加藤まさゆき物語
「下町生まれ」
昭和39年8月30日に大阪府で生まれた加藤。父は職を転々とし、生活は不安定だった。
父・母と3人で大阪の下町・此花区(このはなく)の市営団地に入り、肩を寄せ合って暮らした。
小学校から成績優秀だった加藤。「人のために役立つ人間に育ってほしい」という母の思いを受け、
さらなる勉学に挑戦。東京の私立中学を受験した。信頼する担任教師も背中を押してくれた。
さらなる勉学に挑戦。東京の私立中学を受験した。信頼する担任教師も背中を押してくれた。
母・澄子は語る。 「合格発表の日。掲示板を一目散に見にいった雅之が『(名前が)あったよ!』って、
笑顔で駆け戻ってきて……小さな体をぎゅっと抱きしめながら、涙が止まりませんでした」。
笑顔で駆け戻ってきて……小さな体をぎゅっと抱きしめながら、涙が止まりませんでした」。
一人息子の学費を工面するため、母はパートを、父は夜の郵便局のアルバイトを始めた。
「苦学の青春」
親元を離れ、寮に入った中学生の加藤氏。入寮当初のホームシックも乗り越え、
両親の思いにこたえるように、勉学や読書、スポーツに励んだ。
愛読書『竜馬がゆく』に出会ったのも、このころ。
命をかけて幕末の日本を切り開いた志士の生きざまに胸が震えた。
「世のため、人のために何かを成せる人間に!」
決意を胸に、成績は向上。日本育英会をはじめ、3つの奨学金を勝ち取った。
「インターハイ」
中学・高校では軟式テニス部に所属。「後輩に新たな道を開きたい!」との使命感に燃えて猛練習を重ねた。
朝は5時半に起床し、勉学・寮生活にも全力投球。人望は厚く、部では高校の主将を務め、寮委員長の重責も担った。
高3最後の部の大会。加藤氏は勝ち進み、団体で「関東大会」、個人(ダブルス)で「全国大会(インターハイ)」に出場!
「努力」と「執念」で勝ち取った青春の栄冠だった。
「恩を忘れない」
「あの人がいなかったら、今の私はありません」―― 。
“あの人”とは、東京への進学に背中を押してくれた小6時の担任教師。
30年を経た今も、「恩師」への連絡・報告は欠かさない。
4年に1度、五輪イヤーには必ず、クラス会を開き、恩師を囲む。
決して恩を忘れない。恩に真心で報いていく。それが加藤氏の信条である。