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川口市 萩原一寿
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バックナンバー 2016年 12月

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今日は朝から川口マラソンの開会式に出席。3年ぶりに10キロでエントリーしていましたが、今回は断念。来年は完走を目指します!その後、市民相談、餅つき大会、忘年会、地元の会合と目まぐるしく動きました。

 

ところで日経新聞のコラムに「東大合格、女子校トップへ 立役者は「大河ドラマ」の歴史家 ~カギはお裁縫!?」との記事がありました。リーダーのあり方や組織改革など興味深い記事です。以下、転載します。

 

全国トップ級の女子進学校に躍進した東京・池袋にある豊島岡女子学園。四半世紀前までは東京大学の合格者はほぼゼロだったが、2016年は41人と「女子御三家」筆頭の桜蔭学園の59人に次いで女子校2位になった。実は躍進の立役者はNHKの「大河ドラマ」の時代考証でも知られる歴史家の二木謙一理事長(国学院大学名誉教授)。戦国史の大家はいかにして都会の女子校をトップ校に変身させたのか。

 

JR池袋駅から徒歩10分、都会のど真ん中にある豊島岡の高層校舎。午前8時15分になると、校内に一瞬の緊張が走る。1800人あまりの中高女子生徒が真剣なまなざしで、一斉に赤い糸で白い布を縫い始めるのだ。

これは「運針」という、60年以上も続く同校独自の取り組み。毎朝、授業がスタートする前のわずか5分間だけ、裁縫をする。同校はもともと1892年に女子裁縫専門学校として開校した。しかし、伝統を守るためだけにやっているのではない。精神を統一し、集中力を高めるのが狙い。

「針は正直だ。体調が悪かったり、イライラしていたりすれば、担任の教師がすぐ見抜ける」と二木氏は話す。

豊島岡出身で東大文学部4年生の渥美真生さんは「豊島岡の特徴はなんといっても毎朝の運針です。なかには大学受験の当日、運針して心を落ち着かせる生徒もいるそうです」と語る。

同高校の1学年の定員は360人だが、東大合格者は2015年の30人から16年は41人と増加の一途をたどる。「全国で最も進学実績が伸びている女子校。数年内に桜蔭を抜く可能性もある」と、各予備校が高く評価し、難易度はうなぎ登りだ。
 こうした同校の改革を推し進めてきたのが二木氏だ。

 

 

■理事長、大河ドラマ14作の時代考証を担当
二木氏はユニークなキャリアを持つ。国学院大学で長く教授を務め、文学部長、図書館長、理事など組織運営にも携わった。一方で戦国時代を舞台にした大河ドラマ14作品の時代考証を担当し、プロデューサー的な役割も担った。

歴史家として一生をささげようと決めていた二木氏が豊島岡の校長に転進したのは62歳のとき。同校の理事長で校長だった父親の友吉氏が突然、脳梗塞で倒れたためだった。友吉氏は老朽化していた校舎を16年間かけて次々と建て替え、進学実績も上げてきた。2003年、失語症に陥った父親の涙にほだされ、校長を引き継いだ。

すでに60の坂を越え、中高での教師の経験もない二木氏。「教員は毎年同じことを繰り返し、よほどの動機付けがなければ変わろうとしない。どうすれば改革できるのかとじっくり考えたが、これまでの大学とテレビで培った経験が実った」という。

まず第一に「優れた組織・人材づくり」、そして「建学の精神を生かした特長づくり」、最後が教師と生徒を突き動かす「喜びと感動づくり」の3つの柱が必要と考えた。

 

■大学型の組織づくり 26の主任職を新設
組織づくりでは大学の経験を生かした。中高の組織は校長と教頭の下には学年主任ぐらいしかいなかった。そこに教務部学年主任会議・教科主任会議と総合企画部主任会議を新設、メディア管理委員会や情報システム委員会などを設置した。26の主任職をもうけ、責任ある役職をつくった。30歳代の若手も抜てきし、企画・実行力のあるリーダーとして役職手当も出した。各リーダーの下で、70人あまりの教師は自己点検、シラバス(授業計画書)作成、業績報告、公開授業などを実施する。

