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川口市 萩原一寿
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image本日の新聞各紙で坂本龍馬に関する書簡ついての記事が掲載されました。大変に重要な資料であると考えられています。来年は、明治維新から150年という佳節という事もあり、大きな話題になりそうです。書簡からは龍馬の行動力、真剣勝負であった事が伺えます。下記、毎日新聞記事から転載します。

 

高知県は13日、幕末の志士、坂本龍馬が慶応3(1867)年に京都で暗殺される5日前に記した直筆の書簡が見つかったと発表した。将軍、徳川慶喜の大政奉還を受けて福井藩の重臣に宛てた書簡で、「新国家の御家計(財政)」という言葉を使いながら同藩士の三岡八郎(後の由利公正)を新政府の財政担当者に出仕させるよう懇願。龍馬は「三岡の京都入りが1日遅れれば、新国家の財政成立は1日遅れてしまう」と強く訴えている。研究者は「『三岡が必要だ』という龍馬らしい行動力、説得力、勢いが、表現の強さから表れている。一級の史料」と話している。

◇龍馬らしい行動力、表現

書簡は縦16センチ、横92センチで、11月10日の日付。京都の福井藩邸に滞在していた同藩重臣、中根雪江宛てで、本文中には「龍馬」の署名があった。

書簡では、新政府の財政担当者に推挙していた三岡が幕府に強硬な姿勢だったとの理由から藩内で謹慎させられていることに、「三岡兄の御上京が一日先に相成候得ハ新国家の御家計御成立が一日先に相成候」と京都入りを強く求めている。龍馬の書簡で「新国家」という言葉が確認されたのも初めて。

龍馬は10月30日に福井を訪れて三岡と面会。新政府の財政担当者には「三八(三岡)を置かバ他ニ人なかるべし」と評価したと記した別の書簡の草稿が存在しており、今回の書簡の発見で、龍馬の行動の研究が進展すると期待できる。

書簡を鑑定した京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「『新国家』という言葉が幕末でどういう意味を持っていたかは検討が必要だが、恐らくは現代の意味の通り」と指摘する。高知県の尾崎正直知事も「龍馬が新たな時代をつくろうとしていた動きが分かる最重要史料。『新国家』に向けた意気込みが伝わってくる」と語った。

◇坂本龍馬の書簡の現代語訳は次の通り。

一筆啓上差し上げます。

この度、越前の老侯(松平春嶽)がご上京になられたことは千万の兵を得たような心持ちでございます。先生(中根雪江)にも諸事ご尽力くださったこととお察し申し上げます。しかしながら、先ごろ直接申し上げておきました三岡八郎兄のご上京、(新政府)ご出仕の一件は急を要することと思っておりますので、なにとぞ早々に(福井藩の)ご裁可が下りますよう願い奉ります。三岡兄のご上京が1日先になったならば、新国家の財政の成立が1日先になってしまうと考えられます。ただ、ここのところにひたすらご尽力をお願いいたします。誠恐謹言

 

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