旦という節目があるというのは、とても素晴らしいことです。自分をリセットして新たな決意をする日です。今日は、その決意をするための今年の総括をする日です。反省すべき点を反省し、自分を見つめ直して、来年爆走するための大きな節目としていきたいと思います。
本年、ご支援を賜りました皆さん、お世話になりました。皆さんの支持で議員をさせていただいている感謝を忘れず、来年は今まで以上に頑張ってまいります。
福井県で1600人以上が雇用を失うといった報道がありました。多くは製造業派遣の方々です。おそらく行政がつかみ切れない数字もあるので、もっといるのではないかと思います。また、上場企業をはじめ企業の倒産も増加の一途です。年末を迎え、雇用を失い不安な生活を送られている家族のことを考えると、本当につらくなります。
亡き父親は、私が中学1年生まで県内の大手繊維会社に勤めていました。しかし、景気が悪化し人員整理で辞めさせられました。次に、製紙工場で働きましたが、ここも6・7年で辞めさせられました。その結果、私たち5人の子供を含めた家族が路頭に迷うことになりました。50歳をすぎた父になかなかいい就職先がないのです。
後で知ったことですが、両親は銀行などで生活資金を借入苦心していたようです。結果的に家は抵当に入り自己破産することになりました。企業の都合で雇用を切るということは、こういったケースを生み出しているのです。
しかし、一方で、企業も経営が危うくなれば、なんらかの処置を取らないと企業そのものが潰れ全社員が雇用を失います。ワークシェアリングといって、みんなの給料と仕事を分け合って、薄給でも我慢して景気悪化の数年を乗り切るという方法がないわけではありませんが、それでも企業に体力がないといけません。
私が大学を卒業し、初めて勤めた企業の入社式で思ったことがあります。『明治時代に存在した企業の中で今日まで営々と続いているのは微々たるものだ。したがって、私の就職したこの企業も大企業になるか、それとも淘汰されるか。これから大きな波がくるだろう。まずは、自分を鍛えなければならない。(その企業はこの25年間で社員が別企業に大幅に移るなどの幾多の試練がありましたが、現在でも頑張っています)
企業は永遠に栄えているわけではない。いつかはなくなる。したがって、私達は安定した地盤にいるようで、そうではないことを知らなければならない。ただし、繁栄しているかどうかは自分自身がどういう存在になっているかだ。』と自分に言い聞かせてきました。
さて、2004年派遣業種に製造業を加えた結果として、大企業が派遣受入を進めてきました。企業にとってこの派遣社員は、業績が悪化した時に簡単に契約を切れるもので、残る正社員と企業を守ることができる都合のよいものです。
非正規社員と呼ばれる新語が生まれ、派遣社員が増加してきました。また、竹の子のように派遣会社も増えました。派遣法の改正で製造業を加えることにより、なかなか正社員になれない方々へ雇用を与えてきたメリットはあったでしょう。
先日、派遣会社の社長と話をしていた時に、「派遣会社は悪のように思われるかもしれないけれども、そうではない。派遣で働いている人のうち1/3は確かに正社員になりたいと願っている人たちです。しかし1/3は短期間で次々と派遣先を変えて働ける環境を楽しんでおり、派遣社員を望んでいます。最後の1/3は、残念ながら正社員になる素養そのものが乏しい派遣でしか働けない人たちです。そういう意味では、雇用を与えてきたメリットもあるのです」とおっしゃていました。
しかし、本来ならば正社員を募集するはずであった枠を、簡単に人の調整ができる経営者本位の安易な派遣受け入れ土壌を作る結果になって、正社員になれるはずだった人たちを追い出してきたともいえます。
景気が悪化してくれば、こういった大量の派遣切りが起こることは派遣会社も派遣社員は知っていたはずです。企業と派遣会社の契約ですから、いつかは更新されなくなるものです。したがって派遣会社や社員は、ある意味リスクを覚悟しなければなりませんでした。しかし、こういった不景気に大量に職を失う環境を作ったのは、派遣業に製造業を加えた政治に問題があったのではないでしょうか。
確かに雇用を与えてきましたメリットはあります。しかし、低賃金の使い勝手の良い労働者を増やし、格差社会の元凶を作ったのは、この制度に問題があります。つまりは、不安定な足場を多く作った責任は派遣に製造を加えた当時の小泉政治にあります。
「2009年問題」という言葉があります。企業が大量に製造業派遣を受け入れたのが2006年。派遣は同一労働で3年間を超えてはならないため、その3年目を迎える来年、さらに雇用を失う人が出てくるとされています。
派遣法を変える必要があります。派遣法から製造業を除くべきです。しかし、すでにこの法の下で、現在製造業派遣者として働いている人がいますから、その人たちのことを考慮しなければなりません。いったん緩和した規制を、元に戻すのは本当に困難です。しかし、こういった現実があるのですから派遣法の見直しをするのは今しかありません。
ただし、一言だけ付け加えておきますと、仮に派遣社員がいない状態であったとした場合でも、こういった景気悪化により、私の父親のように、企業は正規社員の首切りを行ってくるものです。
企業は淘汰されます。永久ではありません。したがって、どこへ行っても使えるように自分を鍛えなければなりません。
一方で、雇用を作りだすこと。それは政治の責任です。