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川口市 萩原一寿
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 28日は宮城県女川町を訪問しました。2年ぶり3度目になります。東日本大震災後の復興の状況を調査すると共に我々の立場で支援できることは何か?そして大震災を教訓として防災対策をはじめとする施策で埼玉県民のために何をすべきなのか?それらを考えながら地元の方から貴重なお話を伺いました。

 

  復興の状況を一言で言うと「一歩、一歩確実に進んでいる」しかし、本格的な復興はこれからだと思いました。壊滅的な被害のあった町の中心市街地は、かさ上げの計画があり、ダンプカーなど建設関係の車が往来していました。又、町の主要産業であった漁業が復活していました。カキの養殖が行われ、女川港付近の倉庫が新しくなるなど、再生している光景は、2年前の状況を目の当たりにしていただけに嬉しいものです。

 

 午前中は、女川原発PRセンターを訪問し、被災したにもかかわらず奇跡的に大事故とならなかった理由などを調査しました。

 午後からは「女川町地域医療センター輝望の丘」を訪問しました。同センターは、もともと女川町立病院でしたが、大震災の年の秋に指定管理者に運営が移り、7つの診療科目をもつ病院と介護老人保険施設の2つの機能を持つセンターとして、地域医療と介護を担っています。女川町内は、公共交通機関がまだ十分に整備されておらず、同センターは巡回診療に力を入れています。そして心の体の専門医が精神的なケアを行っています。

 

 同センターの職員の方々が、大震災時に避難所となった時の教訓を話されました。

①備蓄の食料をほとんど持ってなかったために災害協定を結んでいた売店の商品で食をつないだ。

②3月という寒さと津波が1階フロアまで入ってきた状況で、2階より上に避難されてきた方の着るものが不足し、病院内の衣服やカーテンを使い、暖をとった。

③妊婦や透析患者とって、電源の確保は死活問題であり、大変に重要であること。

④発災から数日後、ようやく様々な情報を得ることができても病院からの情報(SOS)を発信することは、できなかった。

⑤普段から災害拠点病院(この地域では石巻赤十字病院)との医療ネットワークを強めていくこと。などです。

 

このあと、地元の方々と懇談、建設中の公営復興住宅も見ることができました。

 

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