とにかく教師力の向上にまい進した。大学のように授業アンケートを実施。生徒に教員の授業について「内容が分かりやすいか、熱意はあるか、声の大きさはどうか」などを細かく問うた。生徒から評価させるだけではなく、例えば夏期講習では教科の担当を複数化し、生徒の応募形式とした。実力のある先生に人気は集中する。筑波大学付属駒場高校や関西の灘高校など他の有名進学校での研修・視察も頻繁に実施し、事後には情報共有の報告会も行った。

 

■若手教師たちが副読本を出版
若手人材育成のため、12年の創立120周年記念事業には理科・数学・社会科で計8冊の副読本を出版した。筆者は二木氏が採用した東大大学院出身者など大半が20~30歳代の教師だ。若手教師らは二木氏や各主任らの指導を受けながら、各教科ごとに分厚い副読本を作成した。「自らの名前で立派な本が出版されるとなると、モチベーションが上がります。この若手教師らが進学実績アップの原動力となった」と二木氏は話す。

二木氏は大学院生やゼミ生のように若手教師を鍛えた。進学実績が芳しくなければ、カツを入れたこともある。入試結果を徹底して分析し、実行、評価を繰り返す。

OGで東大生の渥美さんは「こまめな小テストや長期休暇中の特別講義など、先生たちの学習面でのサポートが充実していた」と振り返る。結果、「私を含め多くの豊島生は塾に行かず、志望校に合格することができた」という。

 

■人材教育は家康に学ぶ
 歴史家の二木氏は、戦国時代の武将を手本にリーダーシップや人材育成を磨いた。「織田信長は考え方が先進的すぎて、普通の感覚ではついていけない。その点、徳川家康は分かりやすい」という。家康は国元の行政官「三河三奉行」として、鬼のようなタイプ、仏のようなタイプ、公平無私なタイプなど性格の異なる武将を組み合わせた。

「意見が異なり、時にはケンカするくらいなほうがいいものが生まれる。仲良しグループはダメ。教員間でチーム編成するうえでもそれを参考にした」という。

運針や礼法など建学の精神に基づく伝統も「売り」にし、体育祭や文化祭などのほかに新たな各種イベントも積極的に実施、校歌をコーラス部と吹奏楽部の共演によるCDにするなど、テレビで学んだ手法で「喜びと感動」も演出した。突然、父親から継承し、学校経営者になった二木氏。大学、テレビ、そして歴史に学び、全国トップクラスの女子進学校を創り上げた。

00665今日から12月、午前中から訪問活動です。夕刻から「市産品フェア感謝の集いに出席」しました。

 

ところで年金制度改革法案が衆議院を通過。これから参議院での論戦になります。現場を歩いてみるとこの件について誤解がありました。目先の金額の増減ばかりにとらわれて、制度を維持するために長期的な視点を欠してはなりません。

 

本日の公明新聞「北斗七星」に「年金カット法案」と叫ぶ民進党の対応についての記事が掲載されています。以下転載します。

 

年金制度改革法案をめぐる民進党の対応にはあきれた。“年金カット法案”と決め付け、衆院の委員会採決時には共産党などと「強行採決反対!」とのビラを掲げ混乱を演出。厚労相の不信任決議案も提出するなど十年一日の対応に終始した。

 

改革の中身は“年金カット法案”とレッテル貼りされるようなものではない。世代間の公平性を確保しあ、支え合いを盤石にしようという制度強化が柱だ。そうでなければ、主要紙がこうした改革は必要との論調で足並みをそろえるはずがない。

 

衆院審議が始まった段階で、毎日新聞は「将来世代の年金を守ることに主眼を置く今回の法案は、検討に値する」(11月9日付)との記事を掲載。「政争化を狙うのではなく、冷静な議論に立ち返ることを民進党に強く望む」とくぎを刺していた。

 

ところが、である。民進党は抵抗路線へまっしぐら。「年金たたき」により、高止まりする政権の支持を下げ、低迷にあえぐ自党の支持回復を狙ったのだろうが、直近の世論調査では見事に当てが外れた。「国民の不安をあおるのが政治家の仕事なのか」(同26日付・読売)。

 

これは、年金改革に関して政治家や年金受給者らにインタビューを重ねた大学生が民進党に向けたコメントだ。法案審議の舞台は参院に移る。民進党は政治家の仕事をした方がいい。(辰)