☆ 公明党川越総支部臨時総会に(5月25日)
☆第8回 公明党埼玉県本部臨時大会に出席(5月20日)
第8回 公明党埼玉県本部臨時大会をさいたま市の共済会館で開催! 県本部代表に西田実仁(にしだまこと)参議院議員が再選され、福永のぶゆき県議会議員は引き続き県本部幹事長として代表を支えていかれる事となりました。 川越市公明党代表の清水京子議員は県本部女性局次長に再任と共に新たに県本部規律委員に選出されました。
山口那津男党代表も出席され、現政権下での震災後の対応の遅れを指摘されながらも、国難を乗り越えるには政局よりも超党派で復興に取り組む必要性があり、党としての震災復興ビジョンを発表したことが述べられました! また、自ら訪問した福島・宮城・岩手県の現状を語られ、今こそ支え合う社会が重要であり、人の復興優先・心の支えとなる復興支援に全力で取り組むべきだと熱く語られました!
☆ 霞ヶ関北公民館検討懇話会提言書提出!(5月19日)
☆第43回川越市武道大会に出席(5月15日)
☆霞ヶ関北地区社会福祉協議会の総会に出席(5月14日)
☆川越市議会第2回臨時議会が開催(5月13日)
☆ 福島県 二日目(5月8日)
2011.5月8日(日)二日目は計画的避難区域で放射線量が高い浪江町津島や飯舘村、川俣町、岳下公民館、安達総合グランドの仮設住宅300戸設置工事現場、地場産で風評被害を飛ばす試みを行っている「安達が原ふるさと村」などを訪問!<参考:浪江町の人口は21434人で所在確認人数は15859人、所在確認率74%(5月8日現在 福島民報)>
今回は目で見て、実際の現場の職員や避難住民の方の声を聞き、肌で感じ、現地のものを食べ、時折余震も頻繁に感じながら、多くの事を感じ取る事が出来て貴重な時間となりました。昨日訪問した体育館に続き、避難所訪問先の岳下公民館の避難住民は病気の方達(透析患者も含む)が集っていて、外にいたご婦人と少しの間話させていただきましたが、親戚を廻って暮らしていたが、気の使い過ぎで疲れてここに来たそうです!温泉等に避難出来ず、病気や心の病を抱える方達が箱詰めの状況を見て、少し違和感を感じましたがお医者さんの関係や感染などの事を考えるとこれが現実なのかと、何ともいえない無力感で悲しくなりました!
川俣町体育館では、放射能を調査する「スクリーニング」も行ってもらい、異常がないことを確認させていただき、帰路につかさせていただきましたが、5月連休最後の日で本来であれば夕方は大変込み合うはずが新幹線自由席は空席も目立ち(郡山駅上り列車)すいていました。経済的打撃も多くあることも感じさせていただきました。 実は、今放射能と戦いながら原発で働く親戚(東京電力の下請け会社勤務)もいて、連日テレビ報道や新聞記事を見ながら無事を祈っていますが、今回多くの自衛隊車両・県外警察車両や放射能検査車両ともすれ違いました。避難されている方々へのお見舞いと共に、多くの現地で復興支援で働く方々やボランティアの方々に対して心から敬意を表しながらの避難先と避難区域現地訪問となりました。 また、宮城県仙台市には伯父夫婦が住み、岩手県大船渡市出身の友人もいて時を見て復興のお手伝いが今後できればと考えながら帰って参りました!
☆ 福島県二本松市へ!(5月7日)
2011.5月7日(土)朝6時57分発の列車で福島県二本松市(旧東和町)へ出発! 福島県は3月11日の東日本大震災の影響で原子力発電所が被災して、避難者が多くでて、浪江町(なみえまち)の生存した住民の方々の多くが二本松市などに避難しました。 実は一次避難場所になった旧東和町小学校体育館は、私の大学同期の出身校で近くにはご両親もお住まいであり、3月11日以降お手伝いできないかと打診をしておりましたが、アクセスの問題や様々な事情で実現できませんでした。 統一選挙後、肌で避難場所や現地を見て是非話など聞いてもらいたいとの事で今回行かさせていただきました。
東北線の窓からは、宇都宮付近より屋根瓦をブルーシートで囲った家が見えてきたり、福島県に入ると土手などの法面が崩れたのか同じくブルーシートがかぶせられている箇所が増えてきました。
初日は、時間制限された公園(日渉公園) 支援物資が運ばれてくる「東和町屋内ゲートボール場」「旧東和町庁舎」 避難住民がいる「安達公民館」 「岳温泉」 多くの仮設住宅の箱物の仮置き場の旧オリンピア などを訪問!
公園には子供も大人も一人もいませんでした! 支援物資置き場の駐車場には多くの浪江町から避難してきた車が停まっていましたが、その中には「消防車」「給食センター車両」が停まっていました。お聞きしたところ、消防団員の方が逃げてくる時に乗ってきたそうで、先が見えない状況下の中で、不安な毎日を過ごしている事をお聞きしました。また、送られてきた物資には感謝するがタイムラグで冬物しかなく夏物が欲しいとの声があることも伺いました。途中何人かの避難住民が物資を取りに来ていましたが、ものすごく言葉では表せない雰囲気であり、現場に来なくてはわからない多くの事を感じました! 一次避難してきた方々の多くは既に二本松市郊外の岳温泉や市外猪苗代温泉へと避難したそうですが、訪問した体育館には未だ23名の方がおられ、職員からお話しを伺いましたが、ここに居る方は皆心に病を抱える方だそうで、栃木や新潟の自治労の方が食事などのお手伝いを行っていました。 また、友人のご両親宅にも訪問! 3月11日以降からこれまでの間の苦労話も伺い、配布された「こっぺぱん」はお年寄りは毎日食べられないなど、聞かなければわからない事などもお聞きしました。防災などの事もお聞きしながら川越市でも活かせる話も聞けて大変勉強になりました!